2.デート

 いわゆる「デート」は、楽しかった。

 烈牙自身は複雑な心境のままではあるが、内側にいても楽しんでいる胡桃の感覚は流れ込んでくる。


 元々「デートの邪魔なんかしねーよ、奥深くに沈んでっからおれのことは気にすんな」とは宣言していた。

 実際、待ち合わせ場所までは護衛を兼ねて様子をうかがうが、悠哉と会ったら下がるつもりだったのだ。


 けれど、やってきたのは克海だった。

 あまり二人を近づけさせたくはない。それで沈むに沈めず、気配を押し殺したまま様子をうかがっていたのだけれど。


 克海はいたって、紳士的に振る舞っていた。

 遊園地に着くと、なにに乗りたいかと尋ね、胡桃が疲れる前に座ろうかと誘い、タイミングを合わせて椅子を引く。

 制服のときとは違い、底の厚いサンダルを履いた胡桃に、疲れるだろうからつかまってと腕を差し出した。


 克海は優しい男ではあった。気を遣いもするし、よく気も利く。

 だが、ここまでだっただろうか。今までは単純に、身体能力の違いに配慮していた様子だったけれど……。


「そろそろ行こうか」


 テーブルを囲む椅子に、向かい合わせで座っていた克海が言う。と、同時にサッと立ち上がって、すぐ近くまで来ると、胡桃に手を差し出した。


 ほらほら、こういうところだ。

 警戒する烈牙の気も知らず、「草野くんってば、いつにも増して優しー」と、無邪気に感動しながら彼の手を取る。


「次はなにに乗る?」

「そうだねぇ……」


 胡桃は、絶叫系などと謳われた乗り物は、ことごとく苦手だった。

 とはいえ、遊園地の花形はそういった類である。馬を模した廻る乗り物や、大きなコーヒーカップの合間に、「ジェットコースターとか怖いぃぃぃ」とか叫びながらも、一応は楽しそうに乗っていた。


 それでもやはり、いくつかある中でも怖いと評されるジェットコースターには乗れる気がしない。となればすでに、乗れそうなものには乗ったことになる。


「――そうだ、観覧車」


 迷う胡桃を眺めていた克海が、思いついたように声を上げる。彼の視線を追うと、小さな箱がついた、大きな建物があった。


「ここの観覧車、眺めがいいって評判なんだ。景色見ながら、これからどうするか考えよう」


 至極、まっとうな提案だった。胡桃が高所恐怖症であることを除けば、ではあるが。

 ジェットコースターが怖い、とは言ったけれど、そもそも高所が苦手とは言っていない。克海が勘違いしていたとしても、無理はなかった。


「や、観覧車は……」

「誰も並んでなくてちょうどいいし、すぐそこだし」

「高い所苦手で……」

「大丈夫だって。安全だし、密閉されてるから風も感じない。全然怖くないって」


 完全に腰が引けた胡桃の肩を、がしっと力強く抱くと、観覧車に向かって歩き出す。

 抱き寄せられた格好になって、さすがの胡桃も驚いた。

 とはいえ、動悸の理由が単純に驚きであって、ときめいているわけではないのが胡桃らしい。


 もっとも、これが悠哉であればまた、心境は違っていただろうが。


 ――そう、それが答えだ。


 胡桃は悠哉を、多少なりとも意識している。克海相手にはない感情が動いているのは、明らかだった。

 敏い克海が、気づかないとは思えない。なのになぜ、急に大胆になったのか。


 ――もしかして、月龍の記憶が戻ったのではないか。


 ありえない話ではない。夢も見ていたようだし、感情的にはとっくに引きずられていた。

 だとすればやはり、距離を置くべきだが、この場で手を振り払うのにはためらいを覚える。


 すべては、克海の出方次第。


 完全に二人きりになった空間で、彼がどのような言動に出るのか、見極めるつもりだった。

 誤算外だったのは、胡桃の高所恐怖症が、想像よりもずっと酷かったことだ。

 観覧車に乗り、向かい合わせで座る。これから頂上に向けて上がっていくと考えるだけで、震えがきた。

 正面にいる克海の顔を見ることもできず、ただただ俯いている。


「――大丈夫?」


 こりゃあ、様子を探るどころじゃねぇな。ひっそり苦笑したところで、声をかけられる。


「顔色悪いけど……そんなに怖がるとは思ってなくて。ごめん」


 まぁ、普通はここまでとは思わないよな。しゅんとした克海の声に、同情する。

 と、目を落としていた胡桃の視界に、影が入ってきた。


「掴まってたら、少しはマシじゃない?」


 えっ、と視線を上げた先で、克海が首を傾げている。

 顔の位置が、高い。立っているのか、と思ったときには、すでに隣りに座っていた。


 克海による気遣いだろう、とは思う。

 思う、けれど。


(立て、胡桃)


 眠ったふりを続けられず、胡桃に命じる。


(立って、向こうの席に移動しろ。早く!)

(そんなのムリよ。怖くて、立てない)

(じゃあ、高い所も平気なおれが代わってやるよ)


 返事も待たず、表を入れ代わる。そのまま、胡桃の意識を深く、沈めさせた。

 克海の手を払うと、サッと立ち上がる。くるりと反転して、先ほどまで克海がいた座席に腰を下ろした。


「悪いな、邪魔して」


 突然の行動に目を丸くした克海に、心にもない謝罪を口にする。


「――烈、か」

「おう」


 一段低くなった克海の声に、あえて軽い調子で応える。


「けど、お前も悪いんだぜ? 怖いっつってんのに、こんなものに乗せやがって。お前も見ただろ、こいつの顔面蒼白。だから仕方なく、よ」

「――」

「しっかし、いい眺めだよなぁ」


 残念がっているのか、単に返答に迷っているのか。口をつぐんだままの克海に、一方的に話しかける。


 だが、顔を向けることができなかった。

 目を向けなくてもわかる。頬に、痛いほどの視線が突き刺さっていた。

 今まで、克海からは感じたことのない威圧感が、大した意味もない言葉を語らせる。


「怖がるこいつの気が知れねぇぜ。本当は、風を感じられたらもっと――」

「――……か」


 気持ちよかっただろうな。軽口を遮る低い囁きを聞き取れず、え、と振り返る。


 そこで見た、鋭い目つき。

 背筋を一気に駆け下りたのは、悪い予感などという生ぬるい感覚ではなかった。


 ――おそらくは、恐怖。


「それほどまでにおれの邪魔をしたいのか」


 怒気を孕んだ声に、戦慄と共に確信した。

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