透明なお坊ちゃん

千桐加蓮

 海に面しているからなのだろう。私が住んでいる地域は、魚介類や貝類の生産地として有名である。県のあちこちで経営されている寿司屋、魚屋、スーパーマーケットには新鮮な魚たちが届いていくのだ。

 私は、この世に生を受けてから今まで、ずっと住まいが変わっていない。

 私の家は、老舗居酒屋を経営しているため、学校の長期休みも、店の手伝いをほぼ強制的にさせられている。

 もう一人、兄妹がいればよかったのに、と思うことが時々あるのだが、そう思う時はいつも店の手伝いをしている時や、店に関係することを話されている時だった。


 遠くに旅行に出かけたこともない。機会を作れない、という言い方の方が腑に落ちる。

 父方、母方も祖父母もみんな県内で暮らしているので、県外に出ることは指で数えるくらいしかない。そもそも用がないのであれば、私の母親に、圧のある目で見られ、仕方なく店の手伝いをするのみであった。


 こういう生活を送っていたものだから、私は県外への憧れが強い女の子へと成長する。無理を言って、高校は県外の都心部にある公立の高校に受験し、無事合格。

 現在、胸が躍る気持ちで高校生活を堪能しているのである。

 


 初めは、都心の学校に通うにあたって、驚いたこともたくさんあった。

 割と交通の便が多い大きな駅、通勤ラッシュの時間帯の人の多さにとても驚いた。

 高校には、おしゃれに制服を着崩している美男美女、コギャルたちの存在感は半端なくある。

 それから、妖怪とお友達になる子ども向けアニメの流行りに乗ってみたらしい同級生の男子は、妖怪を探す時計のおもちゃを学校に持ってきていた。

 窓の外から海の匂いや魚の匂いがすることがなく、大変驚いた。

 けれど、一番驚いたのは、花輪剣はなわけんくんの存在である。


 花輪グループは世界的に注目されている、日本の大手医薬品会社。

 花輪くんは、その会社の重職を務めるお父さんの息子さんである。

 花輪くんは、クラスの内で、中々の異彩を放っていた。顔も性格もいいから男女問わずにモテる。度がつくほどモテる。

 しかし、花輪くんが、今までどういう育ち方をしてきたのか、私には理解し難いことがいくつかあった。


 私のクラスは、入学式から数日間行われる、学校生活のルールを教わったり、集合写真を撮るなどの、やるべきことを行う期間の最終日前までには、それらが既に終わってクラスであった。

 つまり、手こずることが多い印象がある係決めも、委員長決めもスムーズに進んだ優秀クラスだったと言われている。

 担任が、余った時間をどう活用しようかと考えていたところで、学年主任から声をかけられたらしい。

 そして、「クラスレクをする権利を得られた」と朝のホームルームでみんなに伝えられた。みんなは楽しそうにまだぎこちなく近くの席に座っている人たちと小さい声で喋っていたり、「どうせ動く系なんだろう、運動音痴なのになあ」と遠い目で嫌そうな顔をしている人も数人いた。

 そこでで行うことになった鬼ごっこ。そのルールがわからない、と花輪くんのみグラウンドで焦り顔を披露していた。

 また、授業が開始されてすぐのお昼時のこと。売店で友達に誘われて昼食用に買ったカップラーメンの作り方がわからない、と言っていたのを、その場にいた私は耳にしていた。

 高校一年生になって一ヶ月も経たずに、彼は『お坊ちゃん』というあだ名をクラスメイトに命名されていた。

 新米二十代、ノリがいい担任の男性教師もたまにぽろりと、彼をあだ名で呼ぶ。

 とはいえ、彼はいじめられているというわけではなく、あくまで愛されキャラクターとして、同じクラスで学校生活を送っていた。

 


 そんな彼に、対して私は疑問に思うことがある。

「ねえ、花輪くんって、たまに消えない?」

 二学期がスタートしたとはいえ、まだ夏らしい気温の中、二週間後の文化祭に向けてお化け屋敷に使う小道具を製作している私は、クラスメイトの中でも一番仲がいい胡春こはるに疑問に思っていたことを打ち合ける。

「え、理寧りね。何言ってんの? とうとう家の手伝いのし過ぎで、知能がヤバいことになった感じ?」

 右の口角を上げ、何を言っているのかさっぱりだ、と馬鹿を見るような顔で私をチラリと見た。

「いや、一学期は何事のなかったかのような目で私は見逃してた。入学してすぐのクラスレクで鬼ごっこのルールがわかんないって焦ってたのに、いざルールを説明して、鬼ごっこ始めた瞬間、花輪くん消えちゃったじゃん。数学の授業で解いた難問、グループ内で解いてた時、消えてたし」

 胡春は、あー、と全てを思い出すように頭の中で回想している様子である。

「で、すぐに戻るの。トイレ行って済ませるくらいの時間はかかってないの」

 私は、みんな疑問に思っているに違いない。もし、大事にしたら、花輪グループの会社に存在ごと闇に葬られるのを恐れているんだ、と解釈して、今の今まで誰にも打ち明けないでいた。

「いや、花輪くん、幽霊じゃないんだし、ちゃんと存在してるよ。だって、ほら」

 胡春は、教卓の前でお化けの衣装を考えている団体をを指差す。

「男子にも、女子にもベッタベッタ触られてるじゃん。幽霊じゃそうもいかない」

 確かに。楽しそうに企画案を出し、ディスカッションを重ねている。私は首を傾げた。

「やっぱりさ、仕事のし過ぎで幻でも見てたんじゃない? 心配なんですけど」

 心配しているようには思えない満面の笑みを浮かべながら、お化け役が持つ予定の斧を手作りしていく。

「胡春の言う通り、間違いなく家の手伝いが夏休みの大半を占めていた。でも、人間がパッて消えるって有り得ないでしょ? 由々しき事態だと思うんですけど」

 私はなぜ信じてもらえないんだ、とますます首を傾げる。

「じゃあ、花輪くんは別の星から来た宇宙人って言いたいわけ? そっちの方が有り得ないからね」

 胡春は、バシッと否定してくる。その時、私はその考えに対して妙な納得をしている自分がいることに気付いた。

「その考え、一理ある。人間は、透明化も瞬間移動もできる能力も、まだ開発できていな――」

 いや、待て。花輪くんは世界的に注目を集めている医薬品会社を後ろ盾に持つお坊ちゃんだ。もしかしたら、会社で既に人間が一瞬透明になれる薬を開発して、試しに実験している最中かもしれない。ここで、私が気付いたことをバラしたら実験が終わる。透明化の薬作るのに、相当な額のお金が動いただろう。我が家の老舗居酒屋の稼ぎ、何百年分だろうか……。ああ、考えただけで頭が痛くなってきた。

「――やっぱ、何でもない。忘れて」

 私は、この瞬間決めた。花輪くんが楽しい学校生活を送れるように、そして、薬の実験が世に知れ渡らないために陰ながらサポートに尽くすことを。

 透明化できる薬を開発したなんていうのが、実験成功前にインターネット上で炎上しないためにも。

 胡春は、呆れ顔で斧作りに戻った。


 やはり、二学期になっても、花輪くんは急に姿を消すことがある。透明人間になることが、一学期よりも心なしか増えた気がする。幸い、私は席替えにより、花輪くんの席の隣になったため、消えた瞬間、疑問に思われた時の対処法をいくつか用意し、常に万全の対策で学校生活を送っていた。

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