第7話 とんでもない発言がもたらした結果

 チュンチュンという子鳥の囀りを耳に聞き、清らかな朝日の中で目を覚ます。窓から差し込む朝日と、室内にできた影の対比ですら、なんだか清浄で尊く見える。……ような、気がする。生憎と俺にはそういったものを具に感じる情緒が備わっていない。戦場暮らしが長く、そこで生き延びるのに必要なかった感性は、とっくのとうに捨て去ってしまった。そうして俺はベッドの上で布団に包まれたまま、寝起きでボヤける思考を総動員し、昨日起こった事を反芻し始めた。


 えーっと、確か昨日は魔物の王を斃した祝勝パーティーがあって、そこで俺は自らの死刑の為に不況を買おうとヨシュア・ベンデマンを愛人として褒美に要求したんだっけ。そしたら案の定国王や王太子は怒り心頭で反応は好調。周囲もいい感じに俺のトンデモ発言にドン引いて、これで己の死刑は確実だとこっちはホクホクだった。ああ、これで死ねる。面倒事全部から、この世と共に永遠におさらばだ! そう、安楽に考えていたのに。


 そんで勢いもそのままに最後の仕上げで駄目押しをしようとヨシュア本人に『賢い君ならこの愛人の誘いを受けてくれるよね?』って周囲に当て擦りながら持ちかけた。当然これは手酷く断られる。それによってヨシュアや彼の実家のベンデマン公爵家は身の潔白を証明し、対して俺はその傲慢さを挫かれ恥をかいた。名誉も尊厳も自らの愚かな行いのせいで失って、俺は自業自得の流れで処刑される。……筈だったのに。何故かヨシュアは綺麗で完璧な微笑みを優雅に浮かべ、胸に手を当てながら『光栄だ』と俺の誘いを受け入れたのだ。


 いや、何で? 有り得なくない? 相手の俺は仮にも王太子の婚約者の、綺麗でもなんでもない長きに渡る戦いばかりの生活の中で、ゴツく逞しく傷だらけになった可愛げもなんにもないただの男だぞ? よしんば伴侶として求められ夫婦になりたいと言われても、俺が元は平民で尚且つ王太子の婚約者である事からもそれは難しい。ヨシュアの心情的にも、こんな精神が荒んでいて傷物の同性と結ばれるなんて、頼まれたって嫌だろう。それなのに更には愛人って。名誉を重んじる帰属にとって、この上ない侮辱的申し出だ。その事を思えば俺なんて、国の上層部に恨まれ貴族連中に顰蹙を買ってまで、愛人契約を結ぼうと思うような相手では断じてない筈なのに。


 現にヨシュアの家族であるベンデマン公爵家一同は、先ず俺の言葉に度肝を抜かれ、次いでヨシュアの返答に天地がひっくり返ったかという程驚いていた。俺は彼らがやって見せるまで、人が驚いて飛び上がるのはフィクションの中の誇張表現だけかと思っていたぞ。それぞれが我に返ると男性陣は口々にヨシュアに思い直させようと食ってかかったり、女性陣に至ってはショックで泣いたり失神したり。もう滅茶苦茶な騒ぎになっていたっけ。いくら公爵家とは言え王家と気まずくなりかねない家門の危機だし、普通に考えて道義的にも到底許せる事でもないのだから、そうなるのも当然だ。


 しかし、そんな一連の騒動をヨシュアは意に介した様子もなく飄々と流し、何とか止めようとする周囲を振り切り言い出しっぺなのに予想外の展開について行けず固まる俺の前までやってくると、恭しく目の前に跪き俺の手を取ってそこに口づけてきたではないか。その貴公子然とした一連の動作に、もうこっちとしては絶句するしかない。だってまさか自分の失礼極まりない申し出が受け入れられるとは露程も思っていなかったのに、手酷く断るどころかなんなら向こうは見る限りじゃ結構ノリノリなんだぞ? これは一体何なんだ。全く訳が分からない。この騒動を仕掛けたのは他ならぬ自分なのに、目の前の想定すらしていなかった展開に固まってしまう。


 そうして何とかヨシュアを正気に戻そうと大騒ぎする周囲を尻目に、ヨシュアはニッコリと美しく笑うと彼等に背を向け手に取った俺の手を握り直し、国王に一方的且つ最低限の挨拶だけするとそのままその場を後にした。手を握られているので当然俺もそれについて行かざるを得ない。結果的に形だけ見れば、俺はヨシュアと手に手を取り合い反対する人達に背を向け、仲良く広間を後にしたのだ。そこだけ見れば、正しくそれは愛の逃避行。……いや巫山戯るなや。俺が知る限りいつもクールに振る舞っていて、俺に負けず劣らず表情の変化に乏しいヨシュア。そんな彼が初めて俺に見せた満面の笑みに度肝を抜かれている間に、気が付くと全ては終わってしまった後だった。


 その後ヨシュアは戦線に出ずっぱりで確かな家がない俺の、王都での滞在中に使う仮住まいとされている客室がある離宮の前まで送ってくれ、そこで真心が籠っているとしか思えない夜の挨拶の言葉を述べ紳士的に別れた。その間俺は呆然としたままだ。状況に思考が追いついていない。結局その晩は混乱が落ち着く事はなく、頭の中がしっちゃかめっちゃかになったままフラフラと寝支度を済ませ、そのまま現実逃避気味に寝て目が覚め現在に至るのだが……。うーん、今思い返しても訳分かんな過ぎて、考えるだけで益々混乱するな。


 さて、何にせよもういい加減起きて支度をしなくては。今回の人生では褒美として休みを願わなかった為、前の人生とは違って堂々と魔物の残党狩りに駆り出される筈だ。昨日不興を買ったはいいものの、何だかんだ死刑にまでは至らず印象を悪くするだけに終わってしまったのだから、尚更。きっと腹いせとして嫌がらせじみたというか、嫌がらせそのものの命令を下されるだろう。もう王家の血が流れる子を俺に産ませる、なんて考えすら捨てて兎に角侮辱してきた俺を殺したい。そんな考えの下不幸な戦死を狙って残党狩りをさせられまくる事すら十分に有り得た。なんにせよ、前の人生より忙しくなるのは確定だ。こうしてグダグダしている暇なんてない。


 休みなんて建前だけとは言え一応ある程度纏まった休息は取れていた前回と違い、今まで以上に戦わされる事すら見込まれる今回、長年の激務で酷使され酷く痛めつけられた俺の体がどこまで持つか。もしかすると、死刑とか戦死を待たず過労死するかも。……しんどいのは嫌なのであんまり気は進まないが、それでもまあ最後には死ねるならいいのか? どうせ面倒でしんどいのなら、いっそその前に自殺するのもありかも。王家だって反逆者が惨めに自死を選んだら、ある程度は溜飲を下げてくれるかもしれない。まあそれは分からないが、どの道やるしかないだろう。なんにせよ俺に選択の余地はない。


 つらつらと、取り留めとなく流れていく思考をある程度のところで切り上げて、布団の中で伸びをする。よし、と心の中で区切りをつけて上体を起こし、ベッドから出ようと足を下ろした。俺は後何度、こうしてベッドで寝起きできるだろう。……うーむ、考えるだけ無駄か。ベッドどころか戦場で血の染み付いた固い土の上で寝起きする回数の方が多いのは、どう考えても明らかだ。そんな事気にするよりも、残り少ないであろうベッドを使える安らかな経験を大事にしよう。俺にできる事といったらそれくらいだ。


 さて。顔を洗う水を張った盥の用意を侍従に頼んで、その間に今日着る服を自ら用意して……なんてこれからの段取りを考えていたら、ふいに焦ったような人の声が微かに聞こえてきた。なんだか部屋の外……寝室に続く主室の方が騒がしい。どうにも部屋の外から人の言い争うような声が聞こえてくる。一体全体なんだろうか? ボンヤリと天井に向けていた視線を、部屋の出入口に当たる扉へと向ける。騒ぎのあった昨日の今日でやや気疲れしていたが、どうやら騒動は俺を放っておいてくれないようだ。その事を、俺はこの時部屋の外まで来ていた人物によって、思い知る事になる。

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