第3話 やり直しの目標

 これは一体どういう事だ。自分は絞首刑にされて死んだと思っていたのに、何故かこうして魔物の王を斃した運命の転換点に戻っているなんて……。兎に角、何もかもがおかしい。だって目の前で起きている現象について、全く筋の通った説明ができないじゃないか!


 もしや死に際に見る過去の走馬灯か? 自分では何ら興味がないつもりでも、無自覚の内に俺は魔物の王を斃したあの瞬間を誇りに思っていて戻りたいと願っていたのか? とも思ったが、その割には踏みしめた地面の感触や手に残る魔物の王の体に剣を突き立てた感覚はやけに鮮明で、とても現実ではないとは思えない。むしろ絶命の瞬間まで纏わりついていた、首に食い込む縄の感覚の方が遠く感じられるくらいだ。


 いや、というか魔物の王を斃したこっちの方が現実だろう。絶対そうだ。だって様々な感覚が幻とは思えない程に鮮明なのは勿論、周囲で人類の悲願達成に歓喜する周囲の様子が、あまり詳しく覚えている訳ではないがどうにも記憶の中の様子と一致するんだぞ? 俄には信じ難いがこれはもう走馬灯と言うより、理由は分からないが何故か俺は過去の魔物の王を倒した瞬間に戻ってきてしまった、と考える方が自然だろう。


 何で……。なんでこんな事に……。まさか、女神様の思し召しか? 天の高みに御座すという、この世を創りたもうた全知全能で慈悲深い女神様。神代も遠くなり女神様とお心を通わせられる手段もとうに消えて久しいと言われているが、偉大なる女神様の慈悲の心はいまなおこの世に広く向けられているという。


 その女神様が、世を広く乱す魔物の王を斃した褒美に、そして偉業達成から1年足らずで冤罪により死刑になった俺を哀れんで、もう一度人生をやり直す機会を与えてくれたのか? いくら何でもあんまりだから、やり直したら? みたいな感じで。


 荒唐無稽な推測だが、俺の出来の悪い頭ではそれくらいしか目の前の後継に対して納得のいく説明は捻り出せない。聖魔力をその身に宿すのは女神様のお気に入りの人間だって言うし、だからこそ俺は特別扱いして貰えたのかも。


 女神様によって与えられたと思しきやり直しの機会。過去に戻ったからには、俺はこの先の人生をいくらでもやり直す事ができる。これから訪れる冷遇や不幸を全て予測し対策を立て、跳ね除けるのも思いのままだ。


 1度目の人生で俺を冤罪で死刑に処した奴等への復讐は勿論。その先にある死刑の未来だって、きっと変えられるに違いない。俺は、多くの人間がどれだけ願っても与えらなかった、人生をより良くやり直す機会を手に入れたのだ。……え、何それ面倒い。


 多くが望もうとも決して与えられなかった機会を、恐らくだが、態々女神様から与えられたのにこんな事考えるなんて、不敬で傲慢だとは一応分かっている。だが、分かっているがその上で面倒だと思うのはもうどうしようもないだろう。


 俺は別に今更やり直したいと思う程自分の人生に執着や思い入れはない。死刑で終わった不遇な前の人生にも、正直心残りすらなかった。それこそ、吹っかけられた冤罪にも碌に反駁しなかったくらいだ。お陰で死刑に至るまで、かなりスムーズだったぜ。


 幼い頃から滅私を徹底させられ我欲を捨て続けた結果、無気力な人間になってしまった俺には自己の為の欲求というものがない。美味しい食事を食べたい、フワフワの布団で好きなだけ寝ていたい、美男美女を侍らせたい。普通なら持っているであろうそんな願望が何1つとしてないのだ。


 そうして当たり前の欲求が死滅する程他者に尽くし続けたのに、最後には冷遇され理不尽な扱いを受け、自分が不遇の内に死んだというのは理解できる。理解できるがだからなんだという感想しか湧かない。俺にとって自らの命は不当な扱いを受けたからと言って、それを憤る程価値あるものではなかった。


 前の人生に満足しているのかと問われればまたそれとは違うが、本当に全く不満とか後悔がなにも思いつかないのだ。これは幼い頃から多くの理不尽に揉まれ、あるがままを受け入れ続けるしかなかった人生を送ってきた結果だろう。伊達に周囲から感情の起伏に乏しく、人形みたいで気味が悪いとは言われていない。流石に全くないとは言わないが、欲求云々以前にそれが沸き起る根源の、感情すら俺は著しく欠いているのだ。


 強いてなにか欲求を上げるとすれば、どうせ死ぬなら面倒事は全部すっ飛ばし、とっとと死んで何も考えず無になりたい、といったところだろうか。そんな無気力人間だからこそ、前の人生では水からの死刑の処分に対して抵抗をしなかった。だからといって今直ぐ自刃をする程の情熱もないのだから、もうどうしようもない。過程の拷問派少々堪えたが、ぶっちゃけ勝手に命このを終わらせてくれるのなら、と死刑を受け入れていた節さえある。本当に我ながらどうしようも無い人間だな。


 ……ん、待てよ? やり直し、という事は……。若しかして、また最初っからあの冷遇の流れを繰り返すのか? 周囲から冷たくされ、虐められるのを、約1年かけて? えー……。やっぱり、それはちょっと流石に面倒だな……。最後の1年はいよいよ体のアチコチに長年の無理が祟ってきてしんどかったし、そういう意味でもあれをもう1回やるのはちょっと。生きるのも死ぬのも面倒臭い、だから他人に流されるがまま自分の命の行く末さえも他人に委ねてしまう。そんなだらしない俺が、あの煩雑でギスギスした針の筵をもう一度経験したいと思う訳がない。


 そもそも積極的に生きようと思わないのだって、元を正せば苦しみを長らえさせない為だし、態々苦しい思いをしたい訳ではないのだ。最後に至る結果が死刑と最初っから決まっているのなら、面倒でダルい過程なんて一気に飛ばしてサクッと殺して欲しかった。その方がお互い余計なストレスが減って、超ハッピー。時間と手間の無駄が省けるというものだ。


 過去に戻って何かやり直したいなんて言える人間は、その先に用意されている未来に希望が溢れていると思っているからこそ、そんな事が言えるのだ。例えば不治の病にかかっていて、これから先長く苦しみ続けるだけの人生が確約されているのなら、長生きしたいと思う人間は少ないだろう? 俺も似たようなものだ。残念ながら俺は未来に希望を見い出せる程、これまで自分の為に生きては来なかった。


 不思議な運命の巡り合わせによって何故かもう一度授かった人生。しかし、俺はそれをやり直したくもなければ、長引かせたくもない。だってやり直しでもしょうがないし。やりたい事、なし。周囲と分かり合う努力、面倒。人生における希望、皆無。それならもう、死ぬしかないだろう? せめて人生の全てを差し出す事を強要させられる前なら、なにか違ったかもしれないな。だが、今更やり直すには何もかもが遅過ぎだ。


 そうと来ればこれからやるべき事は明白。過程を促進させて結果を手に入れるのを早める事だ。これから起こる事が分かっていれば、それくらい簡単だ。とっとと不況を買って、冷遇をろくに味わう事なくサクッと死刑にしてもらう。


 欲を言うなら、そうだな……。死刑の前の拷問だけはなしにして欲しい。前の俺が惨い死刑の方法を取らされたのは、1年かけてダラダラ周囲から恨みを買い疎まれ、憎まれたからだ。それなら、周囲の悪感情が育ち切る前に死刑になれば、きっとそこそこの憎しみだけを受けて普通に処刑にしてもらえるだろう。うんうん、それがいい。


 時間を逆行してしまったのはもう今更どうしようもないが、どうせ死ぬなら早い目に、なるだけ楽に、死刑にしてもらう。いやぁ、これはいい考えだ。俺の2度目の人生の目標はこれにしよう。これくらい小規模なら、いくら無気力で面倒臭がりの俺でも達成できそうだ。


 天に坐す女神様。折角やり直しの機会をいただいたのに、上手く活用できなくて申し訳御座いません。でも、この無気力さこそが俺なんです。どうか俺の事は早々に見放して、次回からはもっとその祝福を与えるに足り得る、素晴らしい人格者に祝福をお与えになってください。


 あ、俺のやり直しの途中で嫌になったら、いつでも2度目の人生を取り上げていただいて構いませんからね? その方が二度手間が省けていい……じゃなくて、お互いに無駄に消費する労力が少ないですから。お互いの為の提案ですよ。


 こうして、勝利に沸き立ち大騒ぎする周囲には混ざらず、心中で不穏な計画を立てる俺は気が付かなかった。喜びに酔った人々の中に1人だけ、黙って考え込む俺の後ろ姿を冷徹な目でジッと見つめる人物が居た事に。

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