3話

『琴乃梢ガ飛ビ降リルマデ、アト1日!』


 朝は電車に揺られる。ゆらゆらと肩に乗っかってきた居眠りサラリーマンをそのまま寝かせておく。学校に着いたら授業を真面目に聞くフリする。放課後、電車を待ちながらぐーっと背伸びをする。


 誓って私は琴乃梢に何もしなかった訳では無い。忘れないうちにペンを走らせ、彼女の下駄箱に手紙を置いてきたのだ。要約すると『明日の昼休み、校門の前に来て下さい。Kより。』という内容の。Kというのは私、恵子のことだ。気付いてくれればいいのだけれど。


 明日会ったら、真面目な顔で話し合うのだ。私の心からの気持ちを、彼女にぶつけるのだ。けれど、私の方は、彼女の心からの気持ちを受け止められないかも知れない。もしも間違った答えを求められたなら。


 ドギマギする胸を落ち着かせるため、私はイヤホンを耳につけた。Spotifyから流すのは『Sundae May Clubサンデーメイクラブ』の『晴れるな』。このポップで心が揺れる曲が、私の気持ちを晴らしてくれる。『魔法とシャッフルビート』も好きだけどまだMV化してない。そうだ、明日梢にも聴かせよう。そんなことを思いながら、私は電車に揺られていた。


『ヤァ!何カ質問ハアル?』


 お風呂も歯磨きも済ませた後、いつもの深夜に天使のアプリを開いた。スマホの画面を青空に塗り替えて、下半分にぷかぷか浮かんでいる。浮かんでいるというのは、要は2パターンの絵を交互に切り替えてるだけ。


 私は素早く文字を打って、ドット絵の天使に2つの質問をした。


『明日、梢は何時に飛び降りる?』

『12時!昼休ミ!』

『それを阻止すれば、梢は死なない?』

『ウン!梢ハ死ナナイヨ!』


 メッセージが浮かんできて、私はほっとした。それなら校門であいつを引き止めればいい。大変くだらなく楽しい話をごちゃごちゃ話して、悲惨な自殺のお邪魔をしてやろう。


 布団の中で勝利のガッツポーズをしていると、画面の中の天使が新たなメッセージを送りつけてきた。


『今日ハ、キミニ伝エタイコトガアルンダ。』


 不思議に思いながら、私は返事を送った。


『お別れ?』

『違ウ違ウ!イジメッ子タチノ名前ダヨ!メモ帳ヲ用意シテ、シッカリ書キ込ンデネ!』

 (えっ)


 私が困惑していると、天使がまた同じようなことを表示させてきた。


『メモ帳ヲ用意シテ、シッカリ書キ込ンデネ!』

 (………)


 不気味に思いながらも、私は表示された通りにいじめっ子たちの名前をメモした。1人目は佐藤瞳、2人目は篠原愛星、3人目は杉浦美亜、4人目は高田紅羽。


『メモシタミタイダネ。ジャア次!』


 気持ち悪いくらいにぴったりなタイミングでメッセージが表示され、次の言葉を送りつけた。


『コノ4人ハネ、琴乃梢ヲ苦シメル悪魔ナンダ。ボクハネ、悪魔ヲコノ世カラ全員消去(オールデリート)シタイ!ソノタメニ、ココニイルンダ。』

 (………)


 何故だろうか。この先に突きつけられることが分かってしまった気がして、汗がだらだらと流れた。気温はまだ暑い。きっと布団の中に潜っているせいだろう。そう思うことにしたけれど、やっぱり違う気がする。


 やがて無慈悲なメッセージは送られた。


『キミニ協力シテホシイ、恵子!コノ4人ノ名前ヲ、ココニ入力シテホシイ!スルトボクハネ、照準ヲ合ワセルコトガデキルンダ!』


 突然画面は切り替わり、青空をバックに天使が矢を構えているものへと変わった。可愛らしいドット絵の天使は、私の方をじっと見ている。


『ソノ後ハボタンヲ押シテネ!悪魔ヲ貫イテアゲルカラ!』


 そう言われて、身体中から汗が噴き出た。


 暑いのに布団から出られない。布団を退かす気力が無いのか、力が抜けてしまったのか、やましくて誰にも見られたくないのか。心臓が鳴り止まない。呼吸音がうるさい。


 (え……)


 ただただ、スマホの中の天使が恐ろしかった。


 (は……?)


 このウイルスもどきの言葉は、やけに信憑性を帯びていた。きっと本当に殺せるんだろうと思った。呆気なく簡単に、どんな奴でも、名前さえ入力されればすぐにハート《心臓》を貫いてしまうのだろうと思った。


 何故か、私は一文字打ってしまった。


『さ』


 また一文字、フリック入力、フリック入力……。


『と』

『う』

『ひ』

『と』


 一文字打つたびに、画面の中にいるドット絵の天使はぎぎぎと弓矢を引いた。最後の一文字が打たれるのを、今か今かと待っているようだ。


 気でも触れたのか、私は最後の一文字を打ってしまった。


『み』


 すると画面の奥──天使の前方に、ピースをしている茶髪の女子高生が出てきた。この間話しかけてきた、あいつだ。ドット絵の世界に彼女、佐藤瞳だけが写真のようにリアルな物として映し出され、とても不気味だった。


『サア!最後ニボタンヲ押シテネ!』


 まもなく『GO!!』のボタンが表示された瞬間、私はスマホの電源を切りにかかった。


 ドクンドクンドクンドクン!心臓がとうとう暴れ始める。寸前、私は踏み止まった。例え梢を自殺に追い込む奴だとしても、私なんかが勝手に殺せる筈が無い。寧ろどうして直前まで入力したんだと自分を責めた。


 やっと電源をオフにする画面が出てきた。一安心し、少しだけ呼吸を整える。


 すると、天使が画面いっぱいに現れた。


「ひいっ!」


 私は悲鳴を上げてスマホを落とした。ドット絵の天使は、一つだけメッセージを残した後、やがて画面から消えてしまった。


『ツマンナーイ。』


 瞬間、私の頭が沸騰した。


「あ!あんたがつまんないでしょっ!」


 電源をオフにした後、私はスマホとメモ帳を壁に叩きつけた。音を聞いた父親が部屋に入って怒鳴り込んだけれど、私は無視して必死に眠るよう努めた。


 何時間経っても、私の意識は落ちることなく、ぷるぷると身体を震わせていた。

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