第4話 風水僵尸・賤竜の目覚め

 その口付けは、初めは触れ合うのみのものであったが。次第に濃く深くなっていった。


 冽花の体勢も、気付けばいつしか向かい合わせになり、対面する男の首筋へと腕を回す形になっていた。


 それは口付けの形をした『給餌きゅうじ』であると同時に、『契約』の瞬間でもあった。


 傷ついた口のなかの傷を冷たい舌で舐めあげられ、血を啜られる。冽花の身を抱きすくめる腕も、まるで罪人に巻かれた鎖のように固く、彼女をいましめ続けるのであった。


「う……ッ」


 呼吸すらも奪われるような濃厚で、随時刺すような痛みを伴われるそれに、跳ね強ばる冽花の身は、やがてくったりと脱力していく。


 その舌を濡らす血液すらも吸い、舐めあげられて、体を震わせる。

 うっすらと濡れる瞳で見上げると、眠たげに半ば下ろされていた瞼が、きちりと持ち上がっていた。


 ぬるり、と舌が引き抜かれる。


「っ、は……」


 硝子玉の瞳が、冽花をじっと見つめていた。

 そうして、次の瞬間には細く眇められたのであった。


『嘘吐き』


 ぽつり、と。そう短く吐きだされた冷たい声に、冽花は目を見開くなり、浮かんだ涙を零れ落とした。


 ――瞼の裏に鮮明に蘇る場面があった。

 これもまた、見続けてきた数多の夢の光景の一つである。

『あたし』が『私』であった頃の記憶。苦い苦い、悔恨と絶望の。


 豪華絢爛ごうかけんらんたる部屋の片隅にて、毛足の長い絨毯じゅうたんに膝をついた。


 対面にいる賤竜。彼に、何か言わなきゃと思うのに。口がわなないてしまい、たまらなかった。


 視界に映りこんだ黒備えのつま先が、みるみる揺れ、歪んでいった。両手で顔をおおい、ようやく涙もろともに振り絞ったのは。

 やはり謝罪と、たまらない罪悪感より絞りだされた懇願だった。


“もし、もう一度……貴方に巡り合えるのなら、お願い”

“なじってちょうだい。私のことを『嘘吐き』と”


 それは。


「……ああ……あは」


 紛れもない、『約束の履行』だ。

 冽花のなかの魂魄が、歓喜と痛みに震えていた。


 夢でずっと見続けてきた“気”の認識だか、別の機構でかは知らない。分からぬけれど、彼は、間違いなく自分を自分として認識していた。


 この冒冽花マオ・リーホアが、罪人である『玉環ユーホン』であったことを。

 それが涙の出るぐらい嬉しくて、悲しくて、たまらなかった。

 そのため、また謝罪がこぼれた。


対不起ごめんなぁ、賤竜。次こそは。……今度こそ、は」


『……その謝罪を受け入れるべきでしょうか、これは』


「いい。……いい。冽花、って……呼んで。冒冽花、だ。敬語もなし」


『……知道りょうかい。契約者、冒冽花……冽花』


 そうして、賤竜は――龍の首を模した冑に、鱗状に甲片を連ねる歩人甲(ラメラーアーマー)を纏う僵尸は、冽花の肩ごしにその後ろの面々を見た。


『冽花。迅速な現場対応のため、その情報入力に協力を』


「あー……」


 非常に堅苦しく告げられているが、『どういう状況だか説明しろ』ということなのだろう。


 冽花は窮屈な棺のなか、賤竜の腕に支えられながら、背景をあらためて語った。


「後ろの奴らはな、お前を、てめえのモンにしようとしてた奴らだよ」


『此の所有を』


「そう。で、あたしは……今度こそ、お前を、龍脈の大河に還すために来たってわけ」


『なるほど。……そちらの身体的状況との因果関係は?』


「見たまんまだよ。ボコボコにやられた。あの、飴色髑髏の老鬼にな」


『老鬼』


 くろぐろと無機質な瞳に見つめられて、老鬼は肩を揺らすなり、おもむろに顎を引いた。一歩、また踏みだしては口を開く。


「賤竜。……お前が契約者重視な僵尸であることは承知している。そこで提案する。契約者を連れ、俺たちと共に来ることを」


笨蛋バカ言ってんじゃねえよ! お前が――」


「必要な措置としてやったまでのことだ。俺たちは対立関係にあった。が、この中でその契約者を治療し、延命しうるのが、どちらの集団であるのかは明白なはずだ」


 被せるように言葉を発してくる老鬼に、冽花は歯噛みする。


 確かに、自分はこの場では孤立無援だと、その自覚があった。体調のこともある。

 夢でずっと見続けてきた――逆を言えば、夢でしか賤竜のことを知らない。そんな自分は、彼の琴線に触れる働きかけができそうもなかった。


 逆に老鬼は訳知り顔だ。そのことを気に留めつつも、同じように賤竜を説得した上で、連れて逃げおおせるとは思えぬことに、頭を悩ませた。


 老鬼の言う通りだ。情勢は決していた。


 人獣たちは、彼と冽花との一連によって、みな委縮してしまっていた。牽制されていなければ、恐慌状態を起こし、散り散りになっていたとして不思議ではない。

 賤竜の目が老鬼らと人獣らを見回し、冽花を見下ろしてきた。


『冽花』


「あン?」


『意見を聞きたい』


「意見?」


 ぱちとおもわず瞬き返すと、律儀に『意見だ』と言って頷き返された。


『情報収集は完了した。あとは冽花、そちらの命を待つばかり。此はお前の風水僵尸なのだから』


 その物言いに納得がいった。夢のなかでも、彼は『命じられたために耐えて』、『辛い役目を全うしていた』。


 なによりも老鬼が言ったではないか。賤竜は契約者重視の風水僵尸なのだと。それは、契約者の心をも気にかけるということなのかもしれない。

 この機を逃す手はなかった。


「そんなモン……」


 冽花はぎゅっと眉を寄せてみせた。首を振るう。


「どっちについてくのも却下だ。下手なしがらみができちゃ、身動き取りづらくなるしな」


『承知した。然らば、指示を』


「ア?」


『命令を。この場を離脱するのに、力の行使が必要であると判じた。その許可を求む』


「あァ~~……」


 賤竜の物言いに、一気にその場に緊張が走るのを感じた。


 冽花はひょうの刺し傷がない無事な左腕にて、ガリガリと頭を掻く。どよめく黒尽くめ達を鎮めて、自身の背中ごしに指で符号を送る老鬼を――ちらと見やった。


 自身は到底、打破しようのないこの状況を。賤竜は打破しうることを知っていた。

 彼は風水僵尸なのだから。

 

 ――一瞬だけ、また脳裏に蘇る一場面がある。


 黄色い砂塵の舞う、荒野にて。

 馬上で剣を抜きながら、『私』が傍らの賤竜を見下ろして告げる映像が。


“賤竜――”


 現実に帰る。目の前には指示を待つ賤竜の姿があった。あの頃と同じように。

 冽花はひとつ深呼吸をした。そうして、次の瞬間、はったと睨むように、強い眼差しで賤竜を見据えたのだった。


「賤竜」


シー


「第一段階、『水滴石穿すいてきせきせん』の使用を許可する。――……頼む。助けてくれ、賤竜」


 命令を、と言われて。でも、自分は言い慣れない言葉を使うのに躊躇い、付け足した。

 頼む、という言葉に賤竜は瞬いたけれど。ほどなく。


『……知道りょうかいした


 目を細めて頷いた。そうして、ここで抱きすくめていた冽花の身を解放したのであった。


 そして、賤竜は動きだした。


 冽花とともに棺から出て、彼女を傍らに残し、一歩を踏みだす。

 そこで足を止めた。


「賤竜?」


 冽花はおもわずと怪訝に眉を寄せるものの――ふと、つかの間に目を見開かせた。

 やはり、前世の知識が告げていた。この行動は。


真的マジで? ここ? え、ここなのか、賤竜!?」


『是。ここが適当だ』


 否、だからこそ、この場所に賤竜は眠らされていたのかもしれない。


 風水僵尸ふうすいきょうし陰之断流いんのだんりゅう》型、賤竜。

 その力は、『風水』の名を冠する通りに。


 ――握りしめた拳に、黒き炎……陰の気をみるまに帯びさせていき。


「総員退避!」


 声高に老鬼が叫び、黒尽くめらが一斉に背をむけた。大わらわになった人獣たちが右往左往するのも構わずに、賤竜は流れるような動きで足を肩幅に開き、腰を落としがてら、上体を大きく捻らせた。


 握り拳を、おのれの足元に打ちつける。

 一拍後にその拳が一段沈んだ。どん、とその場の面々の腹に響く、太鼓めく鳴動が響きわたる。半径二尺余り(一メートル)の円形の陥没、炎を噴きだす亀裂が生じた。


 そうして、炎の一打が呼び水となったがごとく、亀裂に添うようにして、『灰色の水』が溢れだしてきた。

 水は大きな波紋をともない、敷かれている石床をも巻きこみ、めくれ上がらせて、四方へと伝播していく。床はもちろん、柱をも駆けのぼり、天井へと至っていく。


 炎噴きだす亀裂が先行し、それを灰色の水が追いかけ、破壊をもたらしていく。

 ……夢で垣間見たので知っていた。彼に、指示を与えると、どういうことになるのかを。


 だが、いざ目の当たりにするとなると違う。

 予想以上である。


「ぁ……あァ……あああああァ!」


 冽花は頭を抱えていた。


「許可はしたけどよぉぉ!」


 波紋はもはや、廟中の亀裂、ひび割れと化して派生している。

 察するところは、この場の崩落。全破壊だ。


 安易に……否、決心はしたものの。それでもちょっぴり指示したことを後悔するぐらいには、そう、賤竜の力は凄まじかったのである。


 風水僵尸、賤竜。その力の在り様とは。

 ――その身に纏いし、濃厚な陰気。独自のそれをもって、その地に走る気脈を刺激し、任意の効果を発現させるものである。

 本来の流れを断ち、思い通りに動かす。それが故の《陰之断流いんのだんりゅう》型だ。


「分かってたけど……さぁぁあ!」


 もはや嘆くほかない冽花へと伸びる腕があり、その身が抱えこまれた。

 濡れるような漆塗りの柱も梁も、極上のろうかん翡翠の彫刻も。孔雀石で象られた絵図も。厳格な黒と萌えるような緑色で彩られた廟も。


 すべてを灰燼に帰す力であった。そうして、賤竜に躊躇いはなかった。

 冽花を連れて、その場の何もかもに背を向けて、離脱していったのだった。

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