第12話 小さな尋ね人、明鈴

 混乱に乗じて、脱兎のごとくにその場を後にした冽花たちである。


 女性の先導をうけて、今は彼女が逗留とうりゅうしている客桟やどへと身を潜めていた。


 ……客桟をひと目見るなり、賤竜が周りを見回し、さらには客桟に入ってもあちこちを覗きだしたので、冽花は嫌ぁな予感を覚えたのだが。


「賤竜……なんでそんな、周り気にしてんだ」


『“無尾巷冲むびこうちゅう”。路地で通り抜けられない突き当たり……袋小路に位置する家は、“剣が突きつけられている”と表される家相である』


「もう嫌な予感しかしない。……続けて」


『是。直進する道路や路地に面する建物は、良い気が入ってこない。さらに袋小路であることによって気の流れが停滞する。淀んだ陰気、邪気、殺気、妖気が、玄関から侵入してくる。とくに突き当たりの建物が影響を受ける』


「突き当たりの建物じゃん、ここ。待って、殺気いがいも入ってきてんじゃないの。……ええっと、で、なんで客桟のなかまで?」


『間取りがな。“八卦『震』星3、木行”。これは玄空飛星派風水において、紛争と略奪を象徴し、改善する必要のある状況だ』


「ふ、紛争と略奪!?」


 おもわずと声をあげる冽花と律儀に『是』と頷く賤竜。そんな二人のもとへと「お茶が入りましたよ」と切りこまざるを得ない、幸薄い女性であった。


 ひとまず落ち着いて、お茶を頂く冽花である。お茶といってもほぼ湯であるが。薄い。だが女性の出で立ちを見るに、文句の一つも言う気にはなれなかった。


 賤竜はといえば、縁が欠けている碗を鼻先に寄せて、くゆる微かな香りを楽しんでいる。


 そちらは置いといてよしとして、冽花は女性に意識を傾けた。


 ……大切な子どもが行方不明である状況において、彼女は最大限努力して、平静につとめているのが見受けられた。それはもう痛々しいほどの微笑みが返る。


 冽花は逆に眉尻を下げてしまう。おもわず後ろ頭を掻き、頭を下げた。


「えっと。……さっきは対不起ごめんなさい。頭に血が昇っちまって」


「いいのよ。こちらこそ、巻きこんでしまってごめんなさい。それから、わたしが言えなかった分まで、あの子のために怒ってくれて有難う」


「ん……」


 そう言われてしまうと、冽花は顔を上げざるを得ない。なんとなくまた碗を手にして、湯に近い茶を啜るより無くなってしまうのであった。


 言うべき言葉を探して瞳をうろつかせていると、ふと目に飛び込んできたものがある。あっ、と胸のうちで声をあげるのと同時に、賤竜が顔を上げていた。


『その絵姿の子どもが明鈴か?』


「ああ……」


 奇しくも賤竜が指さして告げたのは、冽花が見つけたのと同じ、小さい掛け軸だった。


 そこに書かれているのは二人の人物である。一人は、今よりも格段に女性らしい丸みを帯びている目の前の女性だ。膝を折り、見下ろすその視線のさきに、しゃがみこんで蟻の行列を眺めている、幼い少女の姿があった。


 その少女のまろい頬には、小さい蒲公英柄が咲き乱れており、耳と片腕は半ばから鳥の翼に変わっていた。


 現実の女性は儚く微笑むなり、頷いた。


「ええ、そうです。明鈴です。……亡くなった主人は絵師でして」


『ふむ、なるほど。……子は、普段から鳥の姿に?』


 あっ、と胸のうちで冽花はまた声をあげる。しまった。一般常識は教えたとはいえ、蟲人の子ども時代などと局所的な情報は教えていなかった。


 不躾な質問に慌てて女性を見やるものの、そんな冽花へと安心させるよう微笑むなり、女性は賤竜に再度向き直った。


「蟲人と接する機会があまり?」


『うむ。――冽花が初めてだ』


「なるほど。蟲人は混ざりものの種とも言われています。それは心と体も同様で。とくに幼い頃には多くが、前世のものと自分のものとの区別がつかないと……そう聞いています。少しずつ大人になるにつれて、その辺りの区別をつけられるようになると」


 女性の目が冽花を見やる。


「冽花さんのように、その場に応じて使い分けることができるようになります」


『なるほどな』


 賤竜は頷き、再び黙りこんだ。再び碗を鼻先へと寄せる。つかの間に碗を卓へと置いて、おもむろに懐を探った。彼が卓上へと置くものに二人の視線が吸い寄せられた。


 それは水晶でできた小さい龍亀(亀の体に竜の頭の瑞獣)の置物であった。


『これをあちらの方角の……あの辺りの棚に置いておくといい』


「これは?」


『龍亀だ。亀の置物は風水において魔除け、厄除けをしうる。甲羅が邪気を跳ね返すがゆえに。龍は開運と運気上昇の象徴とされている。双方の意を兼ね備えたこれは、商売繫盛・開運厄除の効果を受けることができる。まずもって、木行には火行と土行だ』


「はあ……」


「あっ。あの……こいつ、風水かぶれなところがあって。えっと、お話聞いて。良いことありますように、ってつまりそういうことなのかと!」


「まあ……」


「というよりか、現実的に考えて――」


「ああーっ! ええっとぉ。お茶美味しかったです、ご馳走さま。そろそろあたしら行きます! ……っていうか、さっきの銭入り鉢といい、どっから持ってきたんだよ?」


『あの通り沿いに面していた風水店より。等しく売買契約は成立している』


「あっ。買ってきたん――……ってか待て。その金って……」


『手持ちのものを使用したが』


「っ、手持ちって……やっぱり、旅支度の費用じゃねえか!」


 賤竜の背中を押して玄関へと向かいながら、冽花はおもわず吼えてしまう。


 なけなしの旅銭たびせんを!! まあ、今回は冽花にも悪いところはあったものの、それを差し引いても、という気持ちなのであった。


 ぽかんとして喧しい背を見送る女性のことを、卓上の龍亀が透徹とうてつたる眼差しで見守っている。


 その甲羅と竜頭でもって、邪気を跳ね返し、しっかりと福に喰らいついて離しはしない。


 賤竜が扱う風水の凄まじさを女性と――冽花がまた身をもって体験する機会は、思ったよりも早く、思わぬ形で訪れるのであった。

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