第29話 猫娘、陰竜へと命じる
賤竜が武器に纏わせていた炎を――自身の体ぜんたいに広げる。
すると同時に、冽花は自分の心臓が妙な打ち方をするのに気づいた。
――……っえ?
そうして、その体の異常に呼応したかのように、泡を食って妹妹が姿を現した。
『っ、り、冽花……これはダメ!! あなたはダメよ、やめて!!』
「ッ……う、ぁ……? ぁッ、ぁああッ、ああ!?」
冽花は目を見開いた。激変はみるみるうちに全身へと派生していった。
心臓がみるみる鼓動を強めて、どんどん血流が増える。どっと汗が噴き出てきた。
熱い。熱い熱い熱い! 否、寒い! 熱が上がり、体がどんどん冷えていく!
耳元の拍動がうるさい。息が、苦しい。息を吸っても吸ってもどんどん足りなくなってくる!!
冽花は見た。急激にもよおす冷感から少しでも体を暖めようとし、背中を丸め、自身に腕を巻きつけたことで見た。体が黒き炎で燃えあがっていることを。
そして、燃ゆる冽花を起点として呼び水としているかのごとく、足元から『灰色の水』めく気が噴き出し……冽花の気と混ざりあい
「っな……」
冽花はその現象に絶句した。
まずもって、自分は陰気を使おうなんて、これっぽっちも考えてはおらず。
これは。
――強制的に引きずりだされてんのか!?
だが、
『……なんか、
『…………』
『えー、やだぜ、ここでやめんの。ここまで暖まってきてんのにさあ。なあ?』
振り返るさきで、笑顔で拳を振るって鼓舞してくる宝保の姿がある。少し瞳を動かし、貴竜は肩をすくめた。
『せっかく思いっきりやり合えると思ってたのによォ……そりゃないぜ。ったく』
声が、聞こえてくる。貴竜の声だけが。
賤竜が喋らなくなった。さっきまであれだけ。――あれだけ、楽しそうに。生き生きとしていたのに。
あたしの、せいで。
冽花は呼吸苦でせばまる視界と思考のなか、
――確かに。しいて挙げるとするのならば、彼女の何が悪かったかというと。
『運』と『玉環の記憶に頼りすぎていたこと』が言えるに違いない。
こんなに早く、思ってもみなかった風水僵尸どうしの戦いに立ち会ったことに加えて、玉環の記憶から得た知識に頼りきりであった。
さもありなん。生まれてから何百何千回と、玉環の記憶を夢見て、ある意味では刷り込まれていたのだ。賤竜の
中途半端に知っていたのが仇となったのである。
そうして。そのことがきっかけとなり、あえて賤竜に、彼の機能について訊ねることはなかった。彼について、訊くことがなかった。
それこそが冽花の
遅ればせながら、冽花はその結論に至った。
そうして――ならばどうするかというと。奥歯をすり減らし、わずかに靴底を擦らせた。
こんな時に。否、こんな時だからこそ、頭だけは冷静に、かつての記憶を
それはわずか二日前の記憶である。あの穏やかな部屋での、探路との会話だ。
「情報がなんっもない。足りない。『奉納の舞』まであと二日しかないっつーのにさ。あたしらは、お腹を空かせた虎の口のなかに飛びこもうとしてる。正気の沙汰じゃあない」
「でも、君は行くんだ。賤竜と妹妹を連れてね」
確とした口ぶりで告げる探路に、冽花は。眉を浮かせて彼を見返したのである。
「……その通りだから否定はしないけども。なんなの? お前のその、あたしへの断言」
「ある意味、信頼と言ってもいいかな」
「信頼?」
「君ならやるに違いないっていうね。昔から言うだろう?
――……っ、ああ。やってやるとも!!
自身の心臓の鼓動がうるさい。あらぐ息がうるさい。
だが、それでも。
『っ、冽花ッ……もうダメ……やめて、冽花!!』
すがりつく妹妹が叫んでも。その瞳に大粒の涙が浮かんでいるのだけれど。
それでも。冽花は真っ直ぐに。
「賤、竜……っ」
賤竜を見つめるのだった。
その言葉におうじて、賤竜が振り返った。その身に、いまだに黒き炎を纏わせるまま。
ここで冽花が諦めたなら、きっとあの身の炎は消えるに違いない。同時に、賤竜の胸に灯った炎も。思いの火も、かき消えるだろう。
本能で分かる。
本来、表に出さない彼だけれど。ここまで表出化させた思いだ。叶えてやりたい。
何よりも。
――……っ、ここで……ッ。
ここで退いたならば。もう二度と、この瞳と向き合うことはできなくなるだろう。
そう予感がした。
だから、冽花は。
「っ……やっ……ち、まえぇぇ――!!」
力のかぎりに吼えたのである。
喉が破れんほど、
その声に、賤竜はかすかに瞼を浮かせた後に――顎をひいて。
『知道』
確かに、そう応じて頷くなり、棍をふるい挑みかかった。
貴竜は目を丸めた。けれども、しらけた風であった顔に笑みを浮かべ直し。
『へえ。……やっぱりちょっとどうかと思ったけどさァ。やるじゃん? あんたの契約者もさ』
『…………是』
その、小さくも確かな肯定を、聞くことはなく。
最後の一合を認めることもできずに、冽花は。
妹妹の悲鳴めく呼び声を聞きながら、その場に崩れ落ちたのだった。
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