第10話 王太子の言い分

「おい、イーライ! これは一体どういう事だ!? 私という婚約者の居る身でありながら、ベンデマン公爵家のヨシュアを愛人に指名するなんて! しかも! それだけでなく、何故寄りにもよってあんな事があった昨日の今日でこの部屋に私より先にヨシュアが先に来ているのだ!? ここは王太子たる私の婚約者の部屋! 婚約者の私以外の男を、この私より先に態々招き入れるとは! いい度胸をしているじゃないか!」


 おぉー、怒ってる怒ってる。もうプンプンだな。ノックもせず無断でバンッと勢いよく扉を開け、足音高く部屋に踏み入り、ギャンギャン喚いて元気に怒り狂う王太子。ただでさえヨシュアのせいで頭が痛くなるようなこの環境下で、その煩わしい姿を見てそんな感想しか出てこなかったのだから、我ながらなかなかに図太い。まあ、現実逃避のようなものだとも言える。それか、感受性が死んでるか。どっちもかもしれない。


 そりゃそうだ。誰だって知る限り王太子はこの国において1番我儘で、2番目に権力がある、性格が幼稚な人間だ。それが怒りながら入室してきたら、面倒臭さの種を機敏に感じ取った心が反射的に閉ざされるのも、まあ分からないでもないような話だろうからな。もっとも、俺の場合そんな一過性のものではなく、普段から心が死んでいる訳なのだが、それはこの際置いておいて。取り敢えず今この状態の王太子に何を言っても無駄な事はこれまでの経験からよくよく理解していたので、俺は黙って彼に向かい礼の姿勢を取る。


「これはこれは、王太子殿下。こんな朝早くから殿下のご尊顔を拝謁できて、恐悦至極でございます」

「御託はいい! イーライ! 昨日は上手く逃げられたが、今日こそは貴様に話がある! 態々私の方から出向いてやったんだ、逃げる事は決して許さないぞ!」


 あーあ、こりゃまた長時間説教コースだな。そこに至るまでの流れは別でも、結局行き着くところは同じらしい。まったく、この簡単には流れを変えられない決まりきった物事の采配は、正しく運命というものの力を感じざるを得ないな。やれやれ、面倒事からはどの道逃れられないのか。ウンザリしつつも覚悟を決めて、王太子に罵られる為に前に進み出ようとしたのだが……。


 そんな俺の前に、王太子へと向かう歩みを阻むかの如くスッと優雅に腕が1本差し出される。他でもない、ヨシュアの腕だ。この腕は何の意味を持つ腕だとヨシュアの顔を見るが、彼は俺ではなく王太子を真っ直ぐに見つめ、先程俺に向けていた柔らかなものとは違ういかにも貴族らしい優雅で控えめな笑みを浮かべこう言った。


「恐れながらジュレマイア王太子殿下。イーライは具合が悪いようなので、丁度休むところだったのです。これから彼は医師の診察を受けて、治療を施され、休息を取るという予定が詰まっております。殿下とお話しようにも、今はいささか元気が足りなさそうなので、どうかまた別の機会を設けてください」


 え……俺、若しかして庇われてる? いやいや、まさかな。俺なんか庇っても得がないどころかそれだけで、今だと状況的にもれなく王家に反発する事とイコールになってしまって、丸っと損にしかならない。いくら公爵家子息である程度王家に対する対抗力があるからって、所詮は嫡男でもない次男坊。本人の偉大なる魔法の腕に基づく権威を持って逆らえない事はないが、だからって……。


 冗談かとも思ったが、少なくとも斜め後ろから見えるヨシュアの笑顔はそんな巫山戯た様子は見当たらない。それどころか、なんか笑顔の裏にやけに真剣な気配を感じるんだが。嘘、これって俺、マジで庇われてんの? 冗談じゃなく? ……うわぁーお、これは新体験だ。『聖魔力の保持者ならこれくらい平気っしょ!』という無根拠且つ多大な謎の信頼のせいで、幼い頃から誰かから庇われるどころか慮られた事すら記憶にない為、こういう時どうしていいのか分からないのが正直なところである。また、ヨシュアのこの行動に驚いたのは俺だけでなく王太子も同じだったようで、器用にも片眉をキリリと持ち上げてヨシュアを睨めつけた。


「五月蝿い! 私は王太子だぞ!? 私の方が立場的に偉いんだから、逆らうな! そもそも、貴様は何故ここに居る!? 曲がりなりにもイーライは私の婚約者だぞ!? 他人の婚約者の部屋をこんな朝早くからそんな風に粧し込んで訪ねるなんて、非常識だろう!」


 王太子の言ってる事は、まあ正しいっちゃ正しい。3分の1位なら。うん、驕りばかりで半分未満の正しさしか詰まってないのは流石だ。それでも、これまで寝付いてばかりだったので、まともに教育を受けていない彼にとっては快挙だろうけど。


 先ず、王太子の方が俺達よりも貴人としての位が高いのはまあ正しい。志尊の一族である王家の一員で、何より次なる玉座の主になる事が確約された、王太子だからな。でも、だからってこんな風に考えなしに威張り腐れると思ったらそれは大間違いだ。貴人としての位や序列とはあくまでも建前としてのもの。そこに伴う権威は、周囲からの支持があってこそ真に得られるものなのである。


 例えば一国の主であっても周囲に侮られていては立場ばかりが立派な傀儡になるしかないし、例え子爵位程に低い貴族位しか持っていなくとも人脈を整え周囲から慕われればなかなかに無視できない存在感を持てる。それは、人の上に立つ立場の者こそ、謙虚に自らの言動を見極めなければ真の影響力は持てないと言い替えてもいいだろう。ましてやヨシュアは王家に次ぐ権威を持つ公爵家の一員で、更にはこの国切っての優秀な魔法使いとしても名高い。これまで呪いで伏せり切りだった名ばかりの王太子よりも、余っ程実権や影響力があるだろう。少なくとも、こうして頭ごなしに怒鳴りつけていい相手ではない。


 まあでも、次の俺が王太子の婚約者だって主張は一応正しいな。本当は昨日の騒動でそのまま破棄の流れになったら良かったんだが、流石に聖魔力保持者という使い勝手のいいとっても便利な道具を、重大な過失とは言え1回の不始末を理由に、一気に処分する覚悟を固めさせるまでには至らなかったみたいだ。その流れに至る前にヨシュアが俺を連れ出してしまった、というのもあるだろうがね。


 それでも未だ俺が王太子の婚約者という立場に居る以上、他の男、それも婚約者が自ら愛人に指名した男が直接部屋を訪ねているというのは外聞が悪いというのも常識的に考えて分かる話だ。婚約者も愛人も浮気にノリノリって思われても仕方ないシュチュエーションだもんな。王家の面子丸潰れである。俺としてはそれで構わないが、ヨシュアにとってはよくなさそう。いや、何故か本人は特に不満はなさそうだしそれどころか前のめりっぽいけど、俺が思うに社会的にまずいだろ、って感じ。


 でも、だからってヨシュアが態々粧し込んで俺の所に来たかと言うと、それはそれで疑問符が着く。だって俺が今まで戦い一辺倒で服飾系やその場に相応しい服装ってやつの知識が足りていないのを差し引いても、今のヨシュアの格好は貴族として他者の元に尋ねていくに相応しい、それなりに礼節を尽くした装束を纏っているだけだ。頭のてっぺんから爪先まで見ていたって、過度に華美なようには見受けられない。少なくとも粧し込んでいる、という表現は適切ではないように思えた。


 だからこそ、ヨシュアが粧し込んでいる、というのは完全に王太子の思い込みによってそう見えているのだと判断せざるを得ない。だがしかし、まあそう思ってしまうのも無理ないのかもしれない。これまで呪いでずっとベッドの上の住人だった王太子殿下。彼が身につけるものと言えば寛げる事を1番の目標に掲げた、着やすいように緩い締めつけでゆったりとした、重苦しさの原因となりうる物を一切取り払った簡素な寝巻きばかりだったのだから。ヨシュアの男らしく体の線にピタリと添った、勇ましく輝く飾緒が目に眩しい正装は、馴染みがなく王太子の目には無駄にギラギラと見えているのかもしれない。飾緒の材料である金銀糸は、一応だが物理的に光ってるし。公の場に出たことがないのだから、煌びやかな装いを見たのだって昨日のパーティーが初めてで何も分かっていないだろうし。


 まあ、朝早くに訪ねて来た点については確かに非常識と言わざるを得ないだろうが、さっき説明された理由を聞いた上で俺が特に気にしていないのだから、この場では問題にすらなっていない。少なくとも、普段から俺との交流なんかより浮気相手とイチャコラする方に熱を上げてる王太子には、文句をつける権利はないと思う。どうせヨシュアが王太子を気にせず俺を尋ねた事で、自分の権力が蔑ろにされたと思って騒いでるだけだろ。あー面倒臭い。


 なにはともあれ、王太子の怒りは婚約者である俺の元に間男候補のヨシュアが居るという点においては、成程確かに正当なものと言えよう。しかし、他のあれそれは完全に、前々から遠縁で自分よりも優れたヨシュアを妬み嫉んでいた王太子の、やや無理筋な言いがかりのようにしか思えなかった。事実、王太子がこの優秀な公爵令息にあれこれ妬み嫉みを抱いているのは昔っからの公然とした事実だ。王太子は世間で活躍する人間なら誰だって恨んでいたが、僅かながらも血が繋がっていて魔物の討伐で大いに活躍しているヨシュアに対する陰湿な感情は特に酷かったからな。


 俺の読みによるとこうして王太子が無駄に尊大なのは元の性格も大いにあるだろうが、今こうしていつもよりはっちゃけているのにもまた別に理由があると思う。どういう事かと言うと、彼は長年体を呪いが蝕んで弱っている状態なのが普通だったのに、いきなりその呪いが解けて元気が有り余ってテンションがぶち上がっているのだろうと思うのだ。つまりは、現在王太子は、他人に突っかかって行く程に暇で元気が有り余ってる、という事だ。何ともまあ羨ましい事で。


 何にせよ元気になって早速やる事が他人への攻撃だなんて性格のねじ曲がった人間の相手なんざしたくもない。その性悪が下手に権力と立場を持った王太子なら、尚更だ。ヨシュアだって同じ気持ちだろう。ここは素直に謝って、引いてもらうのが得策だろうな……。しかし、この気位の高い王太子様の傲岸不遜な物言いに、ヨシュアは一切怯む事はなく自然な動作で俺を背中に庇うように体を動かす。チラリと見えた青い瞳には、何が何でも引くつもりはないというのが丸分かりの、強い意志が見える。やれやれ、これは長くなりそうだぞ……。

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