通り魔の正体
第38話 猫娘、夜の街へ繰りだす
腹を減らしていたらしく、冽花たちの買ってきた料理をぺろりと平らげ、薬湯を飲んだ後に土産話を所望してきた。
冽花は――だいぶ苦労しながら、街で見聞きしたことや体験を話して聞かせた。どこに文字通りの頭痛の種となる言葉が紛れこんでいるか知れないので、ひと苦労である。
探路はその一言一言をついばんで飲みこむように聞いていた。
その瞳は静かであり、真剣そのものであった。
彼にも先ほどの頭痛の生じた時機からするに、思うところはあるようだった。そうして、何事か思いつめるように瞳を下ろすと、「いたた」と言いながらこめかみを押さえていた。
平静と痛苦のあいだを揺れ動いている。予断を許さぬ状況にあるようだ。
「探路……」
「うん……っ、大丈夫だよ、冽花」
そう言って笑いかけてくるけれど、辛そうで、見ていて歯がゆくて仕方なかった。
こんなに一生懸命なのに。何度も夢見るほど会いたい人への手がかり――記憶への手がかりが、手が届くところまで来ているというのに。思うように手が伸ばせずにいる。
相変わらず外すことのできない首輪をねめつけ、同時に『どうにかしてやりたい』と思考を巡らせる。なんとか。なんとかしてやれないか。
冽花はたっぷり真剣に考えた。そして、ずっとずうっと考えていた末に……腹が減ったのであった。陽もとっぷりと暮れた夜半に。
「……腹減った」
「こんな時間にかい?」
当の考えられていた探路は、もうとっくの昔に寛ぎ始めていた。冽花の心探路知らずな現状に、おもわずと半眼を作りつつ、冽花は唸る。
「減ったモンはしょうがねえだろ。あー……陽が照るのが遠い……」
ぐうぐうと切なげに鳴くお腹をかかえて、牀に寝転がる。何度も寝がえりを打ち、足をばたつかせて、あーとかうーとか呻いてみたものの、空っぽの胃は収まってくれない。
ふと、『なら冷やせばいいんじゃないか』と思いついて、賤竜に按摩を頼――否、乙女の羞恥心が邪魔をした。
結局、冽花はどうしようもない空腹に苛まれ続けるのであった。
「っっあ――!! 腹減った!!」
「水でも飲んできたらどうだい?」
「嫌だよ。なんか腹に入れたい。できれば温かいもの」
「腹が空きすぎて欲ばりになってしまっているねえ」
だいぶ落ち着いてきた探路が、横寝に頬杖をつき苦笑する。彼の姿勢維持も随分と達者になったものである。
そんな彼の様子を見て、少しばかり離れても大丈夫だろうかと、冽花は判ずる。
「なんか買ってくるかー」
「通り魔が出るんだろう? 危ないよ」
「平気だよ。あたしは蟲人だぜ。そんじょそこらの人間にゃあ捕まりゃしないよ」
「そう言って、陽零では捕まってたじゃないか」
「うぐ」
ぐうの音も出ない。お腹はぐうぐういっているものの。
それでも諦めきれない冽花は起き上がる。すると、傍らの椅子に腰を据えていた賤竜も立ち上がった。
『行くのか、冽花。ならば、此も――』
「ああ、いや。……行くけどさ。探路の考えも一理あると思って。屋根のうえを、伝ってこうと思うんだよ」
ぴ、と窓の外を指さす冽花に、賤竜は瞬いて動きを止める。そんな彼になおも告げて、冽花は立ち上がった。
「お前、あたしの全力に追いつけるか分かんないだろ? ――ここにいなよ。簡単なもの買ったらすぐ戻ってくるから。夜の猫のはしっこさを甘く見ちゃあいけないぜ?」
鼻の下をこすり笑ってやると、賤竜はさらに瞬いたのち目を細めては椅子に座り直した。
頷くと、冽花は窓を開けて、窓枠に足をかける。
「ほんじゃあ行ってくるぜ」
振り返った顔の瞳が肥大・縮小する。甘やかな薫風をまとい、頬から伸ばした腕にまで、艶やかな『杏の花』の絵図が咲いた。
挨拶がわりに尾を一振りすると、ニッと笑い、その身を闇夜へ躍らせた。
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