第26話 「心は通じあえるものです」
【17:30 セーフハウス・デルタ】
『諸君、静粛に!』
聞き覚えのある声は、聞き覚えのある言語で荘厳にも思えるほどの声色でそう僕らに告げる。
そうすると姉御は抵抗しようという試みを捨て、まるで授業前の起立の時間のようにぴっしりと背筋よく立つ。そしてその表情には一切の曇りはなく、それは国に忠を尽くす軍人のような立ち居振る舞いを思わせた。
しかし、西井さんもその隙を狙おうとはしない。少々残念そうにしつつも、彼女もまた背筋を伸ばしてスピーカーの方へと二人して身体を向ける。見えていないが、タケフミもこういう感じだろう。
『ふむ……よし。』
この場は、緊張した空気に包まれていた。たった一人……この場所で、座りながら片手で炭酸を飲んでいる男を除いて。
『あー、あー、ん、んんっ! それでは、始めよう。』
何を始めるのかすら知らされないままに、何かが起ころうとしているのだ。まあ、特に悪いことが起きるような感覚はないのだが。
……そして。続く言葉は、これだった。
『8時だよ? 全員集合〜〜!』
……つまんねえ。しかし“フェデリコ”はまあ、こういうのが好きだったな。
だが結果として、彼の笑いの好みによって周囲は絶対零度だ。こういう役回りは苦手だが、まあ仕方があるまいな。
「……いや、まだ七時じゃん。ってか、なんならそっちまだ昼じゃん。」
『おいおい、細かい突っ込みはなしだろミケ……失礼、龍二。』
どこから音を拾っているのか、彼は僕の突っ込みにわざわざ言葉を返してくる。スピーカーと肉声の違いから少しいつもとは違う気分だが、それよりも周囲の反応のほうが僕には気になるように思えた。
「ちょ、アンタ……⁉」
「あららぁ。」
「おうおう、マジかい。」
姉御とタケフミは焦りと驚きのどちらもが混ざったような表情をし、西井さんは興味深そうにこちらを見つめ始める。そして唯一人、ずっと混乱し続けている優羽さん。
「全く、流暢なもんだな。どこで覚えた、ん?」
『無論、独学さ。流石にこのくらいはできていないと、この作戦に参加する事など到底叶うまい。……さて、誰か誰かそこにある映写機を点けてくれないか?』
と、そんな声が響くやいなや西井さんはすぐさま動いて地面にベタ置きされている映写機のスイッチを入れる。すると右にあった無機質なコンクリートの壁はペンキで塗り込んだかのようにその一部を黒くされ、その中央には世界に名だたる日本の大企業のロゴが映し出された。
BONY……その名を見て色々と思い出そうとした矢先、画面の映像は移り変わって友人の顔が映し出される。その背景には青い空、そして町並みと飲食店のものらしきターンテーブルを囲んで椅子に座る数人の男女。見ているだけでも腹が減ってきた。
『……やあ、諸君。ああ、何人かは俺とははじめましてかな? 特にそこなお嬢さん。声はこっちに聞こえてるから、その美声を聞かせておくれよ。』
「は、はぁ? ……まあ、はじめまして。私は平山優羽よ。あなた何なの?」
『んー、やっぱり日本の女の子はいいねぇ!声といい顔といい体といい、マジ可愛い! 俺も久しぶりに前線に出るかな? デスクワークもそれはそれで疲れるし、もうずっと戦闘行為なんてしてないから身体もなまってきてたし!』
……優羽さんは調子が戻ったのか、さっきとは異なってかなり態度がきつくなっている。まあ、パニックのせいだと言われれば否定はできないが。
そしてそれにも関わらず、だいぶ軽いノリでいるフェデリコ。しかも自己紹介の要求は完全に無視ときたものなのだから、この男もなかなかのもんである。アニメの見過ぎか知らないが、JKという存在にかなりの憧れを持っているらしいな。笑顔満点のいい表情だ、三年はからかえる。
「そんなメンタリティでここ来ると死んじまうぞ、異形の化け物共もいるしな。」
『異形の化け物……? なにそれ、君の顔じゃなくて?』
「ぶちのめすぞお前。こっちで写真は撮ってあるから、後でそっちのBinstagramに送ってやる。」
「ちょ、アンタねぇ……! その言い草はいくら何でも許されないっての! 何様のつもりよ、幹部に向かって! 正気⁉」
なんて、久しぶりとも思えるいつものような会話を交わしていると、姉御はもう我慢ならないといった様子で僕の前にわざわざ回り込んできて肩を掴み、叫ぶように警告する。……しかし、それを止めるのは他でもないフェデリコ自身であった。
『いや、いいんだよエージェント・ヨコタ。彼はいいんだ、何言ったって俺の方は構いやしないよ。むしろ日常茶飯事だ、そうだろう?』
「確かに。昔はお互い、これくらい言い合ってたんだけどなぁ。やっぱ昨今は規制とか世間様の目が厳しいから、あんまり言わなくなったのかな?」
『世間の目なんて今更さ。それに、俺達が大人になったって考えることもできるだろう?
……とまあそんな訳で、この男と優羽ちゃんは俺にどんな口きいてもいいから。ただし君らはだめだよ? 重めの処罰を下すからね、気分によっては。』
「あ、は……しょ、承知いたしました……?」
まあ冷静に考えれば、彼女の行動は普通は正しいものだ。僕らの関係性がおかしいというだけなのだから、今の彼女の混乱したような表情も理解できる。
『うむ、上司への態度は大変よろしい。しかし今集まってもらったのは、こんな下らない雑談をするためではないという事はわかるね?
そう、定時連絡だ。……エージェント・ヨコイ。君に連絡しておいた定時連絡の時間はいつだったかな?
「えっと……6時ちょうど、です。」
『今は?』
「7時半を回って少し……」
おっと、定時連絡。確かにそんな話もあった、あったが……6時頃に僕らが何をしていたかを思えば、仕方ないという感想しか出てくるまい。常識の通用しない怪物と交戦し、その悉くを撃破していたのだから。
いくら友人でも、いや友人だからこそ、勘違いをされたままは良くない。僕は西井さんとの会話に割り込み、弁護士にでもなった気分で言う。
「ちょっと待った。僕らはあのとき交戦中だったし、逃げる余裕もなかった。事情は後で説明するけど、とにかくあの時は動けなかったんだよ。」
『ん……ああ、“怪物と交戦した”ってその時か。成程、それなら頷ける。事情があるという事は理解しよう。
しかしなぁ、一応遅れは遅れだからなぁ……。上から言われてるんだよ、“緊急時以外の連絡の遅延を決して許すな”ってさ。』
「今がまさしく緊急事態さ。敵に襲われ、目標保護を優先する必要に駆られた。そうだろう?」
『まあ、そうだよなぁ。しかし……』
と、画面越しに彼は頭を抱えつつ背もたれに背中を預ける。そしてその数秒後、思い出したかのように西井さんが言い出した。
「あ、その件で一つアタシから言いたい事あるんですけど、いい?」
『お、そういうのそういうの。ってか正直、定時連絡で話を聞きたかったのは君なんだよね。後の連中はほとんど顔合わせくらいしかやる必要ないし。
……それで? 我々が誇る最高のスパイは、一体どんな情報を持って来てくれたのかな?』
って、こいつが件の“ナンバー1のスパイ”かよ。ただのうさぎ飛び野郎じゃないか、こいつ。……まあ、それはそれで才能の一種なんだろうけど。
「えーっとぉ、ハーちゃん達が遭遇した怪物いるでしょ?
……あれ、夜桜のだから。」
……夜桜。その単語が出るやいなや、場の空気が数段重くなっていく。
まあ、そうだそうだとは思っていたがね。やはり、僕らの予想に間違いはなかったのか……。
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