Ⅶ. Tak for dit hårde arbejde

 音声データを再生するのに、約半日掛かった。私はそのバンドの音楽を聴きながら、泣いていた。素人じみた歌声で、決して皆が好むような人工知能ハルピュイアの奏でる音楽からは程遠い。歌詞も支離滅裂で、こんな物称賛されるような物じゃない。社会への苦悩と叛逆を歌う、いつの時代にもある大衆音楽だ。稚拙で幼稚と呼べてしまうような代物。けれど、そんな作品だからこそなのだろうか。何故だか私の胸を打つ。このバンドの奏でる音の全てを聴きたくなった。きっと、これを稚拙で聴くに値しないと評価するのがまともな人間なんだろう。けれど、これを好む者がいるのも頷ける。私にバンドを勧めた友人フォロワーや有紗も、そうだったのだろう。

「この間誘ってくれたコンサート、行くよ」

 私は直ぐに友人フォロワーに連絡を入れた。友人フォロワーは私のその言葉に頗る喜び、早速外出の手配を進めてくれた。病院からも、長らく与えられていなかった外出許可を得て、私は外に出た。久々に浴びた太陽の光と、外の空気は、私の身体の中に染み渡った。バンドのコンサートが行われるのは、今時珍しい個人経営の小さなライヴハウスで、音響も充分な設備とは言い難い。けれど、客席は満員で、誰も彼もがこのバンドの熱に浮かされ、直に演奏を聴く為に集まっている。そのことが私には、この世界での小さな奇跡のように思えた。生で聞くバンド演奏は音声データで聞くよりも遥かに心に響いた。熱狂の中に巻き込まれ、私は友人フォロワーと肩を抱き合った。病院に戻り、人工知能アレクシウスにまた服薬を求められたが、私はまた拒否した。けれど、今度は投げやりな気持ちではない。私は真っ向から人工知能アレクシウスに「NO」を叩きつけると、退院手続きを行った。病院の要請で私の再検査が行われた。検査の結果、退院手続きは思いのほかスムーズに行われた。帰宅するや否や、人工知能パトロヌスから仕事の斡旋メッセージが送られて来たが、私はそれを無視した。確かにこの世界は残酷だ。けれど、せめて自由に生きよう。有紗が望んだように、私はただ国と社会から与えられただけのことをしていくのではなく、好きなことをして生きていこう。幸い、有紗と違って私は健康だ。一歩足を踏み出せば、何でも出来る。将来のことは忘れ、私は新基軸バンドのコンサートが行われていたライヴハウスを訪れた。この時代に奇特にもそんなものを経営する施設の持ち主オーナーと話す機会を貰い、私も同じようなライヴハウスを経営したいということを語った。持ち主オーナーも私と似たような経歴で、私の身の上を聞くと目を潤ませながら親身に相談に乗ってくれた。そして遂に私は自分のライヴハウスを手に入れた。貯金はとうに底を尽き、借金もしている。けれどそれがどうした。私は自分の手で、人生をやり直す。そして自由を手に入れるのだ。

「――おや?」

 ライヴハウスを建てた土地の費用を支払う為、私は銀行に赴いた。新規事業の立ち上げではある為、銀行からの融資も申請したが、そちらは取り下げられてしまったので、完全に自腹だ。この費用ばかりは人工知能パトロヌスから斡旋された仕事に従事し、朝も夜も休まず働いた日々は、私にとって一つの勲章になっている。

 そうして何とか搔き集めた金銭のやり取りをする為に銀行に訪れたのだが、銀行口座の残高を見て私は驚いた。本来であれば、口座にあるのは私が今手元に持っているのと合わせて、土地費用ギリギリの金銭しか残っていない筈だった。けれど、そこには、私の知らない大量の預金額が記されている。私は目を疑った。以前私が勤めていた生体部品管理の仕事の給料の、実に何百倍もの金だ。私は振込内容を確認する。

 ――脳病寛解特異例情報集積報奨金。

 そこに記されている文字列に、私は唖然とした。私は直ぐに人口知能デルフォイに問い合わせる。

「お疲れさまでした。貴方が精神を病み、そこから新規事業を立ち上げるに至るまでの軌跡は、社会に有益な情報であるとして報奨金が発生しました。事業の足しとしてお納めください」

 人口知能デルフォイからの讃辞が私に送られた。私は茫然とする。人間の自由と尊厳について、私は改めてそこで考えた。けれど、今の私には目の前にいる人口知能デルフォイに対して、以前人工知能アレクシウスを蹴り上げた時のような激情は存在してはいない。

 私はただ立ち尽くす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る