chapter2-結婚式
顔を上げて見たのは、端正な顔を歪めた美青年。そして、青年に良く似た端正な顔を挑発的な笑みに染めた髭面の紳士。目を閉じ
紳士がガーフィールド・フィッツジェラルド公爵、マダムがアリアデル・フィッツジェラルド公爵夫人、青年が婚約者であるルシアス・フィッツジェラルドだ。ルシアスには小公爵と呼ばれる兄が居るはずだが、今日は来ていないらしい。
母の隣に用意されていた椅子に座ると、表面上は笑みを保ったままの母は本当は怒っているらしく、ヒールで足を思い切り踏み付けられた。ルーリエの足をギリギリと踏み付けたまま、母は笑顔で公爵と話をする。
話の内容なんて、ほとんど頭に入っては来なかった。ただ、貼り付けた笑顔で彼らのやり取りを眺めているだけが、ルーリエに出来ることだった。
ああ、くだらない。暴力でしか人を支配出来ないクセにそれだけは一丁前で、目上の者にはヘコヘコするしか脳の無い、実質「馬鹿」。
どうして本物のルーリエはこんな女に怯えきってしまっているのだろう。
そもそも本物のルーリエは何処へ行ってしまったのか。まさか、自分が憑依した時にでも死んでしまったのか。
有り得ない話ではない。そしてそれにこの女が気付かないのも、また有り得ない話ではないのだ。
「さて、ルーリエ・アステラス嬢」
「はい、公爵閣下」
にこりと笑みを浮かべ、突然呼ばれた理由を考える。先程までの話は全く頭に入っていなかった。
「貴女はどう思う? こちらの提示した条件で構わないかな?」
条件……誰かさんがギリギリとヒールで足を踏むせいで、何の事を言っているのか考えることすら出来ない。
だがここで選択肢があると思うのが大間違いだ。相手はあのフィッツジェラルド公爵なのだから。
公爵の噂を、仮にも貴族社会に居て知らないわけがない。何があったか詳しくは知らないが、付いたあだ名は『首斬り公爵』。
彼の言葉に「否」などと返すことは、選択肢に無いのだ。
「わたくしは問題ございません」
言えば、母に足をヒールで思い切り踏み直された。じんわりと痛みが滲んだ感覚から考えて、足の甲の皮でも剥けたのだろう。
笑顔を保つのなんて、簡単だ。だけどもしこれが本物のルーリエだったらどうだっただろう。
いや、今更考えても無駄だ。今は自分が「ルーリエ」なのだから。
身体が覚えている恐怖に身が竦みはするが、それで負けるような生き方はしてこなかった。だから、大丈夫。どうにかなる、どうにかする。
それからフィッツジェラルド公爵家の者とは会うこともなく、結婚式当日になった。
形式だけの結婚式。指輪の交換は一方的で、ルシアスには指一本触れられることなく嫌悪の視線だけを向けられた。
噂だけを聞けば世紀の悪女だ。好き好んで結婚したわけではないのだろう。先日の顔合わせの時にもずっと睨んでいるかこちらを見ないかの二択だった。
式場で招待客に向けられるのは、祝福の微笑みではなく、ルーリエを馬鹿にしたクスクスという笑い声。
だけどルーリエは顔色ひとつ変えなかった。ルーリエに指輪を着けるのも触れないようにし、自分の指輪はルーリエに触れさせず自分で取って着けもせずポケットに仕舞い込む始末。
形式上これから夫になるらしいこの青年は、なんてお子様なんだろう。それを見て喜んでいる『観客』達もまた同レベルだ。
ルーリエの聖女の力は、国全体にかけられている。ルーリエを失うと国にかかった加護が失われてしまうのだ。
これが、周りがどんなにルーリエを嫌っていても幼稚な対応しか出来ない理由。実にくだらない。
つつがなく結婚式は終了し、ルーリエはそのままフィッツジェラルド公爵家へと入ることになった。これでアステラス家と縁を切るということはまず無いが、多少は離れられる筈だ。
夫婦にと用意された寝室へ、公爵家のメイドが一人顔を出す。名前はエイナ、彼女がこれからルーリエの専属メイド兼監視役ということだろう。
「初夜のご用意を致します」
「結構よ。湯浴みの準備だけしておいて。勝手に入って勝手に寝るから」
あんな結婚式をしたくらいだ、どうせ新郎は夫婦の寝室にやって来ることは無い。初夜なんて存在しないイベントだ。
少し困ったようにしたエイナは、だが大人しく従って風呂の用意だけをしてその場を離れた。
高位貴族ともなれば湯浴みの世話もメイドがやるものだと漫画の知識でぼんやり思っているが、実際にそうらしくエイナに「手伝います」と言われたのを短く断った。
手伝ってもらって風呂に入るのがどんな感覚かは知らないが、せめて──が消えるまでは人に身体を見せる訳にはいかない。
風呂から上がってネグリジェに着替えベッドに入って、ルーリエはすぐに目を閉じた。案の定ルシアスはその夜夫婦の寝室を訪れることなく、ルーリエは初夜を独りきりで過ごした「歓迎されていない花嫁」となった。
初夜に放置された新婦が屋敷内でどんな認識をされるかは何となく分かっているが、これからそれも身をもって知ることになるのだろう。
それでもアステラス家よりはマシだろうと、それ以上は考えないことにした。
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