第32話 “love letter-①”

【16:25 中央階段】


……あーその、なんというか。優羽さんが考えているような問題というのは、一応ある。いや、あった。つい数時間ほど前までは。


「ねえ、優羽さん。」

「……何よ?」

「僕、あの感じの親は想定してなかったなぁって。まさかああまで正常な人間だったとは……鳶が鷹を生む、ってやつ?」

「ことわざそのものを間違えなかったことは素直に称賛するけれど、それの持つ意味合いとしては全く逆ね。仮にその方向で言うなら、“鷹が鳶を生む”って所かしら。」

「へぇ、そういうのもあるのか。……まあとにかく、良かった良かった。一件落着、ってなやつだね。」


そう言った僕は、長めのため息を一つ吐きつつ感慨に耽る。色のついたままに思い出しているのは、ほんの数十分前に終わった出来事だ。

事の次第はこうだ。今のように学校があるのだから当然の事だが、今日は平日。普通、暇な奴などいるはずがない。

しかしそれにも関わらず、自ら名乗りを上げた首謀者──僕が最後にぶっ飛ばした女、彼女の母親が、何故かこの場所に来てしまったのである。あれはまさしく、由々しき事態というやつだった。

時間にしてPM1時半、五限の途中。日本の高校のレベルの高さに初日から蹴り落とされそうになっていた僕にとって、これは一種の救いとも取れるものだったな。嫌な現実から逃げる口実は、人間である限り誰でも欲しい物だからな。


「しかしまあ、上手くこちら側有利に事が動いてくれてよかった。親って存在は、いかなる状況でも子を擁護する物だと思っていたけど……」

「はぁ? 確かに今回は親の方もかなり態度が低かったけれど、それはあなたの考え違いよ!

だって親といっても、結局は人間に過ぎないんですものね! 子供ができただけで、人生観が180度変わるような人間はいないもの。」


……とまあ、明らかに怒りに満ちた表情になった反抗期女はともかく。

僕らと首謀者が生徒指導室に入っていった瞬間、彼女のご両親が2人とも飛んでくるやいなや、首謀者の彼女を2人して掴んで土下座させたのだ。教師含めた僕らの目の前で、である。流石にやりすぎだろう、と僕も流石に訝しんだものだ。

そしてそこから協議は行われ、子供の出る幕が終わる所までいって……そこで、解放された。


「……今どうなってんだろうね、あれ。大丈夫なの? 僕らがいなくなった途端に豹変してたら、とか考えちゃうんだけど。」

「さあ、ね。私には如何とも言い難いけど、まあ悪い風にはなっていないんじゃないかしら? あの先生……あなたの仲間が、2人とも出張っているんでしょ? 上手くやるわよ、きっと。」


そう、生徒指導室に居たのはあの2人。あの生徒指導室では、姉御とタケフミが揃い踏みで首謀者をガン詰めしていたのである。僕らがそこに居る理由が、けっこう怪しくなる程度には。

特に姉御に至っては、もうそれはそれは。彼女と出会ってそう時間が経った訳ではないが、早くも彼女の怒りのボルテージが天辺にぶつかる瞬間を目撃したように思えたな。

般若とは、あんな感じの女を言うのだろう。尤もその怒りの出てくる元がどうかというのは、僕にしてみれば知ろうという気にもならないが。


「まあ、そうだといいがねぇ……っと、やっと出口か。」


そして優羽さんの手……というか記憶を借りつつ正面玄関に辿り着いた僕は、すぐに自分の靴箱を見つけた。幸いにして、靴箱付近は混んではいないらしい。休日を思わせるほどの人の少なさだ。

まあ、流石に外に出るには中途半端な時間だから仕方ないけどね。速攻で帰るには遅いけど、部活動とやらをやっている人間には少し早い。結果、この時間に履き替えるのは僕らのような遅れ組だけという訳だ。


「……どうでもいいけど、部活って何があるの? っていうか、面白いもんなの?」

「ええ、結構面白いわよ。私も一年間居たけど、友達できるし知識もつくし楽しいもの。

まあ、あなたに合いそうな部活といったら……いったら……」


と、固まった彼女をよそに僕は靴箱を開け……そこで、僕もまた固まる事になる。

ひらり、と。目の端に映り込みながらも床へと落ちていく、ピンク色の長方形を視線だけで追いかけながら。僕は、思わず凍りついてしまっていたのだ。


「あっ、剣道部とかいいんじゃない……って人がわざわざ言ってあげようとしてるのに何してるのよ、あんた。

……っていうか、その紙何よ。下に落ちてるやつ。ピンク色で、ハートマークがついてる……

え? それ、ラブレター……?」


……僕は、人情の機微に疎い人間だ。その程度なら自分でも理解できる程度の知能はある。

しかし、しかしだ。それを幾ら差し引いたとしても、これは僕の理解の範疇を超えている。なんだって転校初日に、こんな物が靴箱に入れられていなけりゃならんのだ。


「えっと、流石にこれくらいは知ってるわよね? 下駄箱のラブレターくらいは。」

「知らなければ驚いてなどいないさ。で、そちらに心当たりは?」

「あなたに無ければ、私にもないわよ。今日転入してきた人間の下駄箱にラブレターを入れる馬鹿なんて、1人だって知らないわ。

……でもまあとにかく、開けてみたらどうなの? 筆跡から何かわかるかもしれないわよ。」


なんて無茶は言われるものの、確かに開けてみなければ何もわからないのは全くもってそのとおりだ。“虎穴に入らずんば虎子を得ず”とも言うのだ、開けてしまうのは何ら間違った行為じゃない。

……ハートマークを引き裂くように封を切り、中にある真っ白な一枚の紙を取り出す。ぎざぎざとした紙の端からは、雑多なものを引きちぎってこれの中身に転用する様子が一目で見て取れるようだ。

確認できる文字数は少ないものの裏写りはかなりはっきりとしており、これもまたボールペンか何かで書き殴ったような雰囲気を醸し出している。


「ち、大分雑だな……」


今日が初対面の相手に渡すラブレターを前々から用意できるわけないのはそうなんだろうが、それにしたってもう少しばかりやりようはあるだろうに。

嫌な予感がしてきた。しかし捲る指の動きが止まることはなく、恋心なのかどうかも怪しい感情を容れていたそれが落ちることも気にせず書かれている内容をこの目に見せてきた。


─― 『お話があります  体育館裏にて待つ』


と、内容にしてみればこれだけ。体育館が2つある学校であるにも関わらず、どちらの体育館裏かを明記する言葉はない。それに、転入初日の人間が見るものに簡単な地図の一つも載せないというのは少々思いやりに欠けているように思えてならないな。

そしてそういう問題があるが故に、ハートマークのシールが少々ちぐはぐさをこちらに抱かせてくる。ここまで急いで作られたものだというのに、ここにだけは丁寧さがあるからだ。

──故に、結論は一つ。現状最も危険な状況にあるであろう彼女にも、その情報を伝える。


「……私見だが、これは何らかの罠だ。こんなものは常識的にありえない。朝の奴か、それともそれ以外か……何にせよ、敵性勢力が僕らをおびき寄せるために仕込んだものと見て間違いないだろう。」

「ちょっと、何言い出すのよいきなり。こういうの初めてだからおかしくなったの? あんたって恋愛経験ない?」

「あるんなら尚の事、このくらいのおかしさはわかって然るべきだ。そういう言い草をするって事は、あるんだろう? 経験。」

「えっ、ちょ……う、うるさいわね? いいから体育館裏に行くわよ、私もついて行ってあげるから! もし女の子を待たせたまま家に帰ったらどうする気なのよ、せめて見に行くくらいしないと!」


何だか知らないが、頬を赤らめつつ彼女は言う。しかし僕は、常識的な観点からそれを否定する立場を崩さない。


「あのさぁ、命を狙われてるのは君なんだよ? 僕一人の話じゃない、もし君の身に何かがあったら僕が組織に始末される。だから……」

「う、うるさいうるさい! いいから行きなさい、これは命令よ! あなたが仕事でここに来ているのなら、従う義務があるはずよ!」


……なんか彼女、気がするなぁ。

ただまぁ、こちらが罠だと理解しているのなら対処法はある。それに、どうせ“奴等”ならこういう手は使うまい。乗ってやるのも、悪くないじゃないか。


「……はいはい。わかりましたわかりました。それじゃあ仰せのとおり、カモがネギしょって罠にかかりに行くとしましょうか……。」

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