第17話 姿見えぬ『誰か』への思慕

 探路はたぶん、良いところの出なんだな、と冽花はすぐに気付いた。


 まず、事あるごとに礼を言う。物腰柔らかで、相手の目線に立って話をするのが得意であった。この場合の相手目線とは、相手が上手く口に出せない事柄も含めてを指す。


 冽花の物言いもだいぶ大雑把なところがあり、時おり表したい言葉が思いつかない時がある。そんな時には先んじて、探路が言葉を探してくれるのであった。


 頭がよく物知りでなければ、相手の言いたいことを先回りして、しかも、ピタリと当てはまるように想像するなどとできやしない、そう思う冽花である。


 そして何より、最初は頑なに、自分が沙发ソファーに寝ることを誇示したことが、その印象に拍車をかけていた。女性である冽花を沙发に寝かせるなど言語道断だ、と。


 寝返りもうてぬ状態で誤って転げ落ちた際を挙げて、賤竜と封殺したことにより、牀は探路、沙发は冽花になったのだが。


 賤竜は椅子である。腕組みして椅子に腰かけている。本人がそれでいいと言うのだから、冽花はツッコまないことにした。


 そうして、皆で揃って眠りについたのだが。


 夜半頃のことであった。ふいに、牀のがわから苦しげな呻き声があがったのである。


 冽花はパッと目を覚まし、おもわず身を起こしていた。つられるように牀を見やると、折しも賤竜も立ち上がったところであった。


 彼の所作につられる形で、冽花も立ち上がり、牀の――探路のもとまで向かう。


 そうして、不自由な体をよじり、しきりと誰かへと詫びる、彼の姿を目の当たりにしたのであった。


 冽花は絶句した。ついで、色んな可能性を考えた。


 一つは、それこそ、失われた記憶の欠片が夢で再生されている可能性。

 もう一つは、前世の記憶の片鱗がよみがえっている可能性である。


 前者は無論、後者の苦しみをも――当時の懊悩を、克明に経験してしまう辛さを知っているため、おもわず眉尻をさげた。


 かといって、どうしてやることもできはしない。歯がゆさに唇を噛むと、賤竜がふと動きだしていた。


 その身を丁寧に横へと転がし、安定するよう靠垫クッションを置き直しては、陰気の炎の灯る掌で背を擦りだした。


 びくりと肩を跳ねさせる探路だったが、やがてほどなく緩む息を吐き、深い眠りに落ちていった。


「……フーラン……っ」


 そう苦しげに言い残して。


 朝になり探路に聞いてみたものの、彼は覚えていないようであった。物思うように目を伏せていたけれど。


 そうして、探路は昼間は何事もなく朗らかに、明るく。夜は時おり魘される様を垣間見せるようになった。

 ひどく苦しげに喘いで、不自由な体を身じろがせて悶え。何度も何度も詫びた末に。


「湖藍……!」


 ひどく悲しげに、その名を呼ぶのである。


 冽花の胸に、その名は硬く刻みこまれた。探路のその様子も。


 きっと、大切な人なのだろう。きっと、本当はその名前をもつ当人に謝りたいのだろう。

 けれど叶いはしない。


 現状、彼が呼ぶその大切な人は。その失われた記憶のなかにしか存在しない。しかも、昼間は――意識下ではその記憶を認識することができぬのである。


 せめて、記憶だけでも取り戻してやりたい。そうして、彼の帰りたい場所に帰してやりたい。募る思いは雪のように降り積もるものの。


 今日も探路はうなされているようだ。

 ふと瞼をあげるなり、冽花は唇を噛みしめるのだった。

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