第34話 不穏なる福峰

 それから程なくのこと。

 ようやく目指す薬問屋にたどり着いて、めぼしい薬を買い求めていた折であった。


 にわかに外の通りが騒がしくなった。


 拦柜カウンター奥で薬棚から薬材をとりだし、皿で測り取っている店東てんしゅから、何気なく冽花は目を移す。と。


 まもなく硝子の破砕音が響き渡った。ついで重たいものが路上にぶつかり弾む音が続く。人々の小さいどよめきと悲鳴が鼓膜をつんざいて、おもわず肩を跳ねさせていた。


 店内が静かなだけに、余計にその物騒な音は、冽花の耳を刺したのである。


「な、何だァ、今の音!?」


 おもわず外を伺い見ようとしてしまうものの、「待ちな、お客さん」と店東が声をかけた。


「お客さん、街に来て日が浅いんだろう? 今は出ない方がいい」


「いや、でも……」


「この福峰で騒ぎをおこす……恐いもの知らずは白墨党と懶漢ランハンの一派だ。いずれにしろ、関わらない方がいいよ」


懶漢ランハンの、一派?」


 店東は手を止めると、ぐるりとその場を見回す。小さく手招きをした。冽花は拦柜カウンターごしに体を寄せ、耳を傾ける、そうして。


「ここだけの話、今、福峰は荒れてる」


 思ってもみない言葉を聞くことになるのであった。目を瞬かせる。


「え、荒れてる? ……そんなところ微塵も……。嗚呼、でも、白墨党は来る時に、水の蛇に追われてるのを見たのと――」


 そこで言葉を切る。


 硬い、それなりの重量のあるものが、さらに通りに放りだされた。再び硝子の破砕音があがる。

 女のか細い悲鳴と、制止を求める弱々しい哀願があがる。それに対し、なじり言い寄る男の声が続く。


 冽花は口をへの字に曲げる。猫耳があったら伏せたい気分であった。


「今のこの、物騒な物音いがいは……」


「……あんた達、一日でこの街の暗部を見るはめになりそうだね。悪いことは言わない、やめときな」


 痛ましげな顔をし首を振って、店東はより一層声を潜めた。早口に告げてくる。


「懶漢は、ご領主『范瑟郎ファン・シーラン』さまの名代みょうだいだ。実質今、街を取り回している。一言で言うと……最悪だ」


「領主の名代? なんで、そんなのが……」


「お務めのおりの事故で行方知れずとなられたのだよ。最初はしばらく抱水ほうすい様が名代として立たれてていたものの、懶漢が赴任してきた。そこからが横行の始まりだった」


 冽花は絶句した。

 またも街の基本的な部分が、正常に機能していない場に来てしまった。


 何よりも、領主、范瑟郎の失踪。かつての名代が抱水ということは。つまり、范瑟郎、その人こそが抱水の契約者ということになる。尋ね人が行方知れずであった。


「この美しい福峰の町を勝手気ままに作り替え、酒食、女色にふけり……配下のならず者どもと共に悪行三昧。きゃつらの現れる場には、今のように悲鳴と怒号があがり続けるのだよ」


 町を勝手気ままに作り替え――その言葉にふと、来るまでにいくつも遭遇した作業現場を思い起こす。美しい水の都に無粋な、幾つもの。ぐっとより口角をさげる。


 汚い罵声まじりの怒号、押し殺された悲鳴があがったことにも起因していた。


「ただでさえこの有様だ。恶棍ごろつきどもも増えてきてな。近頃では夜半に通り魔が現われるという」


「と、通り魔だァ!?」


「うむ。よほど悪辣な手を使うのか、被害者も喋りたがらないようで。あまり情報がない。どうも複数犯ではあるようだが――……」


 と、ここで繊細な破砕音が響きわたった。皿が割れるような音が。


 冽花はおもわず肩ごしに通りを見てしまう。


 また口汚い罵声が轟いたのちに、「ひっ」と弱々しい嗚咽(おえつ)が続いて、子どもの泣き声があがったためであった。

 泣き声の高さが不自然である。――持ち上げられでもしたのか。


 それを庇うらしき悲壮な哀願も続く。若い、言い寄られていた娘の声色であった。


「やめてください! 弟弟おとうとを放して!!」


「聞けねえなあ。この小猴崽子クソガキ……まともに料理を運ぶこともできやしねえ。狂妄くそなまいきな目で見てやがったくせに。はっはっは、小便まで漏らしやがったぞ!」


 人々のざわめきの中に『酷い』『足をかけたのはそっちなのに』と呻くような呟きが混ざるものの、すぐ静まり返る。黙らされたのか。


 子どもの火がついたような、恐怖にまみれた哀れな叫びがあがり続ける。


「こういう小猴崽子ガキはちいせえ頃から、よーく身の程を教えてやんねえとな。……ったく、これもお前がグズグズするからだぜ?」


「っ、わ、かりました、から……お傍に、参りますから……心をこめて、お仕えしますッ。だから……!」


 店のなかが静かであるとどうじに、鋭い聴覚だからこそ、聞こえてしまうものがあった。想像できるものがあった。


 だが、冽花はもう一度だけ前を向き直した。口をつぐんで、じぃっと我慢した。自分が出ていっても余計にややこしくなるだけだから、と。


 それに。食べ物と薬を買って、探路のもとへ帰らねばならない。


 だから。


 奥歯をきつく食いしばり、震える両手を白くなるまで拦柜カウンター上で握りしめて耐えていて。


 その言葉を聞いたのである。


「もう遅ぇ。そうだなあ。ああ……お前がやれ、抱水バオシュ


 ――っ、抱水!!


 その名だけは聞き捨てならなかった。冽花は目を見開いて、肩ごしに振り返る。

 通りからは身も世もなく泣き叫ぶ、娘の声が届いていた。


「っ、! ほ、うすい様……おやめください、抱水様、お慈悲を!」


「いつもの扇でぶっ叩くのでもいいぜ? 水の蛇で壁に……いいや? この硝子まみれの地面に叩きつけんのも爽快だな! ただしるなよ、手も抜くんじゃねえぞ。俺の言葉は懶漢ランハンさまの言葉も同じだ。……分かるだろう?」


『……是』


 神経質そうな、硬い声音の『是』であった。


 冽花は、唇を震わせて、薄く歯列を剥きだしながら賤竜を見た。そんな冽花を、賤竜も硝子球のような瞳で見返してきた。


 人の。人の幸せを生むために僵尸にされた奴らを。それを存在意義にしている奴らを、悪戯に人を傷つけることに使うだなんて!


 怒りに目の前が真っ赤に染まるような思いがしていた。そうして、冽花はついに決断を――……。


叔叔おやっさん。詰めといてくれ。あとで取りに――」


『否。此が行く、冽花』


「賤竜?」


 苦渋の決断をしようとしていたところで、傍らよりの声に目を瞠らせた。

 再び賤竜を見やると、彼は目を細めて首を振ってきた。


『契約者たるお前を、契約者いがいの命に従っている抱水の目に晒すわけにはいかない。その行動意図、先行きが不明だ』


「いやでも、お前が行っても――」


不要緊もんだいない。ここは抱水の守る地だ。操れる気、気脈は無数に存在する。『水滴石穿すいてきせきせん』の使用許可を求む』


「あ、許可する」


『是。行ってくる』


 そう告げると、賤竜は足早に店から出て姿を消した。


 冽花はその背を見送ると、店の扉ごしにそっと騒ぎの中心を盗み見た。

 そうして、思った通りの酷い惨状に絶句した。

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