5.失策

 ――表情が、消える。

 ふっと、目が半開きになった。

 虚ろな瞳にはもう、なにも映っていないように見える。


 意識が遠のいているのか。だとすれば――まずい。


 金縛法は、不動明王の力を術者の体に落とすものだ。制御できなければ、純然たる「力」だけが残る。

 拗れた関係を正すどころではない。月龍の魂そのものを滅してしまえば、未来永劫、和解の道は消える。


 計算が甘かった。

 草薙であったとき、術を発動できない者は多かった。けれど不動明王の力を借りられた者は皆、制御もできていた。だからゼロか十かだと思っていたのだけれど。


「――烈牙!」


 術者の資質がある以上、明王の力に悠哉もまた、圧力を覚えていた。息苦しさの中、渾身の力で叫ぶ。


「頼む、烈……!」


 そのまま、奥深くで眠りにつくべきだ。そう言った舌の根も乾かぬうちに、矛盾する懇願だとは自覚している。


 だが現状では、烈牙に頼る以外に方法を思いつかなかった。

 胡桃には、明王の力を受け入れる器はあった。けれど、制御する意志力が足りなかった。

 精神力の勝負であれば、烈牙ならあるいは抑えられるかもしれない。


「ん……う……っ?」


 小さく呻き、目を開けたのは克海だった。


 タイミングの悪い。

 思いはするが、仕方がないのかもしれない。空気が震え、圧のかかった重い空間で、なにも気づかずに寝ていろという方が無理だ。


「なにこれ、苦し……っていうか、え!?」


 状況を把握しようと周囲を見渡し――それでも顔を動かすことはできず、目線だけだったけれど――宙に浮かぶ月龍を見つけ、愕然とする。


「誰……って、広瀬? なに……」


 知らぬ間に意識を失い、時代がかった衣装の男が浮いていて、体が半分透けたその男を胡桃が捕まえている。

 身に纏う空気も顔つきも違う様子に、混乱しなければ嘘だ。


 術が暴走しかかっているのだと、説明してやれる余裕はなかった。


「おれを――滅ぼしたいか」


 痛みも苦しみも、悠哉たち生身の人間とは比べものにならないはずだ。ようやく言葉を発して月龍の声は、途切れがちだった。

 苦痛に歪んだ眉、それでもほんのわずか、口元には笑みに似たものがあった。


 蓮が望むなら、消えるというのか。


 違う。胡桃は――烈牙や蓮は、月龍の消滅など望んでいない。


「烈――……っ!」


 血を吐くほどの叫びに、応答はなかった。

 代わりに、くらりと胡桃の体が後ろへと傾く。貧血を起こし、意識を失う時のように、瞼が落ちる瞬間を見た。


 ――失敗だ。


 数千年に渡る関係は、すべて終わる。

 拗れたままでも続いた方がよかったと思えるほどに、最悪な形で。

 それを招いたのは、悠哉自身だった。

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