第19話 喧々諤々、お食事タイム

 通りへと繰りだすと、本格的な人だかりの波に飲み込まれてしまった。


 さして広くない通りに満ちる、人、人、人、人、人の山である。


 食べ物はもちろんのこと、名物や土産物や――あるいは今時期のみに違いない、この地では見かけられない名産品や、目をひく雑貨、装身具などを売る露店みせがひしめいており、人々は立ち止まり、時に吸い寄せられていく。


 値段交渉や声高に自慢の商品を宣伝する声、個々のちょっとした呟きが、潮のうねりのようなざわめきを生んでいる。

 むっとする濃厚な人いきれと、そこに雑多に入り混じる香りと。


「恐るべきはご巡幸効果だな」


「そうだねえ。経済が回るよ、これは」


 どうにかこうにか食事にありついて、通りの片隅にて座れる場も確保した冽花たちは、時おり目を丸めながらその様子を眺めていた。


 漣建の街は陽零よりもさらに大きい街である。


 肥沃な龍涎大湖りゅうぜんだいこに接する、水の都・福峰へと向かう最後の宿場町であるからして、その発展は、まさに『如龍得水りゅうのみずをうるごとし』といったところである。


 今は各地の商人たちがこぞって訪れているに違いない。人が人を呼んでのこの人だかりであった。


 当の皇太子たちが訪れる前ですらこれなのだから……訪れた際の熱狂といったら、想像もしたくないほどである。


 松鼠鱖魚ソンシューグイユイ(川魚の甘酢あんかけ)を食べながら、冽花は思案げにする。


 サクサクこってりとして甘い味つけの揚げ魚は、ひと口嚙みしめるごとに幸せを運んでくるものの、それはそれとして今後の動きに悩むのであった。


 その対面では、とろっとした蟹粉豆腐シエフンドウフ(川蟹と豆腐の煮込み)を賤竜に匙で掬われ、口へと運ばれて、舌鼓をうつ探路の姿がある。その悩む声色に応じるのだった。


「この分だと、客桟やどとるのもひと苦労な気がするな。下手したら、ないぞ」


「うーん……そうだねえ。安い場ならあるいは、という希望も、最初から持てないぐらい混んでいるからね。――ああ、賤竜、次は粥をお願い」


真的マジでご巡幸効果……ここまで来て、野宿なんてヤダぞ」


「こういう時、古い物語とかなら……軒下やうまやを借りたりするんだけどね。現地に住んでいる人に」


「いっそ、軒下……贅沢言うなら厩でもいい。貸してほしいわー」


 頭を掻いて眉尻をさげ、うんうん唸っていると――冽花は肩を跳ねさせていた。


 突如として、平穏をぶち破る異音があがったためであった。


 喧噪のなかでもよく響く。ともに勢いをつけて押し開かれる大扉が視界のすみに入り、目を丸めて、そちらを見遣っていた。


「うぉっ……!? なんだなんだ?」


 冽花たちがいる小料理屋の正面にある、すこぶる大きく立派な飲食店。


 その真正面の大扉から、今しも料理人と思しき男が、大股で歩み出てきた。


 憤怒ふんぬの形相でもって。そうして、道の中央にくると足を止めるなり、胸いっぱいに息を吸って――。


子涵ズーハン! また俺の味盗みやがったな!?」


 空気をびりびりと震わせる、どら声を響かせたのであった。


 蟲人として感覚の鋭い冽花は堪らない。探路も首を縮めたので、賤竜に耳を覆ってやるよう、指示を出した。


 ここでおもむろに、小料理屋がわの扉が開かれる。こちらも油はねした作業着をまとい、料理人の出で立ちをしている男が現れた。

 表情はもれなく憤怒に染まっている。


 慌てて、給仕の娘が居並ぶ客のあいだを縫って向かおうとしている所、腹から出す胴間声で応じるのであった。


「誰が誰の味を盗んだってぇ!? 人聞きの悪いこと言うんじゃねえ、皓轩ハオシェンッ!」


「人聞きの悪いことも何も事実じゃあねえか! 耄碌もうろくしすぎて聞こえなかったようだから、もっぺん言ってやるがな! お前が、この俺の蛋花湯タンファータン(卵スープ)の味を盗んだんだ!」


「蛋花湯だァ!? んなもの、店始めて四十年、来る日も来る日も同じ味を作り続けたわ! もう目ぇ閉じても作れらぁな! おめえの舌こそ錆びたんじゃねえのかッ!?」


你别说疯话ばかなこといってんじゃねえ! 俺んとこの開店はおめんとこより五年遅えじゃねえか!! 錆びて朽ちた上に苔まで生えてんのはおめえさんの方だ!」


「なにおう!」


「なんだよ!」


 道のど真ん中で角突き合わせる二人のもとに、ようやく二人の男女が駆け寄り、取りすがっていった。


「もうやめてくれよ、父亲とうさん!」


父亲おとうさまもやめて、恥ずかしい! お客様がたにも迷惑よ!」


 小料理屋から飛びでてきた青年が、小料理屋の店東へ。やはり小料理屋で給仕を務めていた娘が、大店の店東へと取りすがって叫んだ。


 しかし、二人の舌鋒は止まらない。


「止めんじゃねえ、凛風リンファ! この老东西おいぼれには一度、ガツンと言ってやる必要があると思ってたんだ! 目ぇ閉じても作れるだなんざ、法螺吹くところも含めてな!」


「ええい、仕事に戻れ、子墨ズームォ! この節穴野郎に、今日こそ目にもの見せてやらにゃあ!」


『勤務時間中でしょ!』


 声を揃えて男女が怒鳴りかえすと、料理人二人は唸った。うぐぐ、と唸り――。


「……勝負は預けておくぜ。だが、近いうちに必ずケリつけてやるからな。待ってろ、老东西おいぼれ


「言ってろ。いっぱしに囀るのだけはお得意な、嘴の黄色い毛孩子ひよっこがよ」


 そうして、二人の料理人は、肩を怒らせて元来た道を戻ってゆく。


 その後に続く形で、周りの客らにしきりと詫びる青年があり、給仕の娘があった。


 客の反応は千差万別であり、彼らに憤慨する者もいれば、苦笑まじりに受け入れる者もいる。慣れた調子で笑いかける者すらいた。


 慣れた調子で笑いかけて、労いの言葉すらかける客がいるのを見て、冽花はこの騒動が日常茶飯事であることを悟ったのであった。


 そうして、冽花たちの席にも給仕の娘が訪れた。


非常抱歉这次打扰您了たいへんごめいわくをおかけしました


 そう言って、左手の拳に右手をかぶせて、拱手きょうしゅ礼をとってくる。

 その頃には耳の覆いも取っていた冽花たちは、苦笑まじりにその謝罪を受け入れた。


「いや、真的マジで驚いたぜ。雷が落ちたかと思った」


『現在は雲一つない晴天であるが』


たとえだ、たとえ」


真的非常抱歉ほんとうにもうしわけありません


「まあ……過ぎたことだ。いいってこと。それより、いつもああなのかい?」


 向かいの店――彼女が父亲おとうさまと呼んだ料理人が消えていった場を見やると、娘は頬に手をあてて溜息をついた。


「ええ。五年ほど前から急に……それからは三日に一度ぐらいは」


「うへぇ。三日に一度はあの剣幕で怒鳴り合ってんのかよ。よくやるなあ」


「五年ほど前まではそうではなかった……というと、むしろ逆に仲はよかったのかい?」


 ふとここで探路が口を挟んできた。

 娘は瞬いたものの、ふと遠い目を作り、頷いた。


「ええ、そうです。父たちは、子のわたし達が生まれる前から仲が良かったと聞きます。それが、なぜだか五年ほど前から……わたし達も昔の仲のいい父たちに――」


 と、ここまで言って、他の客から娘は呼ばれた。謝罪まじりに彼女は踵を返していく。


 残った探路は低く唸りをもらし、そんな彼を冽花は見やるのだった。


「なんでいきなりあんな事聞いたんだよ?」


「気にならないかい? 客商売をしている人間が、人目を憚らずにあんなことをした理由が」


「そりゃまあ……でも、味を盗んだっていうんだから、普通に相手の評判を下げるためなんじゃねえの?」


 ゆっくりと探路は首を振った。薄い笑みまじりに冽花を見つめ返すのだ。


「冽花、君は『雷が落ちたかと思った』と言ったね? つまり、君は驚き、恐怖を感じたんだよ。そうして、それは……あちらの店東てんしゅの登場に際してじゃなかったかな?」


 あちら、と言って、通りの向かい側にある店を見る探路に、ちょっと考えてから、「まあな」と冽花は頷いた。


真的マジでビビったぜ、あの時は」


「そう。そして、そんな真的でビビった君は、あちらの店で食事をしたいと思うかい? 今でも」


 問われて冽花は瞬いた。答えはすぐに出た。首を横に振るう。


「思わない」


「だろう? あちらの店東がしていることは、自分にとって不利益を生むことなんだよ。相手の評価を下げたいのなら、噂でもなんでも使い内々にやればいい。そうすれば、彼が傷つくことはないんだからね」


 そう言って、探路は賤竜へと呼びかける。冷めつつある蟹粉豆腐シエフンドウフ(川蟹と豆腐の煮込み)の給仕をおねだりにかかった。そうしながら口を開いた。


「彼が自分の不利益を秤にかけてでも、そうする理由があるはずだよ。僕はそれが気になるなあ」


 そんな風に告げる探路に、やっぱり冷めかけた松鼠鱖魚ソンシューグイユイ(川魚の甘酢あんかけ)を食べだしつつ、冽花も思案げにするのであった。

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