第11話 風水の恐ろしさと妙技

 冽花たちが比較的大きな目抜き通りに出たところである。ちょうど見えてきた町役場。その前で騒動の種が待ち受けていたのである。


 耳をつんざかんばかりの女の金切り声があがった。


「お願いです、わたしの子を探してください! お願いです、お願いですからァァ!!」


 驚いて足を止めると、そこには中年の役人へと取りすがる女性の姿があった。


 その身なりは――旅人の装いをしており薄汚くぼろぼろである。手首は枯れ木のように細く、役人の衣に取りすがる指も罅とあかぎれで覆われていた。


 女性を見下ろす役人の顔が、見る間にどす黒く歪んでいく。その手を手荒く払い除けるなり衣を払う仕草をした。


 事情は知らぬものの、ここまで見ていて、すでに冽花はむかっ腹がたった。が、駆け寄ろうと前傾したところで、賤竜がその前へ片手を差し入れてきた。「なんだよ」と噛みつくように見やると、低く囁いてくる。


『場所が悪い。見ろ、あの男女が諍いを起こしている場を。後方の建物は恐らく男の側の職場なのだろうが……この場から見るに丁字路の入口にある。家が道の突き当たりにある状態、すなわち“路冲煞ろちゅうさつ”だ。殺気、人間関係を悪くする気を受けやすい場である。この状態にあり、さらにここは人の出入りが多い。こういった場合――』


「話が長い!」


『……つまり、あの場に出ていけば、冽花も悪しき影響を受けることになる」


 ぎりりと歯噛みする冽花。つまり、『危ないから出ていくな』と言っているのである。


 気うんぬんと言っているのだ、彼にしか見えない風水的な理由で。しかも、本当に現実的な被害が起こり得る可能性があるに違いない。


 だが、事態はさらに動きつつあった。

 女性は振り払われたとて、なおも役人の足元に縋ったのである。


「お願いします、あの子しかいないんです、わたしには! わたしの可愛い明鈴ミンリンを探してください!」


「ええい、うるさい! その汚い手を放さないか!」


「死んでも放しませぬ! わたしの明鈴を――」


「お前の子は蟲人というではないか! そんな醜く穢れた子など、この際捨て置けばよかろう!」


 なんと。

 なんと心ないことを言うのだろう。


 役人の舌鋒に女性は言葉を失くした。手荒くその手がまた振り払われ、枯れ木のような体が突き飛ばされる。土埃まみれになる。


 冽花は自分の脳内が静まり返るのを感じた。ひたすらに冷たく。そうして、賤竜の腕を――いいや、体を突き押し、すれ違ったのである。


『冽――』


「待てよ、王八蛋ひとでなし可恶的家伙くそやろうが」


 低くもよく通る声は、静寂のなか、よく響きわたった。

 きつく役人をひと睨みし、冽花はその場へ駆け出していく。


 倒れ伏した女性の傍らに添うや、その体を助け起こした。そうして、キッとまた役人を睨みあげるのだった。


 役人はつかの間、呆けたものの、事態をすぐに察した。望まない闖入者が現れたことを。遅れて顔をしかめた。


「……なんだ、お前は?」


「なんだもかんだもねえ、⼈渣クズやろう。てめえは役人として、旅人ふくめた庶民の銭から飯食っておきながら、蟲人だなんだで差別すんのか?」


「う……うるさい、蟲人は別だ!」


「何が違う。同じ人の母親から生まれて……お前らみたいな奴のせいで捨てられっちまうこともあるが、こんな風に可愛いがって育てられて。それで大きく成長してく奴もいる。何が違うんだよ。お前たちと」


 冽花は興奮していた。そうして、その気持ちに呼応したのだろうか。


 その瞳孔が引き絞られ、肥大した。芳しい杏の花香がその場に広がるのだ。


 役人は息を飲んでいた。鮮やかな杏の花に彩られている猫娘に告発され、遅れて、口角泡をとばし、鼻白んだのである。


「お、お前も蟲人ではないか!」


「ああ、そうさ、あたしも蟲人だよ! だから、てめえみてえな真恶⼼むなくそわるい奴の物言いには、腹が立って仕方がねえんだ!」


 どんどん頭が沸騰してくるのを感じる。周りの者たちの目が、蟲人と分かった時点で変わったのにも気付けはしない。


 ある者はそれこそ汚らしいものでも見る侮蔑の目で眺めて、ある者は冷然たる眼差しをむける。また、ある者は「蟲人の分際で」と憤慨する。


 周りの空気がどんどん変わってくるのに、冽花だけが気付けずにいた。冽花に庇われる形の女性は、逆に冷静さを取り戻したのか、顔を青ざめさせていた。


 冽花と役人の諍いは白熱の一途をたどる。おもわず女性が冽花の裾をつかんで、止めようとするぐらいには、悪い意味で人目を引いてしまっていた。


「あ、あなた、もうやめ――」


「何を言うんだよ! アンタの可愛い子を、こいつは蟲人ってだけで見捨てようとしてるんだぞ!」


「それは――」


「フン! むしろ、その女のざまを見ろ。蟲人はやはり、いるだけで不幸を招く存在に他ならない! むしろだ、いなくなったことを幸運に思うこそすれ!」


「まだ言うか、てめえはよォ!」


 なおも冽花が吼え猛ろうとしたところで、その場にふと――玲瓏たる音色が響き渡った。


 ちゃりん、かぁん、と転げたのは。それこそ、銭と硝子とがぶつかる繊細な音である。


 一同はその場を見回した。すると、そこに『水と、銭が七枚はいる硝子鉢』を手にした賤竜の姿があったのである。


 その余りに場違いであるとともに非日常を思わせる涼やかな在り様に、その場の人々は刹那に争いを忘れた。冽花ですらも。


 そうして、賤竜はその硝子鉢を持つまま、その場へと歩み寄ってくる。そして、冽花と役人との前に硝子鉢を置いた。


『“路冲煞ろちゅうさつ”の改善、とくに人の出入りが多い場の場合には、かような安忍水あんにんすいや七星剣、尚方寶剣しょうほうほうけんを用いるといい』


 淡々と告げると、冽花へと振り返る。


『三十六計逃げるに如かず』


「は?」


『場所、時間、すべてが悪い。お前はすでに殺気の影響のただ中にある』


「は。……あ」


 殺気。先ほど、賤竜が告げていたことであった。


 “殺気、人間関係を悪くする気を受けやすい場である”


 まるで操り人形のように、女性をもさしおいて議論を白熱させていた自分。

 頭が真っ白になり、血の気がひいていくのを感じた。


 そんな冽花へと、賤竜は硬直を許さなかった。


『冽花、力の行使の許可を』


 この場で易々と役人が、自分と――巻き込まれた形になる女性を、逃がしてくれるとは思わなかった。

 冽花はすぐに我に返るなり、唇を噛みしめる。


「……壊すなよ」


『了解した』


「第一段階、『水滴石穿すいてきせきせん』の使用を許可する」


 その場に激震がはしり、多大なる混乱が訪れたのは言うまでもなかった。

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