探路と妹妹
第23話 探路と小さなお留守番
その日、探路は一人で、壁を背にして
少しずつ一人で座れる時間も増えて、腕も僅かながら動かせるようになってきた。
そうして現在いるのは、広々として、
いわゆる、『お向かいの店』の一室にいるのであった。
あの後――こっぴどく叱られた
彼自身の店は、彼がおらずとも回るようにしてあるらしい。また、何かあってもお向かいなので問題ない。
さらにその腕は、老いた店東をして鼻の下をこすり、「やるじゃねえか」と言わしめるほどのものであり。それにまた照れ隠しの悪態が返り――なかなかすぐに元通りとはいかぬようであった。
だが、あの二人はあれでいいのかもしれない。冽花らは顔を見合わせて笑った。
そして、今回の件で厚くお詫びと感謝をされたのが、冽花たちであった。何か礼を、と言われて――探路を見た。
療養中の探路が、余裕をもって休むことができる
そして重ね重ね、お向かいの店東たちに礼を告げて、冽花らは居を移したのであった。
現在、冽花たちは留守にしている。
そのため、普段はない静寂があり。ほんの少しだけ開けられた窓から風が入り、探路の頬を心地よく撫でる。
ふ、と欠伸がもれる。窓からは通りの喧騒が聞こえてくるけれど。彼は、その賑わいが嫌いではなかった。
むしろ落ち着く。失った記憶の――何かに触れるようで。
「……うッ……」
ふと俯いて、体を倒し、震える手をもちあげて額を押さえこむ。
鋭い頭痛が突如として彼を襲っていた。震える息を吐きながら、波が去りゆくのを待つ。
最近になって起こるようになった事象であった。
記憶のことを考えると、酷い頭痛が生じる。まるで、それを思い出させまいとするかのように。痛みは頭の奥より生じて、瞬く間に頭全体に――割れるようなそれへと変わっていくので、探路はすっかり参ってしまっていた。
そして、治療に当たり続けている賤竜から言わせるに、『通常想定されうる頭痛ではない』とのことであった。
探路が痛みに苦しむつど、その体の
重ねて賤竜は探路の首に嵌められている『首輪』にも注目した。それまでは硬い沈黙を保っていたのだが、ここにきて異変を生じさせた。
探路が痛みに苛まれるおりに、微細に『気』を発するのである。その気は経絡を通り、頭へ伝播している。
ただごとではない。早急に外さねばならない。
そのための冽花たちの外出であり、留守であった。
一応の頓服の調達と鍵屋探しである。本当は一緒に行ければいいのだが――ご巡幸の日取りが近づく今、こんな状態の探路を連れまわせるはずがなかった。
けれど、一人にしていくのも心配である。
そこで。
『探路』
一緒にお留守番する存在が置かれたのであった。
まろい幼子の呼び声が響き、ふ、と傍らに気配を感じる。
あらぐ息を飲み、探路は瞳を転がした。
降って湧いたように現れた、少女がそこにいた。隣で立ち膝になっており――手を伸ばしてきては探路の頭へと触れた。
『痛いね……探路。
眉尻をさげ痛ましげな顔をしている、齢十にも満たぬ幼子である。
冽花と同じ目と髪色に猫耳尻尾をもつ、彼女の前世の亡霊こと妹妹。
その身は死者であることを表わし、半ば透きとおっている。触れた手の感触もない。
だが、労りの気持ちは痛いほどによく伝わってきて、探路は目を細めた。
「
『本当? ……よかった』
ピッ、ともたげられる尾先が小さく揺れる。幼い顔がほころぶのを見て、探路も口元を緩めた。ようやく波が去ってきて体を伸ばし直す。
『冽花たちを呼ばなくて平気?』
「ああ、問題ない。それに……たまには僕を気にせずに自由に歩きまわってほしいから。気をつけるよ」
『無理は、しないでね。わたし、冽花をすぐ呼びにいくから』
ぐっと両手を握って意気ごむ妹妹に、より笑みを誘われてしまう。
冽花も、出かける前もこうして何度も心配してきた。やはり繋がりを感じてしまう。
「
『うん。――またわたし、消えてるね』
「あっ」
『うん?』
膝から転げ落ちた本をゆっくりと拾いあげる探路を見て、妹妹は空に溶け入ろうとする。その身がより薄らぐのを前に、おもわず探路は声をあげていた。
「待ってくれないか、妹妹。消えないでほしい」
『どうして?』
「暇なら話し相手になってくれないか? 一人で過ごしていると……どうしても、記憶について考えてしまうんだよ」
栞をはさみ、探路は本を閉じた。眉尻をさげる。
名前も住んでいた場所も、元はどんなことをしていたのかすら思い出せない自分。どうしたって事あるごとに求めざるを得ないし、そのつど痛みに襲われていた。
一人だと、確実にそう遠くない内に二度目に見舞われてしまう自信があった。
探路のほのかな怯えもまじえた顔を見つめて、妹妹はこっくり頷き返した。再び両手の拳を握りしめる。
『わかったわ。わたし、お話し相手になる』
「助かるよ。君には聞いてみたいことがたくさんあったからね」
『聞いてみたいこと?』
「そう。前世のこととか、蟲人のことについてね。僕も蟲人の――……ふぅ」
言いかけて、ふと言葉を切って警戒する。が、痛みが訪れなかったのに安堵する。
そう、探路もまた蟲人の可能性があった。あの蟲人の売買の場に囚われていたのだから。だが、未だになんの兆しもないのである。
あるのは時おり魘されることぐらいだ。もっとも、探路はその最中のことを覚えていぬのだけれど。
探路は体を楽にし、両腕を膝の上に置きつつ、首を傾げた。
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