chapter3-初日の朝
翌朝も朝食にすら呼ばれず、エイナが運んで来たものを寝室で食べた。
寝室と言っても広い。その場で着替えるためにドレスルームは繋がっているし、姿見鏡も大きい。簡易的なアフタヌーンティーだって出来るし、他にソファもあればベランダでティータイムも出来る。何より夫婦用の寝室だけあって、隣が風呂場だ。
常に無表情なエイナの視線はじっとルーリエに向いているが、特に見られて困るものもないので気にはしない。ただちょっと、そう、ちょっと食事が喉を通りづらくなるだけだ。
「奥様、朝食が終わりましたら、公爵様ご夫妻がお呼びです。お早目にご準備をお願いいたします」
「分かったわ。ドレスの着付けを手伝ってくれる?」
「かしこまりました」
手早く食事を済ませ、ドレスルームに用意されていたドレスの中から、室内用のドレスを選んでもらい着付けてもらう。いずれも全く経験の無いルーリエ一人では出来ないことだ。そもそも室内用のドレスと外出用のドレスという違いがあること自体、今初めて知った。
用意されていたドレスは五着。昨日着たウエディングドレスが一着と、室内用・外出用のドレスが二着ずつ。以上だ。ルーリエが個人的に持ってくる事が出来たドレスは一つも無く、あるのは派手なルーリエの顔には似合わない清楚なドレスばかり。サイズも微妙に合わずキツいところから、まるで誰かのお下がりのようだ。
「奥様、こちらでご用意出来たドレスではサイズが合わないようですが、ご持参のものはございませんか?」
「……平民上がりだから、家ではドレスを着る習慣が無かったのよ。前に顔合わせの時に着たドレスもお母様のものなの」
コンマ三秒で言い訳を考え、にっこりと笑って言う。勿論嘘だが、エイナが
ドレスを着る習慣が無かったのは本当だ。屋根裏部屋から出ないのにドレスなんて必要ない。だがあのドレスが元々誰のものだったかなんて知らない。サイズはピッタリだったが、顔合わせの為にルーリエ用に作らせたのか、はたまた本当に母のお下がりなのか。
どの道あのドレスがルーリエのものになることはない。仮に顔合わせの為に誂えたものだとして、すぐに母が金に変えていることだろう。
「伯爵家とは言っても成り上がりで、そんなにお金があるわけじゃないわ。私は自分のドレスを持っていないの」
嘘と嘘でないことを織り交ぜると、本当のことのように聞こえるらしい。笑顔を崩さず言えば、完全な嘘だとは思わないだろう。
屋根裏部屋の外のことを知らないルーリエでは嘘にも限界があるだろうが、今憑依しているのは別世界で一通りの人生を過ごした成人女性だ。いくつかの漫画の知識だけだが、それでも無いよりはマシだろう。
結局、合わないドレスを着たままルーリエは公爵夫妻のもとを訪れることになった。
「あら……念の為リアナの古いドレスを数着置いておいたけれど、それを着たのね。自分のドレスは持って来なかったの?」
驚いたようなアリアデルに、先程エイナに言ったことと同じ内容を告げ、確認すると、リアナとは小公爵の婚約者のことだったらしい。まだ小公爵とは結婚式でチラッと顔を見ただけだが、その隣に居た清楚可憐な少女らしき者が「リアナ」だったのだろうか。
「では今日中にでも服飾師を呼ぶわね。きっとそのドレスよりも貴女に似合うドレスがある筈よ」
「お心遣いに感謝いたします」
正直、漫画の知識と言ってもそう多くは無いし、頭が良い訳でもない。義両親になったとは言え公爵夫妻にこんな対応で大丈夫なのだろうかと内心ハラハラした。
それで、と話が変わる。
「これからはルーリエ嬢もこの家の住人だ。ルシアスに屋敷内を案内でもしてもらえばどうかと思ってな」
「はぁ……ルシアス様にですか?」
これが本題だとばかり言ったガーフィールドの言葉に、思わずルーリエは間抜けな声を零した。
結婚式ではルーリエに触れることも揃いの指輪をすることさえ拒み、初夜に寝室に顔も出さなかった夫を相手に、何を求めろと言うのか。
瞬間、空気が気まずくなる。数秒程の沈黙がおりた。
「あ、そ、そうだわ。ねぇあなた、エバーテルに頼んではどうかしら?」
「ああ、そうだな。エバーテルは優秀な私の副官だ。屋敷内の案内くらいしていても仕事は終わるだろう」
切り替えるようにいったアリアデルの言葉にガーフィールドも同意する。すぐに紹介されたのは、The☆優秀な副官といった様相の好青年だった。
「エバーテル・コンフィと申します。お屋敷は広いので、主要な所から始め、三日程かけてご案内申し上げます」
「ええ、よろしくお願いするわね」
どうせ、彼も監視役の一人なのだろう。この屋敷内の人間に味方を期待してはいけない。隙を見せてはいけない。きっと、この世界で、生き抜く為に。
結局夫妻の要件はそれだけだったようで、すぐにエバーテルと共に部屋を出た。屋敷内の案内を受けながら、必死でそれを覚える。
というのも難しいので、始まって間もなくして早々にエバーテルに声をかけた。
「メモ帳が欲しいのだけど、それらしいものはあるかしら?」
「それなら私が使っていない新品のメモ帳が一つ余っているので、それを差し上げます。デザインはお好みでは無いかも知れませんが」
「何でも良いわ。早くこの屋敷のことを知って、馴染みたいだけだもの」
味方は期待しない。それでも決して敵になるつもりは無い。程よい距離を保てれば良いと思って、ルーリエはにこりと笑った。
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