9.執着

 不穏な気配を、感じていた。

 胡桃の部屋は、いつだってそうだ。やけに居心地がいいのだけれど、同時に、いつもなんらかの気配が漂っていて落ち着かない。


 霊を滅する、あるいは排除する。

 その類の術が身を守るためには必要だと思っていたけれど、まずはそういった連中を近づけさせないための、結界の張り方を覚えた方がいいのかもしれない。


 初めに、蔵の中から見繕った術書は三冊。意味もわからず、適当に手に取っただけだった。

 だが、多少の学習をした今なら、少しはわかる。あの中に結界の張り方なんてあったかなと、机の上に置いていた術書を、ペラペラとめくり始めた。

 と、ブブブ、となにかが震える音が聞こえた。


(あ、電話)

「電話? ……って、ああ、これか」


 胸中からかけられた胡桃の声に、反応する。見ると、机の上を振動しながら、ガタガタと動く板があった。

 とりあえず手に取ってみる。画面には、蒼井悠哉の文字が見えた。

 そういえばこれが、連絡の方法だって言ってたな。

 最初に会ったとき、なにやら悠哉が操作していたのを思い出す。


(緑のマークの方触って? そして、耳に当てるの)

「こうか?」

「――胡桃ちゃん?」


 言われた通り、耳元に板を当てる。と、聞こえてきたのは悠哉の声だった。ビクッとして身を離し、思わず画面をしげしげと見つめる。


「すげぇ……いや、連絡が取れるとは聞いてたが、まさかこんな、空間を繋げちまうなんてな」


 おれの知らない五百年間の進歩たるや、凄まじい。

 感想に、(いやそんな、大げさなものじゃないって)と、半ば呆れた反論がくる。


「なに言ってんだ、胡桃! 声が聞こえるだけじゃねぇ。ちゃんとすぐ近くに、悠哉の気配が感じられる」

「――烈牙、か」


 すげぇ、ともう一度呟く。

 同時に、苦笑をにじませた悠哉の嘆息が聞こえた。その、息遣いまですぐ耳元で感じられて、さらに感嘆する。


「確かにその通りだが、烈、これは互いの耳に近づけて喋る道具だ。大声はよせ」

(えっ、じゃあ本当に空間繋げちゃうんだ)


 悠哉が烈牙の発言を肯定したせいで、胡桃が驚いていた。その反応が、面白い。

 道具を使いこなしていながら、その仕組みをまったく理解していないとは。

 むしろ、理解せずとも利用できる道具を開発できる、現代の文明に感心する。


「とりあえず、胡桃ちゃんはまだ起きてるんだな?」


 物言いでわかったのだろう。確認するような口調に、時計を見る。

 時刻は、夜の九時過ぎ。早ければ、胡桃はもう寝ている時間だった。

 そこで、ピンとくる。


「なんだ。こいつには聞かせたくない話か?」


 胡桃の意識を、深く沈めながら問う。


 以前、悠哉が言っていた。烈牙はおそらく、核なのだと。

 主導権を持つとのっことだったのでやってみたのだが、思ったよりもあっさりと成功した。


 まぁ、この場合は胡桃が素直だからなのかもしれない。軽く押さえただけで、抵抗なく沈んでいった。もし抵抗されれば、技術的にも心情的にも難しかっただろう。

 ふと、電話の向こうから悠哉のため息が聞こえる。


「――察しがよくて、助かった」


 どうやら読みは正しかったらしい。また、「聞かせたくない話か」と問うた台詞から、すでに烈牙が胡桃の意識を眠らせたと悟ったのだろう。

 本当に話の早いことだ。


「あのな……烈」

「ん?」

「――――」


 呼びかけられるも、その後沈黙が落ちる。話し方を――もしかしたら話すこと、そのものを迷っているのかもしれない。


 もっとも、予測はできているけれど。


「なぁ、悠哉――あいつ、大丈夫か」


 待つのをやめて問いかけるも、名を口にするのは、なんとなく憚られた。


「――胡桃ちゃんに聞いたのか?」


 笑声とも、嘆息ともつかぬ吐息のあと、苦味を含んだ声がする。諦めの色が見えて、チクリと胸が痛んだ。


「いや、胡桃が話したわけじゃねぇ。ただ――おれが記憶を読んじまってな」


 奥に引っ込んだあと、あえて意識を閉ざしていた。流れ的に月龍の話になることは推測できたし、彼のことなど聞きたくない心理が働いたのだ。


 また、克海と一緒にいるのが嫌だった。

 共有する時間が長くなれば、それだけ愛着もわく。情が移るのは、なるべく避けたかった。


 引っ込んでいる間の話など、知るつもりはなかったのだ。

 なのに、祖父宅に戻った気配がして浮上すると、胡桃の様子がおかしい。どこか落ち着かないというか、気分が沈んでいるように感じられた。

 なにかあったのかと心配になって記憶を探り――知ったあと、後悔した。


「――悪ぃな。知られたくねぇって、お前、言ってたのに」


 胡桃の記憶の中、自嘲気味に笑っていた悠哉の顔が、瞼の裏に浮かぶ。


「そもそもそう思うこと自体、自分勝手にすぎる。自分からお前に話す勇気はなかったから、かえってよかったのかもしれない」


 笑いを含んだ声は、思ったよりは落ち着いていたが、重ねて言わずにはいられなかった。


「胡桃も言ってただろ。お前は蒼龍じゃねぇ。お前が責任感じる必要なんて、欠片もねぇんだからな」


 胡桃がした烈牙の真似は、まさしく心情を代弁してたものだった。

 ただ、まぎれもない本音ではあるけれど、あの場にいたのが烈牙だったとして、ああ言ってやれた自信はない。


 蓮は、蒼龍を完全に信用していた。それが途中までとはいえ、騙されていたという衝撃は強い。


 また、月龍は蓮に、蒼龍を信用してはいけないと言っていた。

 信頼する相手を悪く言われ、しかも自らの弟を謗る月龍の、人間性に対して疑問を覚えるきっかけともなった。


 抱いた不信感が間違っていたとしたら――その結果の、悲劇だったとしたら。


 蒼龍を責める気持ちが皆無かと問われれば、答えは否になる。理性ではわかっていても、感情として割り切ることは難しかった。


「――あとな。これこそ、蛇足そのものだとは思うんだけど、よ」


 ここから先は、言わなくてもいいことだ。確認して、どうなるものでもない。わかっているのに、抑えが利かなかった。


「お前、ずっと覚えてたんじゃねぇか? 蒼龍の記憶を――草薙だったときや、他の時代も」


 そう考えると、思い当たる節があった。


 草薙はいつも、烈牙に献身的だった。たとえ烈牙が、いずれ長を継ぐ立場にあったとはいえ、それだけでは説明できないほどだった。

 他の時代もそうだ。いつも親友として、一番近くにいた。


 そして――知る限りではずっと、独り身だった。


 どの時代でも、恋人がいたことはない。人間として立派で、男としての魅力も溢れていたにもかかわらず、だ。

 あれはすべて、蒼龍の記憶があったからではないのか。蓮へ贖罪の気持ちが、そうさせたのかもしれない。


 ――もしかしたら、恋情も。


 くすりと、悠哉が笑った。


「気持ち悪いか?」


 ぎくりと、身が竦んだ。


 烈牙のときだけではない。他の時代でも、周辺では男同士の恋愛は珍しいことではなかった。

 けれど、どうしても駄目だった。男に迫られて、逃げ出したのは一度や二度ではない。


 草薙は、烈牙が衆道を毛嫌いしているのを知っている。だから、草薙が烈牙に想いを寄せていたのなら、気味悪がるだろうと考えたのではないか。


 正直な話をすれば、不思議と嫌悪感はなかった。ただ、男同士である以上、そもそも恋愛の舞台にすら立てなかった草薙に対し、申し訳ない気分になっただけだ。


「いや、そんな……!」

「――お前は月龍を執念深いと言ったが、蒼龍も同じだ。幾世代にも渡って、蓮を追いかけた。忘れることもせず、あの人との仲を取り持とうともした。なんと粘着質なことか」


 ああ、そういう意味か。勘違いに、我知らず苦笑する。

 否、安堵している場合ではない。どちらにせよ悠哉が、烈牙に嫌われたのではと思ったことに違いはないのだから。


「ンなこと思ってねぇから安心しな。おれはただ、あいつに蒼龍の記憶があったなら、しきりにおれにえんじゅを勧めてたのも納得できると思っただけだ」


 烈牙が最初、想いを寄せていたのは主上の妻だった。

 そんな不毛な恋に反対するのは当然のこととして、他のどの女でもなく、槐にしておけと何度も言われた。


 もっとも、彼女と烈牙を結びつけようとしていたのは草薙だけではなく、里の者がほとんどそうだった。

 だからさして意味など考えなかったのだけれど、草薙には他の者たちとは違う、特別な感情があったのかもしれない。


「記憶のせいだけじゃないけどな。槐は……本当にいい子だった。気立ても、器量もよくて、一途に烈を想っていた。二人の幸せを願うのは、ごく自然なことだろう?」


 静かに諭すような口調に、ふと寂寥感を覚える。

 草薙は、ぶっきらぼうな男だった。これほど、柔らかな口調ではない。魂は同じとはいえ、悠哉が草薙とは別人であると思い知らされた気分だった。


 それだけではない。気分が沈むのは、続けたい言葉が読めてしまったからだ。

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