第8話 来訪者

 やれやれ、一体全体何なんだ? まさかこんな朝っぱらから昨日の仕返しに、早速国王か王太子が嫌がらせに手勢の誰かを送り込んできたんじゃ……。それか、態々時間を作って自分で乗り込んできたのかも。考えたくないが、充分有り得る。というか、なんなら王家自ら手を下しに来た可能性の方がかな。高い。それだけ彼等はプライドが高いからな。この上なく高貴だと自負している己に煮え湯を飲ませてきた相手なんて、自ら手を下さないと気が済まないだろう。


 まったく、これでも俺は忙しいってのに、王族ってのは俺と違って随分と暇なんだな。勿論今のは皮肉だ。本人達の目の前で口に出すのではなくあくまでも1人で脳内で呟くだけなのは、俺が意気地無しだからと思ってくれていい。勿論、本質としては面倒だからのただその一点だけが理由なのだけれど。取り敢えず聞こえてくる声の様子からするに、来訪者への応対に困っているらしい俺付きの気の毒な侍従達を助けるべく、今度こそ重い腰を上げ扉に向かう。


「ですから! ……は禁制で、……いくら……とは言え……」

「いえ、そういう問題では……! ……はまだお休みに……」


 漏れ聞こえてくる侍従達の声は、どうも焦りつつも突然の訪問者らしい誰かが何かしようとしているのを止めているようだ。こんな朝早く、日も昇りきらぬ内からなんとも忙しない。聞こえてきた言葉の切れ端達を読み解くに、ひょっとすると相手は俺が休んでいる寝室にまで足を踏み入れようとしたのかもしれないな。


 いくら何でもまだ休んでいる他者の寝室にまで踏み入ろうとは、全くこの誰かは躾がなっていないな。例え家族の間柄だろうと普通躊躇するぞ。侍従が必死に丁寧な言葉で相手をし押し止めている事から察するに相手はそれだけの身分で、これだけの礼儀知らずで傲慢な立ち振る舞い。まさかとは思うが、王太子か? それはまたなんとも面倒な。でも、何だかんだ可能性としては一番有り得てしまうのが恐ろしい所だ。あの人は本当に躾がなっていないから。


 そもそも前回の人生で俺の休暇が名ばかりのものとなり形骸化したのだって、王太子が婚約者の立場と王太子の威光を錦の御旗に俺に付き纏ってきて、俺やその周囲の環境をしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回したからに他ならない。先ず国王から1年の休暇を賜った俺は、これまでいいように使われ酷使され続けだった生活から1年の期限付きとはいえ一時的に解放されて、安心感から一気に体調を崩し祝勝パーティーの翌日にはもう早寝込んでいた。


 別に虚弱ではないしなんなら魔物に立ち向かう為に鍛え続けていて体は丈夫な方だったが、だからと言って積み重なった疲れまでは如何ともし難い。それが物心ついた頃から蓄積し続けた疲労なら、尚更。全身の気だるさと気分が晴れず重く感じる頭に、気持ち悪さのあまり寝付く事すらままならず、俺は仕方なくベッドの中でまんじりとせず大人しくしていたのだが……。寝付いて3日目辺りに、突然先触れもなく王太子が俺の部屋に乗り込んできたのだ。


 長年積み重なった疲れが少しの休みで取れる訳もなく、むしろ調子を崩し始めた事でその綻びから一息に限界までまっしぐら。あの時の俺はベッドの上に起き上がる元気すらなかった。窓から差し込む日光の刺激にすら頭が痛むようで、窓のカーテンを締め切り薄暗い部屋で安静にしていたところに、大声で怒鳴りながら登場したのが王太子である。


 具合が悪いのを隠せてもいない俺を怒鳴りつける王太子の言う事にゃ、どうもこういう事らしい。曰く、態々褒美として休みを与えてやったのに、婚約者であるこの私に休みに入る前の感謝と挨拶がないのは何事か、との仰せだ。いやいや、いくら婚約者とは言え一々仕事の休みに入る前の感謝や挨拶なんて要るのか? そんな礼儀、初めて聞いたぞ? よしんば世故に長けていない俺が知らないだけで本当にそんな礼儀があったとしても、指摘する際にこうして朝早くから先触れもなしに相手方に怒鳴り込むような無礼のお手本を示してちゃ、格好がつかないだろうに。しかし、その時の王太子はそんな事も分からなかったようだ。


 今思うに、きっと王太子は呪いが解けて突然健康になってたお陰で得た自由とパワーを持て余し、暇潰しにいっちょやったるかの精神で俺に絡んできたのだろう。気に入らない奴にアヤをつけて、どんな些細な間違いも許さない清廉潔白な王太子として、いっちょアピールしたるか! みたいな。やれやれ、その情熱を普段から、次期王位継承者としてもっと将来の為の勉学とかに向けてくれていたら良かったのにな。


 まあ何にせよ、王太子が前回よろしくまた今回の人生でも怒鳴り込んで来たのなら、侍従達にその相手をさせるのはちょっと可哀想だ。彼等は一介の雇われ人でしかないのだし、雇い主一家である王家の我儘息子である王太子に怒りと共に絡まれるなんて、生きた心地がしないだろう。ここは一応婚約者の俺が場を収めるしかあるまいて。


 前回の王太子は俺の部屋に無理矢理踏み込んでくるや否や怒鳴り散らし、体調不良で俺が動けないのを見咎め『婚約者で王太子たる私の目の前でだらしなく寝腐って気を抜くとは何事か!?』と憤った。その後青い顔で起き上がるのもままならない俺を強引にベッドから引き摺り出し、薄い寝間着を身に付けただけの履物も許されず裸足の姿で冷たい床に立たせ、長々と説教を始めたもんだから堪らない。気分が悪くて俺の意識が遠のき倒れそうになってフラつく度、王太子は一際声をはり上げ生き生きと嬉しそうにたるんでいるぞと俺を罵った。お陰で王太子の気が済んでようやく開放された頃には、ただでさえ不調だった俺の体調は完全に悪化していたくらいだ。


 その後、この無礼に対する反省の意は態度と行動で示せと、王太子はを要求してきたのだが……。それもあって俺は更に体調を崩すわ折角の休暇が吹っ飛ぶわで散々だ。おまけに他人の模範となるべき王族の一員である王太子が率先して俺の休暇を蔑ろにしてポンポン気軽に用事を言いつけるもんだから、俺の休暇はあくまでも建前なんだな! と、勝手に都合よく解釈したその他の周囲までもがどんどんあれこれ用事を言いつけてくるようになった。その結果、事実上俺の休暇が丸事消し飛んだんだから本当に勘弁して欲しい。自分が簡単には替えのきかない立場に居るのは重々承知しているが、だからって気軽に約束を反故にされては困る。その理由が王太子の暇潰しの為の思いつきに起因しているのなら、尚更だ。


 まあ今回は幸か不幸か踏み躙られるような休暇は元々ないので、用事を言いつけられても仕事に忙しくて暇がないと突っぱねられるだろうが。いや待てよ。よく考えたらそもそも俺に用事や仕事をいいつける上司的立場はこの国を統治している国王、引いては王族、つまりは王太子もそこに含まれている。だったら国王からの仕事を任されつつ王太子の用事もキッチリこなすように命じられ、最初からそれを前提に過密なスケジュールが組まれてしまうんじゃ……。ああ、嫌な予感に寒気がする。


 そうでなくとも国王は一人息子で自分のせいで産まれて直ぐに呪われていた王太子を猫可愛がりしている。王太子に頼まれたら大概のお願いは無茶を通してでも叶えようとするだろう。また、即座の死刑を狙って態と不興を買おうとした昨日の一件もある。それらの事情を考慮するに、今回も俺の人生に平穏が訪れる日はまだ遠そうだ。


 あーあ。早速気が重いがここで行かない選択肢は俺には用意されていない。だってそれじゃあ俺の代わりに矢面に立たされ、あの我儘王太子の相手をさせられている侍従達があまりに不憫だ。流石に面倒事をそうと分かっていながら他人に押し付ける図太さは俺にはない。自分が普段面倒を押し付けられる立場で、誰にも助けて貰えない辛さを分かっているのだから、尚更。


 溜息を押し殺しつつ扉の前まで歩いていく。王太子にだらしがないと文句をつけられそうなので、欲を言えば寝間着から礼服とまではいかないまでもせめて普段着に着替えておきたかったが、扉の向こうから聞こえる侍従達の声の切羽詰った様子から察するに、時間がないので妥協しよう。暖かなベッドの中ならいざ知らず、寝巻きだけで立ちんぼさせられ説教を受けるのに適した体調ではないが、これも我慢するしかない。問答無用でベッドから引き摺り出された前回と違ってスリッパを履ける分マシだし、前回耐えられたからには今回も耐えられるに違いないと俺は自分を信じているぞ。覚悟を決めてドアノブに手をかけ、扉を開く。そして、その先に居たのは……。


「ああ、イーライ。おはよう。済まないね、五月蝿くしたから起こしてしまったかな?」

「……は?」


 口から思わず間の抜けた声が出る。それもその筈俺が寝室からでた先に居たのは予想していた王太子その人ではなく、起き抜けに見るには少々眩し過ぎる完璧な笑顔を浮かべる美丈夫、ヨシュアその人だったからだ。訳も分からず固まる俺に、酷く困惑した様子の侍従達。そんな俺達の前で、ヨシュアだけが余裕綽々な様子で常にない笑顔をこちらに向けてくるのであった。

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