第44話 そして、『柳鳴鶯園(りゅうめいけいえん)』へ
そして、暮れなずむ夕陽が大地を赤く染めだす頃。
冽花と賤竜は、園林(庭園)、『
ゆっくりと遊歩道を歩いて空を見上げる。無数に植えられた柳の木の枝が、初夏の風にあおられて、夕焼け空に流れていた。
陰になっていることもあり、『幽鬼の招きのようだ』なんて――冽花は考え、柄にもなく苦笑する。不安になってきているに違いない。胸をどんと拳で突き押し、鼓舞する。
ここ『
時期が時期なら柳にとまる鶯の
翡翠色の水面に色とりどりの鯉が身をうねらせる様は、珠玉の美しさがある。
こんな時でもなければ、ゆっくりと昼間に散策したくなるような――そんな園であった。
遊歩道の外れまで来て、ぐるりと見回す。
さすがに三人で抱水に挑むことをしぶり、『仲間に声をかけてみる』と言い、あとで合流する算段となったのである。
そわそわと落ち着かない気持ちをおさえ、冽花らは約束の、王泉の
王泉の景観を左右に臨みながら、石造りの園路を渡り、
畳んだ扇のさきで口元を隠し、じろりと彼は二人を見遣ってくる。
『夕刻まで時を与えたというのに……馬鹿正直に二人で来るとはな』
そのあんまりな言い様につい口を開くものの、冽花はかわりに唇を尖らせた。
「
片手を突きだしてみせると、『ふむ』と抱水は相槌をうつ。
『そんなにこれが大事か。賤竜の契約者よ』
「っ!」
衣擦れをたてて、卓上に置いていたもう片腕が持ち上げられる。
冽花は目を見開いた。
筒袖の奥から引き出された手にぷらりと吊り下げられる、首飾りがあったためだ。
息を飲んで、睨みすえる冽花に、抱水は目を細めてみせる。
『取引をせぬか、賤竜の契約者よ』
「取引だァ?」
『是。我らがもと、喜水城に来い。賤竜の契約者として破格の待遇を約束するぞ』
「ぜんたい、どういう風の吹き回しだ?」
『我ら風水僵尸を扱える契約者というのは、それだけ貴重な存在なのだよ。富を生み、利益を生む。私を現在使っておられる
目元のみを皮肉っぽく笑ませる抱水に、冽花は色んな意味で奥歯を噛みしめる。
『馬鹿にしているのか』という思いと『そんなことを抱水に言わせている、
拳を握りしめた。小さく息を吐くと、ゆっくりと首を振った。
「お断りだよ、抱水。あたしには、やらなきゃいけないことがあるんだ。ゆっくりしてる暇はない」
『ほう?』
「賤竜を龍脈に還さなきゃいけないんだ。……今度こそね」
『……ッ』
冽花の言葉に、抱水は目を瞠る。冽花が蟲人であることを知る彼にとって、その言葉の重みは十分に理解できたはずだ。
そして、賤竜を見やる彼女の横顔を見て――どこか辛そうに刹那に瞳を歪めた。
瞬く間の変化であったのだが。冽花が目を戻した時には元の平静を取り戻していた。
『そうか。残念だ』
「ああ。だから――」
『それなら……こうするしかあるまい』
冽花の言葉をさえぎり、抱水は動いた。
首飾りを持つ手を跳ねあげ、吊るしていたそれを手中に収める。ついで流れるように、無造作に肩ごしに放った。背後の翡翠色の水面へと。
冽花は愕然とした。そして同時に、とっさに――瞳を肥大・縮小させていた。
「っ、なにすんだよ!」
その目は落ちゆく首飾りに釘付けられるまま。
おもわずと噛みついて、動いてしまった。
賤竜が後ろから止めんと手を伸ばすのもすり抜けて、瞬時に猫娘に転化。艶やかな杏の花香の薫風を引き連れて、亭の柵に乗り上げ飛びだしていく。
その手が首飾りへと届いて――掴みとる。
『愚かな』
抱水の声が、風にのって後ろから届いた。
その一言で我に返った。頭が真っ白になる思いがした。
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