第20話 小料理屋での一服

 ともあれ、現実は非情である。

 気にはなるものの、それにもまして現実の問題に直面せねばならない。


 客桟やどを探さねばならなかった――が、結果としてやはり全滅であった。探路の薬を買うことはできたために、そこはよかったものの。


 暮れなずむ夕陽をまえに、絶望しながら冽花らは歩いていた。


「もう日が暮れちまうよ……」


「本当になかったねえ、一部屋の空きも」


真的マジでご巡幸効果ぁ……!」


 がりがりがりと髪をかき乱す。そんなことをしても何の意味もないのだが、少なくとも少しだけ気が晴れる冽花である。


 ふといつの間にか、昼間に食事をとった通りへ出ているのに気付いた。


「あれ、この通りは……」


 自然と瞳を巡らせると、あの店のまえで青年が店じまいしている姿を見つけた。

 なんとはなしに向かいの大店をも見ると、未だにその大扉は客を吸いこみ吐きだしてを繰り返していた。


「夜もやるつもりなのか……繁盛してるんだな」


 明かり代や人件費のことを考えると、よほどに儲かっているに違いない。あんな有様を晒したところで客の入りがいいのは、それぐらい味がいいからなのだろう。


 あとは地元民の反応を見るかぎり、『いつも通り』の節があるのか。


 再びなんとなく小料理屋へと目を戻す。と、折悪く青年がこちらを向いた。


 まさか気付かれるとは思わなかった冽花は、慌てて瞳を泳がせる。あの時、謝罪をしにきたのは給仕の娘であったので、気付かれていない可能性のほうが高いものの。


 青年はしばし瞬いた後に、ハッとした顔をしてくる。そうして近づいてくるではないか。


「あの、もしかして昼間に、うちの店にいらした……?」


「あー……うん」


 どうやら低い確率が当たってしまったようである。冽花はますます挙動不審になった。瞳をうろつかせて頬を掻く。


 そんな冽花の様子を見て、青年は眉尻をさげて弱々しい笑みをこぼした。


対不起すみません。あんな騒ぎを起こしたんですから、難儀に思われるのも当然ですよね」


「あー、いや……」


「いいんです。周りのそういったご厚意のもとに、まだ店を続けられているんですから。――ここでお会いしたのも何かの縁です。よかったら、お茶でも召し上がっていっていただけないでしょうか? 店じまいも一通り済みましたし」


 鉄火場の老头子ジジイとばかりの店東にくらべて腰の低い青年であった。


 冽花は言葉に詰まり、助けをもとめて探路と賤竜とを見やる。すると、笑顔で頷かれ、真顔で『お前の思う通りに』と告げられたので、口をもにょつかせた後。


「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ」


 お世話になることになるのであった。一同、青年のあとに続いて店へと踏みこんでいく。


 店内は昼の喧騒が嘘のように静まりかえり、戸や窓の飾り格子ごしに射す陽光で、うっすら赤く染められていた。


 卓のひとつを勧められて腰をおろす。青年は「すぐ戻ります」と言い添えて、厨房へと下がっていった。


 手持ち無沙汰になった冽花は、ちらりと店内を見回した。


 総じて、歴史を感じさせる佇まいである。


 壁紙は軒並み黄ばんでおり、ところどころに小さい絵や掛け軸、それに黄色い符や神の描かれた画が貼られている。


 財運蓄財・招福・無病息災と数多のご利益をもつとされる是向神ぜこうしんと、富を司るとされている抱水神ほうすいしん、それに――健康と寿命の寿砂神じゅさしんだ。


 年季のはいった神棚もあるのだが、なにやらここだけ豪華であった。

 飴色に暗くしずむ調度品へも目をむけると、そちらも何やらこまごまと飾られている。


 目立つのは置物である。銅製に水晶製、翡翠製と、さまざまな素材で作られている――異形の獣たちが居並んでいた。


 以前に賤竜が明鈴の母親に渡していたものを思い出して。なかでも、一つに目をとめて、冽花はおもわず口を開いていた。その一つを指さしながら賤竜を呼んで。


「なあ、賤竜。あの龍の置物ってさ、以前の龍亀みたいに……なんか特別なものなのか? 普通のより足が長い気がすんだけど」


 冽花が指した先には、四本足でしっかりと棚を踏みしめている、龍に似た生き物がいた。


 ちまたでよく見かける龍は、胴が長く、前足と後ろ足が短いのである。だが、その生き物はしっかりとした腰回りといい、四足歩行の生き物の体つきをしている。


『ああ。あれは睚眦ヤアズだな』


「やあず?」


『是。風水において龍は、“最も強力な吉相をもたらす瑞獣”と言われている。その龍にはさらに九匹の子どもがいるとされ、第七子が睚眦である』


「へえ。……どういうご利益があるんだ?」


『魔除け、悪霊避け、邪気避けだな。睚眦は強力な戦士である。その名は“睨む”という意味の字を二つ重ねて、ヤアズと読む。名前通り、一度睨まれたなら逃げられはしない。魔と戦い、打ち払い、殺気を飲むのだと……そう伝えられている』


「へええ。殺気まで取っぱらってくれんのか?」


『是。睚眦を置くことは、家内平安、安全をもたらし、因祸为福わざわいてんじてふくとなす……凶事を吉事に変え、吉運と財運をもたらす効果がある』


「へぇぇ」


 また一つ、風水について詳しくなった冽花である。感心しきりで睚眦を見つめる。目に見えない招かれざる客に睨みを利かせるかのごとく、扉をむく獣をしばし見つめて。


 ここで青年が戻ってきたので、瞳を転じた。


「お待たせしました」


 人数分のお茶と干した紅棗なつめの実が供される。


 歩きづめで喉が渇き、くたくただったので、その心遣いは染みた。また探路のお茶だけ温めに淹れられており、そのことにすぐ気付いた探路は笑みを深めていた。


 噛めばかむほど甘酸っぱい紅棗を口のなかで転がし、余韻を香ばしいお茶の熱とともに楽しむ。甘く暖かいものを腹に入れれば、ほっと一息つくのが道理であり。


 気持ちに余裕が生まれて、冽花は口を開いた。


「美味いな」


「お口に合えたなら幸いです」


「うん。味もだけど……えっと……アンタの、気持ちが美味いんだよ」


「え?」


「昼からずーっと歩きどおしだったんだよ。客桟を探してね。だから很好吃すごくおいしい


 ニッと歯をのぞかせて笑うと、青年もまた目を瞬かせたのち、小さく顔を綻ばせた。


「そうでしたか。確かに……お疲れのように見受けられましたから」


「あ、だから茶を勧めてくれたのか?」


「それもあります」


「そっかあ。多謝ありがとな!」


 なおも朗らかに笑い、その口に紅棗を放りこむ冽花を見て、青年も緊張が解けてきたのだろう。断りをいれつつ傍の席から椅子を持ってきて、盆を膝にのせ、腰をおろした。


 そして、そんな青年を前に、今度は探路が口を開いた。ぱかりと開けたそこへと賤竜に紅棗を入れてもらいながら。


老子おやじさん妻子さいくんはもう休まれたのかい?」


 頬をもごつかせながら彼が訊ねた言葉に、青年は軽く目を瞠った。そうして目尻をさげると、一度頷いてから、話す最中にかぶりを振った。


父亲とうさんについてはそうです。もう若くないから。けれど、彼女は違います。俺の母亲かあさんの世話をしてくれています」


「君の老太太おかあさまの?」


「ええ。もう長いこと伏せってるんです。母亲もそう若くはないから……彼女には本当に頭が上がりません」


 後ろ頭をかいて苦笑いをうかべる青年に、目を細めては、探路は瞳を店内へとむけた。


「だからこんなにも蓄財や健康祈願に関する品が置かれているのだね」


 病床の家族の快癒をねがい、藁にも縋る思いでかき集めている品なのだろう。

 同じく店内へと目をむけると、青年は頷きまじりに項垂れてしまう。


「ええ、その通りです。少しでも良くなってもらえればと思って。……昔みたいに、皆で店をやれたらいいな、と」


 伏せた眼を揺らした。


 そんな青年の様に、冽花はおもわず眉尻をさげる。傍の賤竜を見やり――そっと、その名を呼ぼうとした。それこそ、明鈴の母親の例を思い出し、彼ならその難局に対応できるのではないかと判じたのである。


 けれど、察して瞳を滑らせてきた賤竜は……小さく首を振った。


 まさかの反応に、愕然とする冽花であった。

 拒否をされたのか、自分は。賤竜に。否、もしくはその風水でも、できないことがあるのだろうかと。


 その顔をみるに、賤竜はわずか静止した末に――青年を見た。

 そうして、だしぬけにこう告げる。


これは按摩をくする。差し支えなければ、後ほど老太太ごぼどうと拝顔のえいよくすることは可能だろうか?』


 突然の按摩。そして、皇帝相手にでも拝謁を願うかのような、仰々しく堅苦しい口調。

 市民の青年は当然ながら目を点にした。


「えっ……と?」


 大慌ての冽花だった。


「ああ。ええーっと……こいつ、こういう大げさな言い方をするのが癖なもんだからさ! でも、居ても立っても居られなくなったんじゃないかな。アンタの老太太おかあさんの力になりたい! ってね。腕は確かなんだぜ。あたしも探路もやってもらってるから!」


 会ったばかりの御仁の母亲ははおや、しかも老齢とはいえ女性相手に何を言うんだ、といったところではあるものの。賤竜はそういう男であった。でなければ、冽花の腰――尾てい骨の治療もしない。


 ぐっと拳を握りしめる冽花に加えて、まさにその治療を受けている最中である探路も、微笑みを並べる。


 それが決め手になったのだろう。青年は気圧されつつも頷き返した。


 そうして、その夜は青年の家にご厄介になることになった。厩でもなく軒下でもなく、物置部屋という形になり。ここでも人の好い青年と、その妻子つまである娘が動いてくれて、掃き清めては毛布を持ってきてくれた。


 やはり返す返すも礼を述べて、これ幸いと三人で体を休めることになったのであった。

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