第26話 あからさまな『お誘い』には『対策』を

 宛がわれた部屋に戻る頃には、賤竜も元の平常を取り戻していた。


 代わって、冽花は心穏やかではない。気もそぞろで瞳を泳がせ、探路に挨拶をするのもそこそこに、そっと椅子に座り、思考に沈んだ。


 その体から妹妹が現われ、冽花には控えめに、それから賤竜、探路へと『辛苦了おつかれさま』と言って回った後に、探路の隣、その牀に腰をすえる。


 冽花が黙しているせいもあるのだろうか、妹妹は口を開いた。


 あどけない声で游行パレードについて語り、しだいに熱を帯び始める。本当にたくさんの人だかりがいて、皆が皇太子と貴竜の来訪を喜んでいて。


 お腹にこもるような地をどよもす太鼓の音に驚き、典雅な楽の音にうっとりしてしまい。また軽快に弾ける爆竹には尻尾が膨れる思いだった、と。


 一番熱がこもったのは、やはり貴竜を見られたことであった。


 冽花のなかに彼女はいたのだから、冽花と目が合ったことは、彼女と目が合えたことも同じである。それだけで妹妹は、嬉しさに立てた尻尾を震わせるのであった。


 お元気そうだった。嬉しい、よかった、と。そう締めくくったところで――。


『……けれど、冽花。ね、』


 妹妹は気遣わしげに冽花を見やる。

 ここでようやく、一同の目が冽花へと向いた。


 水を向けられたことで、ようやく冽花は口を開く。背を丸めてついていた頬杖を解いた。


「帰りしなに伝言を受けたんだよ、貴竜から」


「貴竜から?」


 目を丸くする探路は、おもわずと確認をとるように賤竜を見やる。賤竜も聞いてはいたのか頷き返す。


「あちら側はなんと?」


「『奉納の舞、特等席で見せてやるから来いよ』、だってさ。さすがは皇族付きの人間だ。問いただす前にあっちゅう間に見えなくなっちまった。……どう思うよ?」


「それは……」


 探路は口ごもり、難しい顔を作った。


「言葉通りの意味とは……取りづらいね。何かあると考えるのが妥当だ」


「だよなあ」


 後頭部で手を組んで、ぎしりと椅子を軋ませて背を預ける。冽花は天井を見上げた。


「まず第一に、あの人だかりの中から、あたしをあたしと認識してたのがアレだよ。目が合ったとは思ったけどさ、さすがに気のせいだと思ってたのに」


「賤竜、今日のような大勢の人がいるなかで、君たちは一人のヒトを識別することはできるのかい?」


『時間はかかるが可能ではある。……あらかじめ、その存在の情報を入力されていた場合には、格段にその精度は上がる』


「知られてた可能性があるってことか、あたしのことが。……まあ、なあ。お前を、国の廟から引っぱりだした時点で、いつかそうなるとは分かってたけど」


 唇を尖らせる。そんな冽花に探路は小さく苦笑を滲ませてみせた。


賤竜神せんりゅうしん……だっけ? 賤竜の神としての名前は」


「ああ。たしか、貴竜が、『祈るとお偉いさんになれる』ご利益があって、賤竜はその逆。だから、祀ってその力を鎮めよう。神として崇めて国守の役に立ってもらおう、ってのが……建前だったはずだよ。ったく、身勝手なことだよな」


 肩をすくめて吐き捨てる。そんな冽花たちを見ても、当の賤竜は何も言わなかった。


 勝手に風水僵尸にしては戦わせて、区分して、片方を『望まれぬもの』として扱い、廟へと閉じ込めた。


 この辺りの事情が何か、あの――玉環が泣き崩れて、賤竜に詫びる記憶に繋がっているのではないかと、冽花は睨んでいる。


 ともあれ、今は『奉納の舞』についてである。


 要は、行くか行かないかの二択だ。安牌をとるのなら、断然、後者であるものの――冽花の心は決まっていた。そうして、そんな内心を透かし見るかのごとく探路は口を開く。目を細め、首を傾げて。


「行くんだろう? 冽花、君は。要は、行った先で確実にあるだろう厄介ごとについて、どう対処すべきか、それに悩んでいる。違うかい?」


「……お前に隠し事はできねえなあ、探路。その通りだよ」


 後頭部で組んだ手を解き、冽花は背を伸ばし直した。


「情報がなんっもない。足りない。『奉納の舞』まであと二日しかないっつーのにさ。あたしらは、お腹を空かせた虎の口のなかに飛びこもうとしてる。正気の沙汰じゃあない」


「でも、君は行くんだ。賤竜と妹妹を連れてね」


 確とした口ぶりで断言する探路に、冽花はさすがに眉を浮かせては彼を見返した。


「……その通りだから否定はしないけども。なんなの? お前のその、あたしへの断言」


「ある意味、信頼と言ってもいいかな」


「信頼?」


「君ならやるに違いないっていうね。昔から言うだろう? 不入虎穴こけつにいらずんば焉得虎子こじをえずってね。君なら躊躇いなくやるだろうから」


「褒めてんのかけなしてんのか、どっちなんだよ?」


「もちろん、褒めてるとも」


 笑いまじりのそれに、胡乱げに目を眇めて唇を突きだしてみせた。


 この打てば響くような応酬に溜息ひとつで区切りをつけて、冽花は肩をすくめた。


「とりあえず……この二日間でやれることをやらなきゃいけない。でも、何から手をつけたらいいのか、それすりゃ分かりゃしない。お手上げだよ」


 お手上げ、と力なく両手をもたげてみせた後、再び後頭部で組んで、椅子に身を預ける。


 すると、そんな冽花を賤竜が黙って見つめていた。

 一度だけ瞳を床へと落とし、瞬きとともに彼女を見つめ直した。口を開く。


『此に考えがある』


「へ?」


 まさかの相手からの発言に、素っ頓狂な声をあげて、冽花は目を見開かせて見返した。おもわず姿勢だって正してしまう。


「お、お前に?」


『是』


「そ、れは…………どんなのだ、よ……?」


 追及の声もおもわず、たどたどしく弱々しくなろうものである。賤竜はしかつめらしく頷いた。


『精気の充填を提案する』


「へ?」


『精気の充填を提案する』


「え」


『精気の、補給を提案する』


「言い直さなくても分かるよ! 精気って……えぇ……」


 瞳をうろつかせ、慌てふためいて頬を赤くする冽花である。


 冽花がここまで動揺するのにはわけがあった。


 賤竜が告げている『精気の充填』、『補給』とは――再会した折の接吻せっぷんに端を発する。

 要は血液などの体液を介し、生者のもつ陽気を、風水僵尸に与えることを示すのである。


 もともと僵尸という妖し自体が、こういった生態をもっている。

 死した骸が、何かの要因で陽気――精気を吸ってしまい、生前と同じく陰陽二つの気が揃ったことで動きだし、動き続けるために生者を襲う。


 こういった在り様があるために、風水僵尸も稼働には精気を必要としている。


 理屈では理解ができるのだが。……かろうじて、できなくもないのだが。


「な、なんでいきなりそんな……」


『活動限界までの時間が延長され、成し得る出力が増加されて、行動選択の幅が広がると判じる」


「あ、ああァー……」


 納得の一言に尽きた。


 要は『何をすればいいか分からないのなら、ひとまず何が起きてもいいように、自分の強化をしておけ』ということなのだろう。もっともな案である。


 冽花の個人的感情を抜きにすれば。


 ちらりと探路たちを見やる。探路たちは笑顔でそっと瞳を逸らした。

 ……実は探路がいない頃に一度、やって来た以降に二度、と合計三回すでに補給自体はおこなっている。


 別部屋をとって、探路がいないところでやればいい――という案は最初からなかった。

 路銀がもったいない、この一言に尽きる。今だって、立派な部屋を一つ貸し与えてもらっている。これ以上の文句は言えない。


 なぜ、ここまで冽花が渋っているのかというと。


「えっと…………今?」


『否。今でなくても構いはしない。が、しかし、三日後までに行動に支障が出ない範囲で……といった制限がつく以上、早急のそれを提案する』


「ああァ……」


「冽花、僕たちは後ろを向いているから」


「ああ、うん……たの……む。賤竜、後ろにしてやっ……てくれ」


『是』


 ぎくしゃくと油の切れたからくり人形のごとくになる冽花をよそに、シャキシャキ動く賤竜。運命の時は早まるばかりである。


 なぜ、ここまで冽花が動揺し続けるのかというと。


「賤竜。…………基本武装の解禁を許可しても……いいんだぜ?」


『何ゆえ? 現在、敵性反応は見受けられない』


「うぐぅ」


加油がんばれ、冽花」


 理由を知ってくれている探路と、目を瞑って耳を塞いでくれている妹妹だけが、救いであり同時に居たたまれない種であった。


「りょ、量と場所は」


『ひとまず、ひと口分。左の人差し指で』


「わ、かった……」


 かえすがえすも真っ赤になりながら、冽花は指を彼へと差しだす。賤竜はうやうやしくその手をとりつつ――自然な動きで、左手で髪を耳へとかけた。


 いつもこうするのだが、どきり、と心臓を跳ねさせられる仕草である。


 そうして、粒のそろった歯列のうちの牙をあてられ――ぷつり。

 指の皮を噛み破られて、ピリ、とした痛みが生じる。指を上下反転させられ、ぬるつく冷たい舌で傷を舐めて、吸いあげられだす。


 ここまででも、だいぶと難儀にするところではあるのだが。


 問題はここからであった。


『……ッ、ん……ふ』


「…………」


『っふ……ンっ……は』


「…………」


 あの賤竜が。


 喉を鳴らし、喉仏を上下させて飲みこむつどに、小さく身を震わせている。

 存外に長い睫毛が伏せられ、揺れて、けぶるような目元が微かに潤いをはらんでいる。時おり浅く口を開いて、濡れる吐息をこぼす。


 ……こうなるのにも、理由はあった。


 稼働するための活力を与えられているのだから、人で言うのならば、高脂質・高栄養の食事を与えられているようなものだ。しかも賤竜たちの場合は、じかにその『体と本能が喜ぶ』代物を摂取している形になるので。


 必然的に興奮し、かように蕩ける運びとなるのである。

 かような、居たたまれない状況になるのであった。


 冽花は必死に目の前の光景から意識を逸らさんとする。だが、冷たい粘膜に指を包まれ、舌で舐められ吸われては、その努力にも失敗してしまう。


 脳内で必死に、この行為の意味を自身に言い聞かせにかかるのだ。


 ――これは給餌。これは給餌。これは給餌。補給だからな……!


『……っ、ぅ……ンッ』


 ――……不行ムリ!!


 せめて鎧具足で固められていたなら、この目に毒な光景も軽減されるというのに。

 なまじ顔がいいからこそ、衝撃のほどは大きいのである。

 すでにこれを三度おこなっている。三度やっても慣れはしない。


 冽花はなかば現実逃避ぎみに心を宙に遊ばせようとして――低く艶のあるいい声に転落させられ、また失敗するのであった。

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