2.悲愴

 どうして、こんなに嫌いにさせるの?


 問いかけは、嫌いだとの宣言に他ならなかった。

 胡桃は蓮ではない。

 だが混合して見えているはずの月龍には、酷な仕打ちだった。悲痛に、あるいは怒りに歪む顔を想像し――けれど、そこに浮かぶ表情に、驚かざるを得なかった。


 笑っていたのだ。


 眉のあたりには悲しげな色を残しながらも、口元には、嬉しそうにさえ見える笑みが刻まれていた。


「よかった」


 安堵とも、恍惚とも受け取れる、ため息混じりの声だった。


「蓮は、そのようなことは言わなかった。おれを憎むようになっても――嫌いだとひとこと言ってくれれば別れてあげる、そう言っても、だ」

「怖かったから……でしょう?」


 眉を顰めた胡桃に、怒りもせずに、そう、と目を細めて頷いた。


「だが君は違う。正直に、気持ちを伝えてくれる」


 続けられた言葉が、痛い。


 月龍はただ、聞きたかったのだ。たとえ拒絶されるのだとしても、蓮の本心を、彼女の口から。

 これだけのことをやったのだから嫌われても仕方がないと、自覚はあったのだろう。嫌いのひとことで別れる覚悟もきっと、本心だ。


 なのに蓮は、認めなかった。


 当然だ。彼女は最後まで、嫌いにならなかった。まして別れたいと思っていなかったのに、認めるわけがない。

 月龍はそれを、恐怖故と受け取った。本音を引き出そうと、我慢できなくなるほどに追いつめる。蓮は怒られるのが辛くて、心を閉ざす――


 なんと悲しい悪循環か。


「だからきっと、うまくいく。――その男さえ、いなければ」


 こちらへおいでと手を広げる月龍の顔は、期待と不安、双方入り混じったものだった。


 確かに胡桃は、物怖じせずに発言できる。困ったとき、打開しようと自ら行動を起こすことができる。

 だからたとえ、克海が月龍であったとしても――月龍と同じ言動を取ることがあっても、悪化の前に逃げられるだろう。


 否、胡桃が相手ならば、月龍が壊れることはない。月龍が言うように、蒼龍である自分さえいなければ、二人は幸せになれるかもしれない。


 胡桃の両手をそっと掴むと、左右に広げる。――しがみついていた彼女を、離れさせる。

 不安そうに見上げてくる視線から逃れるように、月龍へと顔を向けた。


「あなたの言う通りだ」

「――っ!」


 背後から、息を飲む気配が伝わってくる。悠哉に離された手が力を失い、パタリと落ちるのも。

 胡桃は悲しむだろうか。それとも、見捨てられたと憤るか。

 それでも、言わなければならなかった。


「この子は――胡桃ちゃんは、蓮とは違う。だから、蓮の生まれ変わりだからと求めるのは筋違いだ。まして、誰を選ぶか決めるのは、彼女だ」


 月龍である克海を、まだ見ぬ亮の生まれ変わりを――否、過去生のしがらみを抜け、まったく違う誰かだとしても。

 拗れさせたのが自分だからと、どうにかしなければならないと思うことこそ、おこがましかったのだ。


 悠哉は蒼龍じゃない。

 烈牙の口調を真似て言ってくれたのは、胡桃だった。わかったつもりでいたけれど、本当の意味で理解はできていなかった。


 過去の愚かだった自分を、猛烈に後悔する。さらにまた、同じ過ちを犯すところだったとは。

 後ろめたさと、罪悪感が消えることはない。けれど――


「あなたは、眠るべきだ」


 感情論を除けば、答えは決まっていた。


「克海が思い出したというのなら、仕方がない。胡桃ちゃんに惚れたのが克海自身なら、それも当然の権利だ。けれどあなたの――月龍の意識で左右していいものじゃない」


 だから、克海が影響を受けてしまわないうちに、奥深くで眠ってほしい。

 重ねた願いを、月龍は莫迦なと一蹴した。


「ならばお前は、烈牙にも沈めというのか」

「そうだ」


 月龍だから消えろと言っているのだろう。言外の声を、否定する。

 愕然としたのは、月龍だけではない。背に隠れた胡桃からも、動揺が感じられた。


「烈が今、殻に閉じこもってしまったなら――奥深くで眠っているのなら、このまま起こす必要はない」


 胡桃は未だ、心霊現象に悩まされてはいる。祖父宅にいる間はおそらく、解決は無理だ。

 それでも、彼女が割と恐怖を感じずにいられるのは、烈牙の存在故だった。

 悠哉としても、草薙の意識が残っているせいか、烈牙を頼りにしてしまうきらいがある。

 けれど本来、彼はここに在るべき存在ではない。歪んだ形で具現しているのは、月龍と同じだ。


「でも……」

「考えてみてごらん。烈がなぜ、十五歳で具現化したのか。――それは彼が、その年で死んだからだ」

「――っ!」

「死に顔は安らかだったよ。裏を返せば、死ぬことでようやく解放されたんだ。彼にとっては、このまま眠らせてやった方がいいのかもしれない」


 現れた以上、胡桃を守る義務がある。責任感の強さが、その心境へと追いやったのは、疑うべくもない。

 そこにつけこみ、胡桃の保護だ術のサポートだと頼りにしたのは、悠哉だった。


 背中にふと、重みを感じる。

 視線だけで振り返ると、半泣きの胡桃が、再びシャツの裾を握っていた。


「ダメだよ、悠哉さん。だからこそ、悲しい思いを抱えたまま眠らせるなんて……」

「しかし――」

「待て」


 ここに居ても、悲しさを払拭させてやれる保証はない。

 月龍が目前にいるのだ。槐を思い出させ、むしろ絶望が濃くなるだけではないか。

 続けかけた悠哉を遮ったのは、月龍だった。

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