第9話 なんでここに居るんだよ?

 どうしてヨシュアがここに居る。どうせ相手は礼儀知らずの王太子だと思っていたから、まさか彼とは思わなかった。これはちょっと予想外だ。今しがたまでヨシュアと押し問答をしていたらしい侍従が、困り果てた顔をこちらに向けてくる。その縋るような目を止めてくれ。そんな目をされても、俺だって全く意味が分からないんだが。


「あのー、ベンデマン殿……。こんな朝早くから私の部屋に一体なんの御用ですか?」

「何を水臭い事を言ってるんだ。昨日の事をもう忘れたのかい? 公衆の面前で陛下に対し、君は私を愛人にと指名しただろう? 早速役目を果たそうと馳せ参じたのに、喜んでくれると思いきや眉1つ動かさないとは。相変わらずイーライはどんな時も冷静なんだね」


 いや、どんな感情もちょっとやそっとじゃ顔に出ないくらい普段から表情筋を使うのをサボっているだけで、一応内心かなり驚いてはいますが? 何にせよヨシュアの口からとび出た甘く親しげな言葉に、俺は思わず反射で手が出そうになったのを既のところで堪えた。勿論、手を出していた場合その手は拳を握っているし、衝動が我慢できていなかったら、顔は流石に気が引けるが腹に1発重いのをお見舞していただろう。


 別にかけられた言葉が嫌だっとか、気持ち悪いと感じた訳けじゃない。ただ、これまで誰からもここまで親しみを込めて優しく接せられた事がなかったので、混乱が極まってついつい武力に頼って全てをなかった事にしたい衝動に駆られただけだ。ほら、恥ずかしさのあまり耳に手を当ててあーあー大声出したりとか、そういうのあるだろう? あれと同じだ。俺の場合は相手をぶん殴る事で恥ずかしさを紛らわせるが、ヨシュア相手にそうしないだけ自分が理性的な人間でよかった。


 流石に魔法に長けているこの国1番の魔法使いでも、俺の莫大な聖魔力をふんだんに纏わせた渾身の1発を食らったら、簡単に吹っ飛ばされる。そうなりゃよくて全身打撲、悪けりゃ挫滅どころか跡形もなく消し飛ぶだろう。甘い言葉に慣れていないからって、裏にどんな意図があろうとも仮にも優しく接してくれた相手を痛い目に合わせるのは、いくら何でもやっては駄目な事だというのくらい俺でも分かる。


「君に早く会いたくて非常識なのを承知の上で朝早くから押しかけて来たのだけど、君が起きるまでここで待たせてくれって頼んだのに侍従達が承知してくれなくてね。それで、ここで色々話し合ってたところなんだ」


 ああ、なんだ。部屋に押し入ろうとしてた訳じゃないんだな。そこは一応線引きしてたか。それでも、寝室の隣の部屋で待ちたいって言ったらそりゃそうもなるわ。だって俺は仮にも王太子の婚約者。そしてヨシュアは昨日俺が大々的に愛人にと求めた相手だ。プライベートな空間で会わせるどころかどっちかがどっちかの元を訪ねたってだけでもかなり外聞が悪い。この訪問を知られたら、きっと王家の面々は気分を害するぞ。


 その時怒りの対象になるのは事の発端を作った俺だけでなく、愛人関係に前のめりの姿勢を見せているヨシュアや悪くすれば彼の実家のベンデマン公爵家もだ。かなり難しい判断を迫られる立場なのに、なんでヨシュアはこんなに嬉しそうなんだよ。ていうかそもそも、こいつなんでここまで俺との愛人関係に乗り気なんだ。普通の人間なら勿論、気位の高い貴族の子息だったら尚更、普通に考えてこんな不名誉で厄介なだけの役目なんて嫌がるもんだろうに。


「ベンデマン殿。どうか侍従達を責めないでやってください。彼等なりに自らの勤めを果たそうとしただけですので」

「勿論、そんな事する気はサラサラないとも。それぞれの立場はよく分かっているつもりだからね。それより、その他人行儀な話し方はいつまで続けるんだ? 私はイーライにもっと気楽に接して欲しい」

「ですが」

「私を愛人にと望んだのは、他でもない君じゃないか。親しくあって当然の愛人相手に敬語なんて、こんなおかしな話はないだろう?」


 えっとぉ……。これは若しかして、俺は遠回しに嫌がらせを受けているのか? 変になよっちぃ言葉をかけて、巻き込んだ意趣返しをされている、とか。そう考えるのも我ながら無理ない。だって俺の知るヨシュアは、まかり間違ってもこんな甘さを含んだ声音で喋りかけてくるような人間ではなかった。


 実直な人柄をしており、王太子の婚約者の立場に納まっているだけの平民である俺のみならず、どんな相手にも丁寧且つ誠実に接する人だ。その様子は馬鹿真面目、と言い替えてもいい。偉そうに語れる程これまでヨシュアとの関わりはなかったが、だからってこんな軟派な言葉を紡げるような性格ではなかったと思うのだが……?


「……お風邪でも召されましたか? それで、熱でもあるとか?」

「私が病か熱に浮かされて軽挙妄動を行っていると、イーライは考えているのか? まさかそんな訳ないと、本当は君も分かった上で聞いているよね?」


 柔らかな微笑みを美々しいおもてにまるで花開くように浮かべ、ヨシュアはこちらを見ている。絵に描いたように完璧な貴公子に相応しい金髪碧眼、皓歯明眸の偉丈夫にそれをやられると、一気に周囲の空気まで纏めて明るくなったような気がするから不思議だ。これには思わず先程まで押し問答していた周囲の侍従達もほぅ、と簡単の溜息を漏らす。


 しかし、だからと言って俺は警戒を緩めたりはしない。華やかな笑みを浮かべていながら、その実ヨシュアの青い瞳がいつかの時に迫り来る魔物の大群を一瞬で屠ったのと同じく冷徹な光を宿しているのなら、尚更だ。よく知る間柄ではないので断言こそできないが、その瞳を見るにヨシュアがなにか企んでいるような気がしてならない。その企みが俺にとっていいものなのか悪いものなのか分からない以上、安易に気を抜く訳にはいかなかった。


「……ベンデマン殿」

「ヨシュアと、どうかそう呼んでくれ」

「……」

「さあ、遠慮せず。勿論畏まった話し方も、私たちの間には不要だよ?」


 こいつ、何がなんでも俺が気安い態度を取るまで話を先に進めさせないつもりだな? 今までの辛うじて直接呼びあった少ない機会には、互いに『フレネル殿』『ベンデマン殿』と呼びあっていて、ファーストネームなんて少しも呼びあわなかったってのに。


 一応魔物の討伐隊の一員として活動している時は、産まれ持った爵位ではなく各々自分自身の実力によってのみ立場を確立できるという習わしだった。だからこそ爵位や立場でなく家名やある程度親しくなればファーストネームで皆呼びあっていたが、だからといってそれは討伐隊内だけでの事。また別の時や場所に移ればそれぞれの暮らしや立場があるので、最低限の礼節、それこそ王太子の婚約者たる俺とベンデマン公爵家令息のヨシュアは必要以上に馴れ合ったりはしなかったのだ。けれど、どうにもこのままだと話が前に進みそうにない。……譲れるところは譲るべきか。譲りたくはないけども。妥協ラインを見つけ、俺は静かに口を開く。


「分かった、ヨシュア。これでいいか?」

「フフッ、ようやく私の名前を呼んでくれたね? 嬉しいな。さて、お次は朝食を食べながら親睦でも深めようか……と、言いたいがそれはなしだ」

「は? 何故だ?」

「だってイーライ、君は今具合があまり良くないだろう?」


 ヨシュアのこの言葉に俺はまた驚くしかない。何度も繰り返すようだが俺は感情が乏しく、またそれが表情に出難い人間だ。確かに今は体調が悪いがその事は顔色にも表情にも出ていないと思っていたのに。いや、実際出ていないのだろう。現にヨシュアの言葉を聞いた侍従はそんなまさかといった様子で目を見開いてこちらを見ている。


 彼等の目にはいつも通り飄々として無表情の俺しか映っていないに違いない。それならば何故、ヨシュアは俺の異変に気がつけたのだ。まさか、先程の冷たい目はなにか企んでいるのではなく、こちらの様子を探っていたのか? それこそ、俺の体調が悪いのを疑い、看破しようとして。……まさかな。これまで誰にも本心や感情、体調を見抜かれた事などなかったのに、ここに来ていきなり見破られて堪るかってんだ。


「少しでも早く2人の今後を話し合おうと思って訪ねてきたんだが、君の体調が悪いならまた今度にしよう。それより、早く回復するように滋養のある薬草でも調達させた方がよさそうだ」

「いや、そんな事ヨシュアに迷惑だろう」

「まさか。迷惑なんてとんでもない。確かに話し合いを早めにするに越した事はないが、だからって君の体調を優先させるくらいの余裕は流石にあるよ。勇者とはいえ君だって生きた人間なんだから、体をもっと大事にしてくれ」


 そんなヨシュアの言葉と気遣わしげな態度に、なんだか胸の辺りに変な違和感を覚えたのは何故だろう。聖魔力を宿した便利な魔物を駆除できる道具として他人から頼られてばかりの人生で、自らの身命の安全や平穏を気にかけようなんて、これまで思いもしなかった。貴重な聖魔力を宿して産まれてきた以上、それは当たり前の事だとずっと信じて疑わなかったのに。ヨシュアの台詞を聞いていると、まるで自分が世人のように当たり前に心配されているような気がしてきてしまう。俺は胸に覚えた違和感はヨシュアが先程までの浮ついた喋り方をいきなり引っ込め、いつも見せていた雰囲気にふさわしい落ち着いた喋り方をするようになったからだと、無理矢理自分を納得させた。軽く頭を振っていつしか俯いていた顔を上げると、何故かヨシュアが少しだけ悲しそうな表情を浮かべこちらを見ている。お次は一体なんだというんだ?


「ヨシュア?」

「……イーライ、私は……。今度こそ君を……」

「おい、イーライ!」


 ヨシュアの声は突如乱暴に開けられた扉の開閉音と、俺の名を呼ぶ怒鳴り声に掻き消される。それ等に反応してバッとそちらを見遣れば、今度こそそこに居たのは。


「ジュレマイア王太子殿下……」

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