第21話 喧々諤々、意地はり男

 そうして、事件はその次の日に起きた。


 空が白みだそうとする時分に、ふいと静寂を揺るがせる、鈍く肉を打つような音が連続してあがったのである。


 確かに聞こえた、あっ、という小さい呻きとくぐもった唸り声。


 目を覚ました冽花と賤竜が駆けつけると、階下に倒れ伏す店東てんしゅの姿があった。これ一大事だと青年らを起こし、応急手当を済ませた後に、急ぎ療養所の門をたたいた。


 そうして――本格的に陽光が地上を照らしだす頃。


 店の開店が近づく時分に、押し問答をする親子の姿が生まれたのである。



「絶対に無理だよ! 大人しく休んでくれ、父亲とうさん!」


「ええい、煩人しゃらくせえッ! これしきの怪我で休んでられるかってんだよ!」


「厨房に立ち続けることすらできないじゃないか!」


「できらぁ、男は根性だ!」


「腰を打って、骨まで折れてるんだよ!?」


 この通りであった。


 さしもの青年も声を張りあげるものの、店東は聞く耳を持とうとしない。


 卓を支えに、体を震わせながら、添え木をされた足で立ち続けようとしている。頭にも包帯を巻いており、額に脂汗が滲んでいた。それでも彼は厨房に向かおうとするのである。


 彼の行く手を遮りながら、取りつく島のない父親に青年は頭を掻きむしった。


「どうして休んでくれないんだよ! そんなに……そんなに、俺が信用できないの!?」


「っ、常なら別だが、今は……っ、ただでさえにも客が多い。おめえだけじゃ無理だ!」


「っ……それでも! 今の父亲の体で、満足に働けるとも思えないよ!」


 刻一刻と近づいてくる開店時間。親子喧嘩は熱を増す一方だ。


 一度は間に割って入ろうとした娘も、あまりに埒のあかない平行線の議論に、悲しげに首を振って、どこかへ姿を消してしまった。


 冽花たちは蚊帳の外にいて、はらはらとその様を見守っているより他はなかった。


「ど、どうすんだ……どうすんだよ、これ……!」


「どうにもなりはしないねえ。老子おちちぎみは元より聞く耳を持っていない。というより、冷静でないのは明白だ。……ご巡幸効果で人が集まっている以上、店を開けない手はないということなのかもしれないな」


「っ……」


 おっとりと応える探路の声に歯噛みする。


 蓄財、ひいては自分の病に伏した片割れのためである。治療にかかるのにも、薬を買うのにもお金は必要だ。まして、昨日は賤竜がその老婦人を診察にかかった。


 結果は、賤竜の言葉を噛み砕くに――『よく持っている』といったところであったのだ。

 いかな風水といえど、摩訶不思議な力であろうとも、万能ではないのだと、そう思った。


 冽花は唇を噛む。本当に、どうすることもできない。


 目の前の老いた料理人に、何もしてやることができない。細い蜘蛛の糸を手繰るようにして、片割れの延命のため、意地を張ろうとする男に。


 そうして、そんな冽花を、賤竜は見ていた。


 そうして、ふ、とおもむろに踵を返したのであった。

 鍵のかかったままでいた扉の鍵を開けて――サッと横に一歩避ける。


 すると。


「うぉぉわぁぁあ――ッ!?」


父亲おとうさま!?」


 奇声とともに勢い顔から店へと突っこんでくる、男の姿があったのである。

 その後ろには両手で口元を覆う娘の姿があった。


 誰あろう、突っ込んできて床を滑ってきたのは、向かいの店の店東であった。


 さすがにこの事態に閉口して、青年とその父親も、じっとお向かいの店東を見下ろした。


 額と鼻を擦りむいたらしい向かいの店東は「お~、いちち」と言いながら顔を上げて、その眼差しにぎょっとする。慌てて立ち上がると、腕を組んで胸を反らした。

 挑戦的に顎を突きだし、老いた店東へとにやつく笑みを向けた。


「お困りのようだなあ? 子涵ズーハン。階段から落ちたと聞いたぞ。やはり寄る年波には勝てんようだな」


閉嘴やかましいっ、皓轩ハオシェンっ。嘴の黄色い……毛孩子ひよっこがッ……ツ――俺ぁ、まだやれる!」


 頑固に吼える老店東に、にやにや笑いが薄れてしかめっ面に変わるのだ。


「悪態にもキレがないぞ? 姑老爷むこどのの言うことを聞いて、ここは――」


 かぶりを振って、ここでがつんと食いしばる歯の音を強くあげて。老いた店東は息子の肩に手をおくなり、力ずくで突き押し、進もうとする。


 その手には、最後の意地がこもっていたに違いない。青年を軽くよろけさせるのに十分であり。そして、同時に店東へ破滅をもたらすこととなった。


 片手を卓から放したのが悪かった。必然的に傷ついた足に重心がかかり。低く呻き、その身が崩れていく。


父亲とうさん!?」


 弱々しくも悲鳴をあげ、青年が腕を伸ばそうとする。だが間に合わない。

 離れていた娘も、もちろん冽花たちとて間に合いはしなかった。


 あわや、その身を床へと叩きつけるばかりとなった老店東へと、かろうじて手が届いたのは。


この……这个笨蛋ばかやろうッ!!」


 目をみひらき誰よりも先に手を伸ばした、向かいの店東であった。


 頭上から悪態を浴びせつつも、しっかりと老いた店東を抱えこんでいた。肩で大きく息をして、昨日の憤怒に近い形相をうかべていた。


 痛みを覚悟し身を固くし、目をも閉じていた老店東も、叱咤に我に返る。

 見上げるとそこに、いからせる肩を揺らしながら向けられる、厳しい視線があるので、遅れて弱々しい笑みをうかべた。


「……へっ。ちったァ、やるじゃあねえか、毛孩子ひよっこが。だが、大きなお世話だ。……っ、ツ――俺ァ、まだやれるんだ……っ。は、……やるしかねえッ」


 ぐっと触れ合う身の肩へと手をかけ、そこをも支えにして厨房を見る老店東を、奥歯を噛み、苦々しく向かいの店東は見つめた。抱きかかえる腕に力をこめる。


 口を小さく開けて、結ぶ。何か言おうとした言葉を飲み込んだような素振りであった。


 そうして。


 ここでコツコツと硬く、律動的な靴音が響いた。

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