Ⅲ. frihed og værdighed

 働かないと決めれば、後は気持ちは楽だった。有紗と別れた時と同じだ、と思う。それまで必死になって守って来たものであっても、なければないで生きていけてしまう。自分はそういう人種なのだということを、突き付けられる。私に本当に大切なモノなどあるのだろうか。私の持つ全ては代替可能であったりしないか。私だけの持つ何かはないのか。自問自答したところで、答えは見つからない。私は再び電子空間に接続アクセスして、緊急傭人サービスへの登録をさっさと済ませた。勤め人でない人間はこのサービスへの登録が義務になっている。とは言っても、私宛に国から届いたメッセージに「YES」と声紋称号をするだけで登録は終わる。後は日々、市民の行動を記録した人工知能パトロヌスがその市民の生活にあった仕事を斡旋する。斡旋された仕事を受けるも受けないも自由だが、生活能力がないと判断された市民は市民保護を受ける。この辺り、有紗が職を失った際に詳しく調べた。本来は個人でそんなことをしなくても問題はないのだが、有紗は事故で脚を失い、その上で精神病にも掛かってしまった為、彼女を受け入れられる職は多くなかったのだ。私も彼女を扶養できるだけの余裕があれば良かったのだが、結局彼女は市民保護を受けることになり、それと同時に私との関係を解消したのだった。

「そうか、仕事辞めたのかお前」

 ポルニアを教えてくれた友人フォロワーに、雑談ついでに近況報告をした。同じく電子空海に集う他の友人フォロワーからも「お疲れ様」や「気を落とさないでね」などの慰みのメッセージが届く。人生の中で何があろうと繋がれる友人がいるというのは、幸福なことであると思う。私はその幸福を噛み締める。退職をして暫くの間は、例の没入型RPGにのめり込んだ。一日中遊んでいても飽きは来ず、時折ポルニアで実現士マインディストを呼んだり、人工知能パトロヌスの勧めに従って運動や斡旋された仕事に従事する等した。人工知能パトロヌスが斡旋する仕事は、当たり前だが私向けのモノで、職を失い、刺激の少ない生活の中での暇潰しにももってこいだった。かつて、社会における労働とは多くの人にとっては苦痛を伴う物であったと養成施設スクールでは習ったが、そんな時代に産まれていたらと思うとゾッとする。ただ、人工知能パトロヌスに従いながら労働に従事しながら、実現士マインディストを呼ぶことを続けるうちに、次第に私は有紗の温もりも思い出す機会が増えた。有紗は子供を持つことを望んでいた。けれど人工知能デルファイは彼女が稚児育成者としての力はないと判断付けたし、私もその通りだと思った。有紗でなくとも、五体満足で子供の情操教育に適した乳母や育成者は山程いる。世の中には、自分の子供を自分の手で育てたいと考える自然派デンジャラーの人間もいるが、彼女もその思想に一歩足を踏み入れやしないかとヒヤヒヤしていたことを、私は覚えている。私は有紗に連絡をしようか悩んだ。今、彼女はどうしているのか。順当に市民保護を受けているのであれば、彼女の生活も安定した頃合いでもあるかもしれない。だから、私は完全な気紛れで有紗に連絡した。

「はい?」

 電子空間に、彼女の姿が映し出される。私は彼女に向けて手を伸ばした。

「久しぶり」

「ああ、君か」

 有紗の声は沈んでいた。この世の全てを諦めてしまったかのような、落ち込み切った声だ。

「市民保護は順調ではないのかい」

 私が訊くと、有紗は自嘲するような表情を浮かべた。

「保護は受けてない」

「何だって?」

 私は耳を疑った。私と別れたのは、市民保護を受ける為でもあった筈だ。それなのに、何故有紗はそれを拒んだのか、理解ができない。

「どうして」

「人としての最後の尊厳を、失うような気がするから」

 まただ。彼女は時折、このようなことを口にしていた。仕事のことだって、人工知能デルファイが彼女への適合率が100%だと認めた物だったにも関わらず「自分の望むものではない」と言っていたし、事故にあったのも人工知能パトロヌスの指示通りにしていれば良かったものを、彼女が「今日は気分ではない」と、私と予定していた夕食ディナーの予約を取り下げ、せっかくだから何か手料理を作ると言って、近くで料理をすることのできる娯楽施設レジャーランドに徒歩で向かった際に、彼女の不注意で輸送車に轢かれたからだ。彼女は自由を求める。それが彼女の良いところであり、私もそんなところに惚れた。今のこの国で、彼女のように自由を求める人は見たことがなかったし、そんな彼女が「君と一緒なら、生きていけそう」だと言ってくれたのも、心から嬉しかった。けれど、彼女は今、そんな自由の代償で脚を失い、職を失い、更には彼女の取り柄であった筈の活気さえなくしている。

「今、どうしているんだ」

「君には関係ない」

「そんなことはない」

 私は有紗にかぶりを振った。自由な彼女を愛していた。けれど、そんな彼女との生活に気苦労が絶えなかったのは確かで、そんな彼女と別れたことで、私は清々としたものを感じた。それこそ、自由を愛する彼女と共にいる不自由さから脱した自由を感じたのかもしれない。けれど、こうして彼女を一目見ると、思い出してしまう。

「愛している」

 私は有紗に真正面から気持ちを伝える。有紗の顔はそれでもやはり沈み続けている。彼女は何も言わず、電子空間から姿を消した。意気消沈する私に、有紗からのメッセージが届き、急いで私はそのメッセージを開く。そこには、連絡先が添付されている。彼女から送られてきたのは、人間の実現士マインディストが所属する娼館ニンフの連絡先だった。

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