5.寂寥

 烈牙を見つめる横顔は、とても穏やかだった。


 克海は、月龍の激しい感情しか知らない。狂おしいほどの蓮への恋情、皆を騙していた蒼龍への怒り、自分を認めてくれない烈牙への焦燥感――


 けれど、あんな顔もできるんだ。


 人間らしい、優しい表情にどこか安堵する。

 同時に悲しくもあった。人を想う気持ちは、尊いものだ。なのにその感情が強すぎたり、なにかを掛け違えたりすると、ああまで拗れてしまうものなのか。

 未だ、自分では抱いたことのない感情を予想して、少し怖くなる。


 そう、克海は月龍ではなかった。


 遊園地で逃げていく胡桃を見たときの焦りは、非常に強かった。状況を見る限りではどう考えても自分が月龍で、別人格として彼が中に在るとしか思えない。

 悠哉を訪ねてきて、胡桃と抱き合っているのを見たとき、邪魔をしてしまったかと気まずくなった。その直後意識を失い――気づいたら、半透明の月龍が目前にいた。


 ホッとした。

 たとえ過去とはいえ、女性に暴力を振るったのが自分ではなくて。

 そして、寂しかった。

 幼い頃から憧れてやまない悠哉と、何千年にも渡る絆があったと期待したから――烈牙と悠哉の関係を、羨ましく感じたことも、あったから。


「大丈夫か?」


 ほんのりと苦い気分を誤魔化すために、烈牙へと声をかける。

 穏やかな微笑みを残して消えた、月龍。彼がいた空間を見つめる表情が、あまりにも寂しげだった。

 けれど、手のひらで乱暴に目元を拭ったあと、向けられた一瞥にはいたずらな色が浮いている。


「人の心配してる場合じゃねぇだろ。どうだ? 存在を否定してた『幽霊』ってヤツを目の当たりにした気分は。まだ疑ってかかるか?」


 指摘されて、ハッと我に返る。

 新学期が始まってすぐの頃、霊はおろか呪術や転生すら信じていなかった。なのにほんの二カ月足らずで、それらの現象をすんなりと受け入れてしまっている。

 ばつの悪さに、少し頬を膨らませて見せた。


「信じるよ。さすがに自分の目で見ちゃったんだから」


 ついでに取り憑かれるまでされちゃったんだから。

 続けると、くすくす笑われる。


「いやいや、立派な心構えだぜ? 合理主義者なんて、信念のためには自分の目すら疑いやがる。その点お前は、事実を事実と受け入れられる度量がある。それはお前の美徳だ」


 あまりにも率直に褒められたものだから、一瞬意味を理解できなかった。

 えっ、と戸惑いと共に見やると、烈牙もこちらを見ていた。


「――ホント、いいヤツだなお前」


 穏やかに笑う顔が、なぜだかチクリと胸に痛い。


「さて、そろそろ帰るか」

「待ってくれ」


 うーんと大きく背伸びした烈牙を制止したのは、悠哉だった。


「本当の、解決じゃない。月龍は、成仏したわけじゃないだろう?」

「だな。ただ、姿を消しただけだ」


 けろりと言い放たれて、再度驚く。

 二人が「またな」と言葉を交わしたあと、月龍は消えた。互いを見つめる瞳にははっきりと情が見えて、刻まれた笑みには満足が表れていた。

 だからてっきり、再び輪廻の輪に戻ったと思っていたのだけれど。


「そうとわかっていて、行かせたのか」

「仕方ねぇだろ。ここにいるわけにゃいかねぇんだしよ」


 さも当然といった台詞に、悠哉はハッと息を飲んだ。神妙な表情が、端正な顔を飾る。


「その件だが――」

「説明はナシだぜ」


 何事か口にしかけた悠哉を、ぴしゃりと遮る。


「全部、わかっちまった。すげぇすっきりしたぜ」


 文字通りさっぱりした顔の烈牙に、克海は首を傾げた。


「おれ、よくわかんないんだけど……」

「胡桃と同じ反応してんじゃねぇよ」


 悠哉も烈牙も、すべてを了解した様子だけれど、途中意識を失っていたせいもあるのか単純に察しが悪いのか、今ひとつ事情が呑み込めない。

 片眉を上げた呆れ顔に、確かに胡桃と同程度の理解力では困るなと失礼なことを考える。


「とにかく、説明なら悠哉にしてもらいな。胡桃にはおれから話しとくから」


 今ここで一緒に話を聞くという選択肢はないのか。疑問に気づいたのか、烈牙が苦笑する。


「正直、術を使ったせいで体力の限界でな。さっさと帰って、こいつを休ませてやらねぇと」


 トンと胸を指先で突く動作に、納得する。

 不動明王の圧力を受けただけの克海でさえ、そこはかとなくだるかった。術を行使した胡桃の疲労度は、比ではないはずだ。


「だから、ね、悠哉さぁん」


 急にくるっと身を翻すと、とんとんと軽快な足音で悠哉へと歩み寄る。

 甘ったるい声は、胡桃本人でさえ出しそうにないものだった。

 驚いて固まる悠哉の片手を両手で握り、右に左に大きく振る。


「今日、帰りは送って? 少しでも長く、一緒にいたいの」


 女の子らしい仕草、というよりも大げさな態度は、むしろ不自然だった。中身が男だと知っているせいか、ニューハーフの人みたい、との感想を禁じ得ない。


 ふざけているだけだとはわかる。わかるのだけれど。


「いや、気持ち悪いから」


 期せずして、悠哉と克海の声が重なった。

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