第31話 文章教室の内側をバクロする!(05)


今回も随筆『憧れの富士山』の話題を取り上げたいと思います。

 本日は、文章における描写の稚拙さと丁寧さについて、詳しくお話しさせていただきます。

 この随筆の中で、筆者は山小屋のシーンにおいて秀逸な描写力を見せています。その細やかな表現は読者の心に鮮明なイメージを焼き付けることに成功しています。しかしながら、山登りのシーンに関しては、先生から異なる評価を受けました。先生の指摘によると、一向に頂上にたどり着けないもどかしさは十分に伝わってくるものの、「もっと丁寧に書いて欲しい」という要望がありました。確かに、原稿用紙わずか3枚という限られたスペースの中で、登山の過程を細部まで丁寧に描写するのは容易ではなかったでしょう。しかし、それでもなお先生の要求水準は高く、より詳細な描写を求めていたのです。


 文章を執筆する際の重要な心得として、先生は次のような助言をくださいました。

 自分と同じ知識レベルや経験を持つ読者を想定する場合、ある程度の省略は許されます。しかし、不特定多数の方々に向けて書く場合は、少し理解力の劣る読者にも分かるように丁寧に説明することが最善策だと言うのです。つまり、読者の多様性を考慮し、できるだけ幅広い層に理解されるよう努めるべきだということです。


ただし、ここで一つ重要な注意点があります。丁寧に書くということは、決して読者を軽視したり、バカにしたりすることではありません。そのような態度は絶対に避けるべきで、読者への敬意を持ちつつ、分かりやすく丁寧な文章を心がけることが大切なのです。


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表現方法に関しては、高橋先生から興味深い指摘がありました。単に文章の構造だけでなく、使用している単語自体にも注目し、「使い古された言葉を使っている」という批評をされたのです。しかし、先生は厳しい指摘をしながらも、「しかし、感性はわかりますよ」と温かいフォローを忘れませんでした。この姿勢は、批評と励ましのバランスを取る優れた教育者の特徴といえるでしょう。

また、文章作成における具体的なアドバイスもくださいました。特に印象に残ったのは、英数字の使用に関する助言です。正式な文章では、英数字を本文中に直接使うのは避けるべきだとのことでした。これは伝統的な日本文学の一つである俳句の世界でも同様の考え方が存在することを思い出させてくれます。文学の形式は違えど、表現の純粋さを追求する点では共通しているのかもしれません。

さらに、先生は文章と人生の関係性について深い洞察を示されました。

「文章は暮らし方が出る」

この言葉は、私たちの日々の生活や経験が、無意識のうちに文章に反映されることを示唆しています。つまり、豊かな文章を書くためには、豊かな人生経験を積むことも重要だということでしょう。

 具体的には、日ごろから小さなことに疑問を持ち、仮説を立て、観察することを心がけることだと思われます。

 最後に、先生は推敲の重要性を強調されました。読み直しの際には、より冷静な視点で自分の文章を見つめ直すことが大切だと助言されました。これは、感情に任せて書いた直後の熱い思いを、時間を置いて客観的に評価することの重要性を示しているのでしょう。この過程を通じて、より洗練された、読者に伝わりやすい文章が生まれるのかもしれません。


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