第28話 陰陽の竜

 冽花はその物言いに覚えがある。その構えに覚えがあった。その現象に、嫌というほど覚えがあったのである。


 貴竜のその挙動は。

 かつて玉環が、彼と賤竜を戦わせたおりに、よく見せていたものと一致していた。


 炎が晴れた先に立つ貴竜は、もう演舞のためのたおやかな姿ではない。


 その手に白き卜字拐ぼくじかい(トンファー)を握りしめた、陰陽の陽をあらわす白備えに木行の緑の差し色を入れる、武人姿に変わったのである。


 皮革の甲片で編まれた皮冑ひちゅうに大粒の翡翠をいただき、厚手の白い衣装の上に胸背きょうはいを守る部分鎧を着こんでいる。


 くるりと手元で返す拐を構えて、再び貴竜は指先で招いてきた。


 未だにまごつく冽花であったものの、次の瞬間、平手で頬を張られるような衝撃を受けた。隣から淡々としつつ、確固とした声色があがったのである。


『冽花。――……基本武装解禁の許可を求む。早急に』


「っ!」


 弾かれるように賤竜を見やると、その瞳孔を開かせた目は――かつてないほどに爛々らんらんと光り輝いていた。おもわずと冽花は顎をひいて。


「許す」


 そう、告げていた。かつての――玉環ユーホンだった時のように。


 次の瞬間、賤竜もまた全身を黒き炎に包んでいた。

 そうして、陰陽の陰をあらわす黒備えに木行の緑の差し色を入れる――貴竜と対を成す、全身鎧の姿に変わっていたのである。


 ずるりと炎のなかから黒き棍を引き抜きざまに、ひと飛びで舞台へと飛び乗っていた。


 飄々ひょうひょうと口笛を鳴らし、貴竜はなおも面のにやつきを深めた。


『嬉しいぜ、哥哥あにき。廟から連れ出されたって聞いた時にゃあ、どうなるかと思ってたんだ。いつ、またこうやって“遊べる”のかって気が気じゃあなくてさ』


『……此らに、もはや言葉でのやり取りは不要だ。貴竜。お前の言う通り、我らが本領を……有用性を発揮する時である』


『ふふっ、相変わらず硬いねえ。まあ、いいや。俺たちの価値の証明以上に、やんなきゃいけないことなんざ、ありやしねえからな! やろうぜ、哥哥!! ――オラァ!』


 貴竜における真っ直ぐな突貫。そこから、その戦いは始まった。


 場にいる人々は――冽花も含めて、ひたすらにそのやり取りに見惚れた。


 一合、二合、三合……渡り合うその姿は蝶のように舞い、蜂のように刺す。四合、五合、六合……時にじゃれ合う仔犬のように。七合、八合……互いにはみ合う二条の龍のごとくにも見えた。


 渡り合いが十合にも達したところで、貴竜の得物に白き炎が纏われるのだ。

 それを見て、慌てて冽花は声を張り上げた。


「だ、第一段階、『水滴石穿すいてきせきせん』の使用を――!」


『おや、一段階だけでいいのかい? ……俺はなァ、第三段階まで解禁されてんだぜ?』


「は!?」


 何気なく冽花を見てくる貴竜の言葉に、二度見する冽花である。


 第一段階だけでもとんでもない事象を引き起こすのにも関わらず、彼の契約者は第三段階まで使用を許可しているという。何を考えているのか。


 第一、自分は玉環の夢を垣間見ることによって、部分的に賤竜との戦い方を知っているに過ぎない。かろうじて第二段階までしか――……


『ほらほら呆けてるひまはないぜ! 第一段階、『水滴石穿』だ!!』


 その通り、呆けている暇はなかった。


 貴竜の拐が賤竜の腹部をねらい、突きこまれにかかる。それに応じて賤竜もまた、棍に黒き炎をまとい、それをいなしにかかる。


 第一段階、『水滴石穿』は、『必要最低限の気を、任意の気脈に打ちこむことによって、一時的・永続的かかわらず、断滅せしめる』技である。


 だが、冽花の知るそれは陰型の話だ。


 恐らく、陽型の場合は逆。察するに活性化である。断滅と活性化の技がぶつかり合った場合、いかなる事象が起こるかというと。


 二つの炎が触れあった瞬間、その場に、どん、と腹にこもる微振動が生じた。


 白と黒が混ざり合い、目に見える薄灰色の衝撃波と化し――大地を駆け抜け、場にいる人々に殺到する。


 その衝撃波はことのほか柔らかく、人々の体に触れて染み通り、走り抜けていった。


 これは、と冽花は目を瞠らせた。衝撃波に触れた瞬間、えも言われぬ活力が身の内から湧きあがったためである。


 賤竜と貴竜は再び打ち合いを始めている。また一合二合と、その得物が噛み合うつどに衝撃波が生まれて――少しずつ、その足元に緑を生い茂らせていた。


 黒一色であった土舞台は、いつしか、木行の緑一色に染め上げられようとしていた。


 ――これ、って。


 冽花は思い至る。風水僵尸の在り様……本当の在り様を間近で見ることによって。


 賤竜のみなら破壊しかできず。貴竜のみなら、育むにまだ『弱い』。

 陰陽和合。くるくると白と黒の武人は回り、打ち合い離れては、生命を織りなしゆく。


 ――これが、本当の風水僵尸の力なのか。……だから。


 だから、二人いるのか。


 そう。陰型と陽型、なにも優劣があって区別されているわけではない。


 お互いのもつ陰気、陽気を補完し合うことで、陰陽を盛んに循環させる。周囲に命を、恵みをもたらしていくのだ。その役割の名が『賤竜』であり『貴竜』というだけの話なのである。


 そうして、回りだした陰陽は止まりはしない。


 嬉々とし笑う貴竜が、次なる局面を欲しがり、声高に吼えたのだ。


『おら、そろそろ次に行くぜ! 第二段階、『震天動地しんてんどうち』だ!!』


「っ! だ……第二、段階……『震天動地』を許可する!」


知道りょうかいした!』


 なかば貴竜の勢いに引っぱられる形であったものの、冽花は湧きあがる怖気を噛み殺し、目を大きくみはった。


 どの道、『水滴石穿』では『震天動地』には敵いようがない。


 第二段階、『震天動地』とは、文字通り、『大地を揺るがせるほどの強大な気を、気脈に叩きこむ』技である。これによって陰型の場合はすべからく気脈が断絶し、周辺地域への著しい破壊を可能とする。していた。


 元は大軍勢へとむけて仕向けられていた、乾坤一擲けんこんいってきの大技である。


 無論、その破壊力のほどは玉環の夢から知ってはいたものの――退くことはできない。純粋な、出力を上げた殴り合いになる可能性があったからだ。


 声高に賤竜も吼えかえし応じて、より棍に込める炎の出力を上げた。


 ニヤリと笑い、貴竜は挑みかかるのであった。


 先にも増して、地をどよもす揺らぎが生じる。そうして、再びの衝撃波がその場を走り抜けた。

 その場に集う観客たちは――これだけ揺れて、これだけ、彼らにとっては意味の分からない戦いが繰り広げられているにも関わらず、誰一人として動くことができなかった。


 冽花はその理由が分かった。本能で理解してしまった。


 陰陽の風水僵尸がもたらす気の流れは――あまりに心地がよすぎるのであった。


 しかし、それだけに歯噛みせざるを得ない。


 自分は、彼を――こんな風に使うのではなく、龍脈に還したいのだから!!


 だが。この戦いは退くことができなかった。なぜならば、先の賤竜と貴竜のやり取りを思い返すに。この戦いは。


「っ……賤竜……ッ」


 千々ちぢに乱れる思いを飲みこんで、冽花は叫んでいた。


「お……思いっきり、やれえぇぇー!!」


 この戦いは。彼が、望んだものなのだから。


『是!!』


 冽花の思いを知ってか知らずか、賤竜はこれまで聞いたこともないほどに吼え猛って、みずから貴竜へと突っ込んでいった。そのことに貴竜もまた爛々と目を輝かせて笑った。


『あんたの契約者も……なかなかイイ感じじゃん?』


『…………』


『相変わらず契約者や自分のコトになるとだんまりか。ま、イイけどね。……俺も、そろそろ……自慢の契約者とヨロシクしちまおうかな!』


 そう言って、ぐるりと肩ごしに振り返ると、嬉々とし笑い、拳を突き上げる宝保の姿があった。

 瞳を少しばかり動かし、ニッと貴竜も笑い返すと、賤竜に向き直った。


『もっとだ。もっと“遊ぼう”ぜ、哥哥。もっともっともっと……! ――第三段階、『流水光底りゅうすいこうてい』だ!!』


 ――来た!!


 冽花は一気に緊張する。まだ見ぬ第三段階。どんなことが起きるのか分かりようもないけれど。ただ一つ、分かっていることがあった。


 ここで退いたならば、賤竜が負けるということ。そうして。

 自分は二度と、彼に顔向けできぬということであった。

 『思いっきりやれ』という言葉に嘘はない。もう二度と、嘘はつきたくなかった。


 そのため、冽花は躊躇なく、その言葉を叫んだのである。


「第三段階、『流水光底』を許可する!」


『知道!!』


 それが、自身の身に何をもたらすのかも知らずに。


 戦いが始まる前に、一瞬だけ感じた『自分たちに足りなかったもの』。慌てて『見てみぬふり』をしてしまった事象。


 その代償を支払う時は、もうすぐそこまで近づいていた。

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