2.決意

 ハッと振り返って見た烈牙の顔には、表情がなかった。無を刻んだ横顔は、虚ろを見つめている。


「逃げなかったんだよ、蓮は。共に滅びることを、選んだんだ」


 月龍を見上げるというより、天を仰ぐ仕草に見えた。落ち着いた声音が紡ぐ淡々とした言葉が、むしろ物悲しさを醸し出している。


「――お前は?」


 対照的に月龍の声は、今にも泣き出しそうだった。


「蓮でさえそうだったのなら、お前は――槐をその手で斬ったお前はどうなった」


 最初の質問に戻っただけだというのに、息苦しいくらいに胸が痛かった。

 脈絡もなくカエサリウスの話など持ち出したのは、自身のことを語りたくなかったからだ。「いつの時代も不遇の最後」だったと知って、諦めてほしかったのかもしれない。


「本当、だったのか」


 受けた衝撃の大きさを物語るように、克海から顔色が失われていた。


「烈が言ってた、自分の奥さんを殺して、焼いて、食ったって……」

「――っ!?」


 息を飲み、月龍と悠哉、二人が同時に烈牙を仰ぎ見る。

 月龍はそのようなことをしたのか、と愕然とし、悠哉はそんな言い方をしたのかと――烈牙が抱えた闇を見た気分だった。


 ちらりと向けられた烈牙の横目が、いたずらな色合いを含んでいるからこそ、痛い。


「端的に言えば、間違いじゃない。けど、違う」


 決して、猟奇的な話ではない。克海と、内で聞いているかもしれない胡桃、なにより月龍に誤解させてはならなかった。


「烈が槐を手にかけたのは、不運な事故のようなものだった。館に敵の潜入があって、警戒中だった。互いに、押し殺した気配に気づいて――仕掛けたのは、同時だったはずだ」


 現場を、草薙は見ていない。状況から察したのと、ぽつぽつと呟かれた烈牙の言葉を繋ぎ合わせた上での、推測だった。


「仮に槐だと気づいて刃を引いてれば、死んだのは烈の方だった」


 相手がわからぬ中、互いに敵だと思って打ち合えば、どちらが勝つかは必然だった。烈牙と槐の技量は、比べものにならない。

 まして槐は、身重だったのだから。


「わかっている。だから槐は安堵した。相手が烈だったと知って、死にゆくのが自分でよかったと……」


 問題はその後だ。促す視線が、烈牙の上に落ちる。

 だが烈牙は口を開かない。彼には不似合いな、穏やかな笑みを唇に滲ませ、なのに思い切り眉根にしわを寄せて、目を伏せている。


「槐の遺体を荼毘に付したあと――烈はその骨の欠片をひとつ、齧った。――槐を、自分の中に取りこみたかったのだと思う」


 これでずっと、一緒だ。

 泣きながら笑った烈牙の顔が、瞼の裏に蘇る。


「バカだろ」


 口を閉ざしていた烈牙が、くっくっと喉を鳴らす。


「けどあの時は、本気で思ったんだ。これで槐とひとつになれる、もう二度と離れずにすむ、ってな」


 殺して、焼いて、食った。


 言葉で言えば、その通りだった。

 だがその心情は――察するに余りある。


「お前に言うのもどうかと思うけどよ。おれは、槐の腹を裂いたんだ。腹の子だけでも助からねぇかと思ってな」


 なぜそのような行動をとったのか、月龍に説明は不要だ。

 出生の時、烈牙自身が死んだ母親の腹から、兄の手によって救い出された。それを槐は知っている。


 けれど結果は、駄目だった。生きていくにはまだ、赤子は小さすぎた。


 槐が死んだ、赤子も助からなかった――おれが、殺した。


 駆けつけたとき、降り出した雨に打たれながら烈牙は呆然としていた。草薙の姿を見て、ようやく泣くことができた。それほどまでに、憔悴していたのだ。


「正直、そのあとのことはよく覚えてねぇ。きっと、正気じゃなかったんだろ」


 槐の骨を口にして、烈牙はすぐに失神した。目覚めたとき、記憶は塗り替えられていた。

 槐が傍にいないのは、無事に赤子を産めるよう、遠くへ逃したからだと。


 寂しいけど仕方ねぇよな、あいつにゃ幸せになってもらわねぇと。

 無邪気に笑う烈牙に、真実を言えなかった。

 子供だけでも助かっていれば、結果は違っていたかもしれない。寂しげに呟いたのは、烈牙の兄だった。


 すべてが終わったあと――烈牙が、死んだあと。


「次に気づいたのは、てめぇで喉をかき切ったあとだった」


 凄惨な場面だった。

 なにかのきっかけで思い出したか、正気を取り戻したか。

 部屋の中、布団を己の血で真っ赤に染めて、烈牙はこと切れていた。

 くすりと、烈牙は笑う。


「月龍が、正しい。槐はおれを恨みながら死んでいった。憎まれて、当然だった」


 極力語りたくなかったはずの物語を口にして、吹っ切れたのか。うすく笑みすらはせた唇が、淡々とした調子で言う。

 なのに、宙を見る無感動な瞳から、つーっと一筋の涙が落ちた。


「烈――」

「違う。これはおれじゃねぇ。胡桃だ」


 名を呼ばれて初めて気づいたのか。頬を伝った涙にそっと指を当てて、苦く笑う。


「中で聞いてる胡桃が、泣いてんだ。自分のことでもねぇのに」


 優しい娘だ。

 他人事のように、そっと呟く。


「――なぁ、月龍」


 ふーっと、細く長いため息に乗った囁きは、胡桃の声なのに男らしい響きだった。


「これ以上、おれ達のせいでこんな優しい娘、悩ませらんねぇだろ」


 おれが言えた義理じゃねぇけど。

 つけ加えてくっくっと笑う中に、自嘲の色が濃い。


「一緒にいて、天寿を全うしたためしもない。こんな、普通ならあり得ない形で出会ったのも運命だろ。男同士で話もできた」


 こんな格好してるけどなと、スカートを指でつまむ。苦く笑っていた顔から、ふっと表情が消えた。

 真剣味を増した、まっすぐな瞳で月龍を見上げる。


「おれ達は別れた方がいい。――未来永劫に、だ」

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