第31話 “事情”
【8:22 屋上】
「……おい、なんだって僕をここまで連れ出すのさ。やる事ないだろ、戻ろうよ。」
……まあ、戻ったところで待っているのは指導くらいなものではあるのだが。そして、そこで待っているのは間違いなく“あの2人”のうちのどちらかなのだろうが。
「戻ろうよ、じゃないでしょあの惨状は! あなたってば、入学早々一体何してくれてるのよ!」
「何もクソもないさ。君がやらかしたから、僕が助けに行った。僕はただ仕事をしただけで、他に言うべき事も無い。」
「言うべき事がない⁉︎ あれで、あれが問題なかったって言うの⁉︎ あれだけの騒ぎを起こしておいて……!」
「騒ぎったって、どうせやり合ってた運命だろうよ。君だってやる気だったし、あちらもやる気だった。愚者の後知恵、と言えばそうではあるんだけど……」
「でもあれはおかしいわよ! わざわざこっちから始めるだなんて……!」
「なら最初から軋轢を生むな。自分が撒いた種なんだろう、どうせ。」
まさか年頃の男女が恋をするというのに、男の方だけが何かするなどという事はありえまい。どうせこの子も何かをしたんだろうし、件の男も何かをした。
──それが恋というものの本質である以上、他に何の言いようもあるまい。恋愛経験皆無の僕が言うのもなんだが。
「違っ……あれは、あの男が勝手に……!」
「それはどうかねぇ……っと、足音。そろそろゆっくり話している時間もなくなったかな? 追手っぽいなら、仕方ない。下がっていてくれ、もう一度戦闘になるだろうからね。」
膝を片足ずつ曲げ伸ばし、足の指をぐっと握り込んで音を鳴らす。さらに手も同じように握り込んだ後、自分たちも通ってきた扉に向かいつつファイティングポーズを取り、彼女を下げさせた。
そして深呼吸を一つし、構え直す。そして半透明なドアのガラス越しに影で相手を見つつ、足を
踏み込もうとして。そこで、飛んできた“声”によって僕は静止させられるに至るのだ。
「……っ、優羽ちゃん!」
「なに……⁉」
彼女は護衛対象を“優羽ちゃん”と呼んでおり、あまり敵意が感じられない。それに特段の攻撃性があるとも思えないような様子であるし、何よりも先ほど交戦した連中とは顔が違うのだ。本人ではない、というのもそうだが……僕は特に何もしていないというのに、彼女ときたら涙目な様子でいるのだから。
そして、自身の髪を金髪のポニーテールにした彼女が走ってくる。身体──いや、どことは言わないが、それを揺らしながら。更に、通り抜けようとするときに彼女は僕の肩にぶつかってくる。だがムカつく事に、彼女にはそれを気にしている様子が見られなかったようだ。
「あ、東さん! なんでこんな所に……遅れますよ⁉」
「そんな事どうだっていいじゃない! あなたが大丈夫ならそれでいい、そうでしょう? 怪我はない? どこも殴られてない? 傷ができていたら……」
「ちょっと、大丈夫だから! あなたに気を遣われる必要なんてないですし。それに、私はまだ何もされてないんです! 怪我もないし、本の方も傷はないし。……まあ、彼のおかげですけど。」
あっ、と言わんばかりの様子で彼女はやっとこさこちらを向いてくる。
……別に顔も名前も知らん輩のために他人を守ってやるほど僕はお人好しではないものの、彼女のことを心配していますという風な口のきき方をしておいてこちらのことに見向きもしない、というのは流石に癪だからな。何より、僕の横をわざわざ通って肩までぶつけておいて……というのも、気に入らない。
「あっ、ご……ごめんなさい。えっと、あなたが優羽ちゃ……彼女を?」
「まあ、一応そういうことになるね。でも礼なんていいよ、こんなの僕が何か言われる程度のものじゃないし。
それにあんな素人……いや、そういう言い方はあれかな。うん、まあ何も言う事はないね。なんでもない、なんでもない。僕は高校生として当然の事をしたまでって話ですよ。」
「あ、はぁ……でもまあとにかく、ありがとうございました。」
そう言うと、彼女は腰を曲げてこちらに綺麗な礼をしてくる。だがその時に一瞬見えた表情には、どうも少し曇りがあったようにも思えたのだ。といってもそれはまあ多分、一瞬僕が仕事の話……というか、素の反応を出してしまったからであろうが。
相手が戦闘において素人なのか否かなんてものは、僕が扮そうとしているような一般人には判別などできる由もないはずだ。彼女もそれは少し気がかりなのだろう。
まあ、一般的な反応を返しておこう。礼をされたら、こうだ。
「ああちょっと、そんな事してくれなくてもいいんだよ僕は!」
まあ、今回は何とかごまかせたから良かったがな。こちらのちょっとばかし煮えきらない反応のお陰で相手は疑問を覚えたのだろうが、所詮はそこまでのこと。今に限って言えば別段の問題はないように見える。ただ一歩間違えば大惨事って所でもあったので、こちらとしても猛省といった感じではあるのだけど。
しかし、それはそれとして顔を上げた彼女はその表情を疑問を顕にしたものへと変えていた。まったく、表情変化の忙しいやつである。
「そうですか、それはどうも……でもあなた、一体どこのクラスなんですか? 足を見る限り同学年みたいなのに、今までの一年間と少しの間で顔を見たこともないんですけど……」
「ああ、そりゃあ当然だよ。だって僕、今日からここに入る転入生だもん。だから君も敬語なんて使わないでよ、僕はあんまり同年代でそういう呼び合い方をするのは好きじゃないからね。
……えっと、名前なんだっけ。優羽さんは東さんって呼んでたよね、確か。僕もそう呼べばいい? それとも家の名前が嫌いな誰かさんみたいに、下の名前で呼んでほしいのかな?」
なんて、彼女のことなんて最初から気にしてないという意思表示くらいのつもりで少しその呼び方をからかってもみる。すると彼女は少し驚いたような表情を見せてから、少し微笑んで言ってきた。
「いえ……ああいや、ううん。私はどっちでも。私の名前は
「んー、僕かい? 僕は……エヴァンス、じゃなくて……ディミトリ、でもなくて……そう、御堂。御堂龍二、それが僕の名前だ。字が複雑ですまんね、僕もそんなに上手くは書けない。」
「……? ああ、うん。そうなの……まあとにかく、今日からよろしくね。」
……そして、そんな会話だけ残して流れていく沈黙。もしかすると無意識のうちに、何か変なことを言ってしまっていたのだろうか? 結構そういうところあるからな、僕ってば。
静かな屋上には涼しい風が吹き、それが僕の頬の横を通り抜けていく。日本の残暑は厳しいという事はよく聞く話ではあるものの、どうやら今年は多少なりともマシな様子だな。この風にこの涼しさだ、この外気温で長時間外に出たところでそう汗はかくまい。無論、だからといって今のような地獄の空気感が好きというわけではないのだが。
「ちょ、ちょっと! 二人して黙らないでよね、まだなんの問題も解決してないんだから!」
と、どうやら優羽さんはこの沈黙に耐えられないご様子だな。しかし、僕からしてみれば我々は本当に問題など抱えているのだろうか? と、少しの疑問が脳裏によぎってならないのである。
「問題、ねぇ? 君ってばさっきからずっと同じように言ってるけど、じゃあその問題って何なのさ。」
「決まってるわよ、そんなこと。あなたは知らないかもしれないけどね、日本の学校じゃ暴力沙汰はあなた自身の想像よりも遥かに大事なのよ。あなたのことをあいつらの親が訴訟でもしたら、一体どうする気だったっていうの?」
「……んん?」
──親。ああ、親か。なるほどな、なるほど。問題とやらの根がそこにあるのなら、僕がそれを想像できる理由もあるまい。
なればこそ、ここからの話は大人しく聞いておくとしようかな。彼女のほうが、こちらの事情にに精通しているようだしね……。
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