第13話 囚われの猫娘

『“八卦『震』星3、木行”。これは玄空飛星派風水において、紛争と略奪を象徴し、改善する必要のある状況だ』


 後になって思う。この言葉の真意を、もっと深く追求すべきだったのだと。


 行方知れずの幼い蟲人の子ども。紛争と略奪。

 まるで見えない手に操られたみたいに、役人と喧嘩をした自分。

 蟲人だと、みずから露見させた自分。


 その結果が、この有様であった。


「っ、いっ……てぇ」


『あ、冽花! 目が覚めたのね!』


 目を覚ますと、視界いっぱいに涙目の妹妹の顔が映りこんでくる。

 『あ、何かあったな』と直感的に理解できる光景だった。


 そうして、冽花は後頭部に鈍痛をおぼえる。脳内で銅鑼どらを叩かれるような痺れが何度も走るために、呻きまじりに身を前屈させた。

 後ろ手に縛られた窮屈な指をもがかせて耐える。縛られている? ――窮屈さは足にも感じられて、脚部も纏められているのが知れた。


「……ッ、なにがどうなってん、の……ここは?」


 痛みの波がすぎるのを待って、ようやく口を開く。

 妹妹の体ごしに透ける景色から、おおよその状況判断はできたものの、にわかに信じがたかった。


 自分は無数に置かれた檻のひとつに混じり、手狭な檻に入れられている。

 なんで? どうして? と、泡のように浮かんでは潰える疑問を、妹妹のたった一言が弾けさせてくれた。


客桟やどの人が冽花を襲ったのよ。そして、ここに連れてきたの』


「あ」


 その一言で空白の時間から今まで、すべてが繋がった。


 あの後――女性の家を後にしたあとで客桟に戻り、ひと休みしてほとぼりが冷めた後にこっそり買い物に行こうと、そう言って賤竜と別れたのである。

 そして、何気なく用を足そうと部屋の外に出た。その帰り際を襲われたのである。

 まさか客桟の店東しゅじんに襲われるとは思ってもみずに、冽花は打ち倒された。


「あ」


 賤竜は――と思ったものの、彼が人にどうこうされるような存在ではないことに気付き、すぐにその懸念を振り払う。それよりも自分だ。


「とにかくここを抜けださないと。妹妹、周りのことをもっと詳しく――」


 しかし、その声は大きく太い胴間声どうまごえにかき消されてしまう。

 反射的に身を光と化し、消え去る妹妹。冽花は身をよじらせて、その声の主を見た。


「オオラオラ! 飯の時間だ。起きろ、蟲人ども!」


 そう荒々しく叫んだのは、筋骨隆々な男であった。その顔にどこか覚えがあり、冽花は目を眇める。だが、その違和感はすぐに氷解した。


 ――あいつら。賤竜が抱水バオシュのこと話した時に示した先で……。


 男の後ろから部屋に入ってきた数名。いずれも引き締まった身をもつ水夫たちであった。

 賤竜が抱水を説明するおりに、指して挙げた場所にいた者たちだった。

 そうして、水夫たちが檻を開けて世話をしだしたのは、蟲人だという。


 ――あの諍い。自分が蟲人であることを町で明かした後に襲ってきた客桟の店東てんしゅ。襲われた自分が連れられてきた場所で、蟲人らの世話をする水夫たち。いなくなった蟲人の娘。

 紛争と略奪。


 ばらばらであった事象が、脳内で一つに繋がっていく。


 ――真的マジかよ。下手したら、町ぐるみで悪さしてるってことじゃねえか?


 女性の訴えをにべもなく突っぱねていた役人の顔が、脳裏をよぎった。


 ともあれ、これは好機である。冽花は胸のうちで妹妹を呼んで、その時を待つ。

 自分の番が回ってきた時が脱出の好機。じっと水夫たちの動きを見つめて――そうして、冽花は目を疑った。


 それぞれの檻から、やにわに小さくあがるうめき声があった。

 水夫たちは檻を開けるなり、鋭く光る小刀と小さい器を取りだしたのである。そうして、身動きのとれない蟲人らの身を切りつけるなり、溢れる血を集めだしたのだ。


 その光景は『異様』の一言に尽きた。


 蟲人らは血を絞り取られ、おざなりに止血を施されると、粗末な饅頭(蒸しパン)と水入れの皿とを檻に突っこまれている。傷つき、不自由な体を引きずり、皆は食事にありついていた。


 これが『食事の時間』。家畜以下の扱いである。


 冽花は歯の根が合わなくなった。無論、怒りからである。

 そうして、彼女にとっての悲劇はそれで終わらない。


 折しも、目の前の対面する檻が開かれたのだ。あっと息を飲んだ。


 隅で縮こまっている、鳥の翼と人の腕をもつ幼子の姿が見えたためであった。

 自分をきつく抱きしめて震えている。その涙の筋のついた頬には、まぎれもない『蒲公英』の刺青めく痣が咲いていた。


 明鈴ミンリンである。やはりさらわれていたのだ。


 ――っ、明鈴……! ああっ……!!


 見ている前で、水夫が腕を突っこみ、明鈴の足を掴んで引きずりだし始める。

 明鈴も鉄の床を掻き、翼をばたつかせて暴れるものの、所詮は幼子の抵抗だ。その身は徐々に檻の入口へと近づいていく。


「いやぁ! 痛いのいや!! やァァ!」


 すでに洗礼を受けていたのだろう。幼子にはさぞ恐ろしく、辛い経験だったに違いない。その目に溢れだして光る、涙の雫があった。


 冽花は瞳孔を肥大させる。だが……見ていることしかできない!

 必死に格子に縋りついて、もぎ離されては、なおも床を掻き。突っぱる足で水夫を蹴りつけてでも――あっさり受け止められて、返す形でしたたかに頬を張られる。


 声もなく小柄な身は吹き飛んで、格子に頭を打ちつける。だらりと力を失くした姿に、冽花は目の前が赤く染まる心地がした。

 明鈴のまろい腕からも血が奪われていく。


 冽花はじっとその光景を見つめた。食い入るように見つめて――……そうしてついに、冽花の檻の扉に手がかけられたのであった。

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