ひと息いれて状況整理
第5話 猫娘、三百年後の世界について語る
廟からの脱出後、冽花は三日ほど寝こむことになった。
三日でどうにかなる辺り、獣の蟲人さまさまか。あるいは自身が行使した黒い炎の――もしくは。目の前で腕まくりして、淡々と冽花を
冽花はぺったりと壁際にそい、必死に片手を伸ばし、首を振っていた。
「按摩はいい。もう按摩はいい、賤竜!」
『しかし、未だ軽度の実熱証(傷による急性疾患)が見られる。陽気過剰。よって、“
「だーから、もう!!」
要は『微熱があるから、自分の陰気を流し調整する』ということなのだろうが。
すでに冽花は、動けない状態でその按摩を受けていた。傷に障らないよう少しずつだが――要は、肌を露出させて触れられていたのだ。
怪我と発熱で朦朧としながら唸っていた時は別として、はっきりと自覚した以上、うら若き乙女として羞恥の極みである。
前世の
余談だが、現在、鎧を解いて冑を取っている賤竜。
何気に端正で、涼やかな目元をしていた。
血色が悪いのは僵尸――死したる骸の妖しであるから仕方ないとして。
スッと横に一筆引いたような切れ長の目に、通る鼻筋、形のよい薄い唇。表情のとぼしい真顔なだけに、冷たく整った顔立ちはより際立って見えた。
また、腰までの濡れ羽色の髪を太い三つ編みにし流しており、彼が動くと尻尾のように揺れた。
……尻尾といえば、老鬼に踏み砕かれた骨であるが。
あの骨折も人型に戻ったとて反映されており、ひどく痛む腰に泣きを入れていたところ、賤竜が冷たい手を当て、擦ってくれたのである。
腰に。猫が本来、尾をつけて伸ばしている部分に、素手で。
「ああ――ッ!!」
『さらなる陽気過剰を観測した。やはり対応を――』
「だからいいんだよぉ!!」
思い出してしまい頭を掻きむしる冽花に、機敏に反応して歩み寄ろうとするのに、歯を剥きだし威嚇する始末であった。
こんな具合で、非常に四角四面ながらも手厚い看護をうけて、冽花は英気を取り戻していた。廟を抜けだし、最寄りの里山に逃げこんで、見つけた山小屋を間借りしての現在であった。
ようやく賤竜が退いたのに、荒く息を吐きだしながら安堵する冽花である。
喉が渇いたので水を、と所望すると、すぐに木杯にはいって届けられた。
ちびちびと水を飲みつつ、ついでに窓を開けて空気の換気をし始める様子を眺めていた。
里山に潜んでは、冽花のために薬草や食べられる草花、獣を獲り、処理をし調理して。ともにいる時間のすべてを冽花の看護に費やし、気付けば細々と働いている。
そういう僵尸なのだとは知っていたものの、あまりに甲斐甲斐しく動くので。
「お前もちょっと座れよ」
冽花は気付くつどにこうして賤竜を呼び止め、傍らにおいた椅子に座らせるのだった。
素直に応じた賤竜は椅子へと腰をおろす。
硝子球の瞳で見つめてくるので「穴が開いちまうよ」と笑えば、『現状、そちらの面貌に穴があく兆しは見られない』とクソ真面目な返答がかえる。おもわず真顔になり、黙って水を飲む冽花であった。
しばしの沈黙が流れる。
「……どこまで話したっけ、今の、この国のこととかの状況」
『蟲人の成り立ちについてと、その構成人数、扱いについて』
「あー……なるほどね」
未だ発熱する身だ。ぼやぼやする頭を叱咤し、こうして起き上がれる時に話していた話の内容を、脳裏に思い起こした。だが、懸命に思い起こしたとて、やはり熱に浮かされた身での記憶であった。ところどころが霞がかっていた。
仕方なく、本人に確かめるべく口を開くのであった。
「ええっと……ちょっと、あたしの記憶が曖昧だからさ。確認までに、どういうこと話したのか話してくれる?」
『了解した。まず、蟲人の定義であるが。これは“
ここでその言葉に誘われるように、冽花のなかから
ひょこりと肩から生えるように顔が覗いて、それに反応して賤竜が顔をむけた。だが、彼の反応はそこまでであった。淡々と続く言葉は紡がれた。
「“前世の記憶”または“前世の魂魄の名残り”を連れ、生まれ落ちる状態である。混ざりものという意味で、蟲人と称されている』
眉尻をさげて、俯く妹妹である。ぎゅっと袍の裾を握りつつ、その耳も尾も力なく垂れさせた。ちんまり冽花の隣に正座する。そんな彼女の頭を冽花は撫でてやる。無論、触れないので振りだけであるものの。
賤竜はやはりその様をじっと見つめた上で、再び口を開いた。
『蟲人の連れる魂に
「そこまでが成り立ちだな。……それ以上、話してないっけ?」
『是』
「あー、そっか。なら、大事なところが欠けてるな。妹妹」
『はい、冽花』
ふんわりと微笑んだ妹妹の体が、薄紅色の光の粒子と化し霧散した。途端に冽花の瞳が縮瞳・散瞳するなり、頬を始まりとして全身に『杏の花模様の痣』が派生していった。
甘い花香が広がるとともに、おもむろに猫耳と尾が生えてきた。
「その来世にのこる影響ってのがこれだよ。ちまたでは『
『転化』
「そ。あたしみたいに人の体に一部が生える奴もいれば、全身その前世の姿に変わる奴もいる。あたしら蟲人は『前世の力』が使えるんだよね。普通は一つ。あたしは妹妹と
『契約者、
あ、もう様付けじゃないんだなと、どうでもいいところではあるが気になった。すぐにかぶりを振って、気を取り直すものの。
「そう。妹妹の力は『猫の身体能力を与えてくれる』こと。それから、これは獣の蟲人に共通することだけど。怪我とかしても普通の人より早く治るんだ。……老鬼は身体能力の高さに比例してる、とか言ってたけどさ」
仇敵を思い起こし、ちょっと渋い顔を作りながら、冽花は肩をすくめた。そんな冽花に賤竜は首を傾げてみせる。
『藍玉環ゆらいの力とは如何なるものなのか』
「ああ。……うん、この流れなら聞くよなあ、当然。今見せるよ」
ちょいと苦笑をまじえるなり冽花は木杯を置いて、その手をもたげた。薄く陽炎めいた黒い炎を点す。賤竜の目がごく軽く瞠られていた。
『陰気』
「そ。玉環の力は陰気を使えることなんだ。でも、アンタほどじゃない。自分の体の陰気を燃やして、活性化させて……ちょっとだけ、妹妹の力に上乗せできる感じ。自分の体の気を乱してるから、当然、多用も無理もできない」
「無理すると、あたしの命が削れっちまう」
すぐに炎を消した。
気分的におもわずひと息つくと、賤竜がかすかに身を乗り出した。
『……現状、気の流れは正常だ』
「そ。なら良かった」
薄く微笑みをうかべ、冽花はここで再び妹妹と分かれた。
「あたしは妹妹のことや玉環のことを、ちょっとだけ夢に見ることで知ってるんだ。あたしの場合はそうやって記憶を見られるらしくてね。中身を選べはしないけど」
『ふむ』
「だから……妹妹が、あんたの……ううん、アンタ達の昔飼ってた猫だ、ってことは知ってるけれど、なんで玉環がこんな力を使えるのかは知らない」
それと同時に、玉環が『自分の罪』として、つね胸を痛めていた事柄も。
目の前の僵尸なら知っているのだろうか。にわかに湧き上がる黒い好奇心を押し殺した。
冽花の言葉をうけて、賤竜は再び妹妹を見下ろした。途端にもじもじして、冽花の裾に手を伸ばす妹妹であった。
「覚えはある?」
『…………
「やっぱねえ。玉環の時代にも妹妹はいたみたいだけど、あんた気付く様子もなかったし」
頬を掻く。妹妹は尾を垂らししょんぼりしているけれど、こういうのは早い内に知っておくに越したことはなかった。再び妹妹の頭を撫でて、冽花は話に戻る。
「蟲人の概要については、そんな感じだな」
『了解した。あとは、蟲人が少数派であること、蟲人ではない人々から差別や偏見を持たれている旨をも、伝えられていたことを挙げておく』
「あー、そこは話してたか。了解」
頷き返し、冽花は再び取った木杯をあおる。
「あとは、今のこの国の近況についてだな」
『是』
「ほんじゃま、ざっくり説明しとくわ。今は……アンタが過ごしてた頃より、数えて大体、三百年後の
『三百年後』
「うん。アンタが眠らされたのは太祖の時代だろ? 本に、玉環のこともちょっと載ってたんだ」
さすがに三百年前の歴史を調べるのには苦労したが。養い親の書庫に、その名が載った本を発見したおりには、小躍りしたものであった。
分厚い本の頁(ぺーじ)をめくり、ただ一つだけ、『左将軍
ようやく自分のことが――否、ずっと知りたかった、旧友の居場所を思い出したような感慨を味わっていた。
少しだけ回顧にふける冽花は、賤竜の目が、つかの間に伏せられたのに気付かなかった。
三百年、と噛みしめるように口にし、目を伏せたことを。
冽花が我に返ると、もう賤竜は元の真顔に戻っていた。
『藍王朝の現在の政情についてをも、教えてもらいたい』
淡々と提示してきたお堅い命題に、おもわず目を剥く冽花であった。
「せ、せせ政情ぉ!? なんで?」
『
「風水僵尸だと政治にまで目をむける必要があるのかよ。……ああ、まあ、いいや。政情……ってなると何だ? 何を言やぁいいんだ。ええっと? どういう治世であるか、ってことかな?」
あまりそういった方面に熱心でも明るくもない冽花は、後ろ頭を搔きかき、苦心しながらも答えを絞りだす。
現在の治世。藍王朝の特徴はというと。一つだけ、注目すべき点があった。
懸念点とも言う。
「ええっと、とりあえず、可もなく不可もなくな感じ? ひっでぇ税を課してるわけでもなし。かと言って、徳政かっつーと首を傾げる。そんなに目立たないっつーか……いや、一部が悪目立ちしてるからな、それでご破算になってるところがある」
『ふむ。注目すべき懸念事項があるということか』
「う、ん……『アレ』を野放しにしてるので、地味に評価落ちてるところがあると思う。皇帝サマも人の子か、ってな。
『是』
「皇帝サマは、問題じゃないんだよ。問題は、その息子……皇太子のほうにある」
『皇太子に問題が』
ぐるりと冽花はその場を見回す。ここに自分たち以外いないと知っていても、その言葉を言うのは勇気が要った。
ちょいちょいと賤竜に手招きをする。耳を貸すよう指示を出し、ひそひそ。
『……
「だァ――!! しぃっ、しぃ!」
大慌てで冽花は両腕を打ち振るい、手から杯を落としそうになり置いて。すぐさま唇に人差し指を寄せた。
「どこで誰が聞いてるか分かんないんだからさ!」
『問題ない。この家の半径一里(四キロメートル)圏内に、現在、人の気はない』
「そ、そう? ならいいんだけど」
ホッと胸を撫でおろすと、ついで冽花は少しだけ唇を波打たせた。これから言うことは、少しどころではなく、胃を重たくする事柄だったからである。
だが、意を決して口をひらいた。
「え、っとな……その、皇太子が
『うむ』
「……
『……は?』
途端に鳩が好物の豆を力いっぱいぶっつけられたような顔をする賤竜。
それまでは
それは賤竜と対をなす、彼にとても縁ある青年の――今の名なのであった。
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