第33話 福峰散策

 ご巡幸効果のあった漣建もさることながら、福峰の活気と発展ぶりには目を瞠るものがあった。

 きちんと整備された石畳の道には、ぎっしりと商店や露店、料理屋、茶房が軒を連ねている。


 まずは客桟から聞いた薬問屋を目指す冽花たちである。


 しかし、時刻は折しも昼時だ。ちょうど教えられた道筋に食べ物屋台通りがあったのが、運の尽きであった。美味そうな香りについつい瞳が吸い寄せられてしまう。


 饅頭マントウ(小麦粉で作る蒸しパン)を売る店や、桂林米粉ケイリンミィフェン(米粉の麺料理)の立ち食い処、大きな深鍋で蓴菜湯チュンツァイタン(ジュンサイのスープ)を売る店に、たっぷりの油で苔条黄魚タイティヤオホワンユィ(魚の海苔天ぷら)を揚げている者もいる。


 なかでも冽花の胃を否応なく刺激したのは、店頭で鍋を振って川蝦(かわえび)を炒める店であった。殻つきの川蝦が酢醤油や生姜で和えられて、えも言われぬ香りを運んでくる。


「あ、あの店、美味そう……」


油爆河蝦ヨウバオハーシア?』


 屋台に描かれている料理名を賤竜が読む。じゅるりと冽花は溢れそうになる涎を拭う。


「ぜったい美味い。外はカリカリ、中ぷりっぷり。たぶん、しょっぱい系の味で……あ、でも、あの店も捨てがたいな」


苔条黄魚タイティヤオホワンユィ?』


「衣サクサク、中ふんわり。海苔の風味がふわーっと……腹減った……」


『先に食事をしてはどうだ?』


「ぅ……でも、探路が待ってるからな。ここは我慢すんだ。あとで絶対に来る」


 後ろ髪ひかれる思いを味わいながら、冽花は屋台から目を引きはがす。真っ直ぐに教えられた道筋を進んでいく。


 食べ物屋台通りを抜けると、いくらか閑静な通りに出る――はずであった。


 しっかりとした造りの商店が軒を連ねる区画であり、薬問屋があると聞いたのは、この通り沿いである。


 だが通りに出た瞬間に、ふいと耳朶じだをうつ、幾つもの硬いツルハシの音があった。

 目に飛びこんできたのは作業現場である。水路を中心としたそれであり、大勢の人々が立ち働いており、通行止めであった。


 冽花は立ちすくんで瞬き、賤竜は淡々とその風景を眺めるのであった。


「嘘だろ、在建造中こうじちゅう? ……聞いてないぞ、そんなの」


『他を行くしかあるまい』


「ぅぅ~、ここ真っ直ぐ行きゃあすぐなのに……しょうがねえなあ」


 仕方なく、通り一本向こう側から抜けることにする。


 だが、横道に入ったその時であった。ふと何気なく視界のすみに飛びこんできた店名を見て、冽花は足を止めた。


 看板には『開運風水・満龍』という文字が掲げられていた。


 店頭から見るだけでも、目にも眩しく輝く動物の像や金属製の風鈴、六つに束ねた銅銭など、何をどう使うのか見当もつかない道具が並べられていた。


 いかにも風水という品ぞろえに、おもわずしげしげと見入る冽花である。


 すると、賤竜が話しかけてきた。


『風水に興味があるのか?』


「そりゃあねえ。こんだけ縁ができるとね。……あ、賤竜、あれって何?」


 賤竜に笑いかけて間もなく、ふと何気なく、視界のすみで輝き続けている、角の生えた獣の像を指さす。賤竜は淀みなく答える。


『それは貔貅ひきゅうだな』


「あ。チャン叔叔おっちゃんのトコにあった」


 趙――漣建の町の老店東てんしゅのことである。賤竜は頷く。


『是。貔が雄、貅が雌とされる、別名『避邪へきじゃ』とも呼ばれている万難を排する獣だ。また、金を食べる食性と尻の穴がないという特徴から、蓄財の守りともされている』


「……だからリウの叔叔は贈ったんだな、って納得と……『尻の穴がない』ってのの衝撃で、今フクザツな気持ちだわ」


 おもわず像に手を伸ばし、片方をひっくり返し、確認してしまう冽花である。

 面白かったので、次に目についたものをも指さしてみた。


「じゃあ、賤竜、あれは?」


 六つに束ねられた銅銭だ。


六帝古銭ろくていこせんという。屋内における風水において、病に関する方角に良い影響を与える品だ。また運気を上げ、さらには招財の効果もある』


「はあぁ。これも叔叔、贈りそうだな。じゃあ、あれは?」


 小さい石塔である。


文昌塔ぶんしょうとうだな。学問に関する能力や運勢を高めてくれる品だ』


「本当にお前、風水博士だなあ」


『風水僵尸だからな』


 打てば響くようにスラスラと答えてくれるので、感心しきりの冽花であった。


 そうして、ふとまた目についたものを指さそうとしてみる。と、横からひょいと伸びてくる手があったので、瞬いて、その手の行き先を追った。


 賤竜が手を伸ばしたのは、八角型の鏡がずらりと並んでいる棚だ。

 その隅に置かれた籠のなかから、杏の種ほどの大きさの鏡のついた首飾りを取り上げ、冽花に差し出してきた。


『これは凸面八卦鏡とつめんはっけきょうという』


「凸面八卦鏡?」


『是。邪気、殺気を跳ねかえし、凶事から身をまもる守りともなりうる鏡だ』


「へえ」


 なんとなく両手で掬うように手を差しだすと、その手に賤竜は首飾りを載せてきた。

 そのまま静止するので冽花は瞬いた後に、あっと声をあげた。


「これ、買えってこと?」


『是』


「なんで? ……って、言うまでもないよなあ」


 今まで過ごしてきた一連を鑑みるに、納得しかない冽花である。素直に購入してきては、首からさげて賤竜に見せてみた。


「似合う?」


『…………』


「そこはお世辞でも『是』って言うとこだ」


『是』


「おそーい」


 瞬く賤竜を肘でつついて笑う、冽花である。だがふと、視界のすみに入ってきた『不思議な鏡』に意識を吸い寄せられる。


 それは胸にさげている鏡とは違い、風景を逆さまに映しこむ鏡であった。


「賤竜、これは? ……って、賤竜?」


 それまでとは異なり、賤竜は瞳を脇へと流しつつ、後足をさげ後ずさってみせた。その鏡の群れから遠ざかりたがる素振りを見せる。

 驚き、冽花は彼の後を追った。その傍らへと歩み寄り、首を傾げる。


「どうしたんだよ、お前?」


『それは凹面八卦鏡おうめんはっけきょうだ』


「凹面八卦鏡?」


『是。世をさかしまに映しだす。転じて、凶事をひっくり返すという意味で、家の内外の凶方位にかけられる代物だ。陰気を収束して封じ、陽気を集めて運気を上げる……太陽の象徴たる道具でもある』


「……お前、嫌いなのか? これ」


 凹面八卦鏡を見もしない賤竜に、端的に冽花は訊ねた。すると、賤竜は珍しく口ごもる様子を見せ、瞳を向けてきた。


『……活動源たる陰気を吸収、封じられてしまう。此らにとっては脅威となる品だ』


真的マジで? 太陽いがいに苦手なモンあんの――……あっ、太陽の象徴」


『是』


「ああー……」


 今でも傘をしっかと握りしめ、放さない様子を見ても、相当にまずいことになるのだということが知れた。再び傍らの鏡を見る冽花である。


「……覚えとくよ。まあ……早々かち合っちまうこともないだろうけども」


『是』


「そろそろ行こうか」


 彼をうながし、歩きだそうとする。が。なんとなく賤竜へと手を伸ばし、その背を叩く冽花であった。初めて見た彼の、明確に『怖がった』姿であったからかもしれない。


 賤竜は冽花を見やり、伸ばされた腕を一瞥いちべつした。そうしてから一つ頷きかえす。


 そして二人、再び歩きだしたのである。


「えっ、ここも在建造中こうじちゅう!?」


 時に別の道を選んで、遠回りしながらも。

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