6.昔語り

 ダン! と強く足を踏み鳴らし、そっぽを向く烈牙の姿は、不機嫌そのものだった。

 「そうだとしても」と言ってる辺り、おそらく自分でもわかっているのだろう。

 悠哉は困ったように眉を歪め、仕方がないと思う半面、克海はなぜだかムッとする。


「――はれ? 烈くん、ひっこんじゃった。疲れた、奥で眠ってるからよほどのことがなければ起こすなよ、ですって。――でも」


 烈牙と入れ替わったのだろう。そっぽを向いていた顔を、正面に戻す。

 かたんと首を傾げ、のんびりとした口調の胡桃が、続ける。


「草野くんの言うとおりだよね。えっと……えんじゅさん、だっけ? 烈くんの恋人」


 文字通り四六時中一緒にいるから、烈牙の過去の話なんかも聞いているのだろう。名前を口にして、確認の目を向ける胡桃に、悠哉が首肯する。

 克海は、初めて聞く名前だった。


 ――初めてのはずなのに、胸が痛い。


「烈くん、その子のことは大好きみたいなのに、月龍さんに対しては容赦がなさすぎるもの」


 なんでだろう? 逆の方向に首を傾げた胡桃に、悠哉は悲しげに笑った。


「烈は、身体的や立場的に弱い者を、力をもってねじ伏せるような輩は嫌いだった。腕力はもちろん、相手によっては立場も、自分が強者になることを知っていたから、そうはなりたくないとも言っていた。だからこそ、自戒もせずに腕力にモノを言わせた月龍のやり方が許せないんだ」


 それだけじゃない、と悠哉は続ける。


「そんな月龍を許し続け、助長させた蓮の――自分の言動もきっと、悔しいんだと思う。想いがあるからこそ、きっと」


 言われて、ようやく気づく。

 ドメスティックバイオレンスの場合、精神的に追いつめられて、逃げられないことが多いらしい。また、夫婦の場合は経済的な理由も大きいと聞く。


 だが蓮は?

 逃げようと思えば、いくらでも逃げられたのではないか。


 まず経済面では、問題ない。王の姪――公主だったという蓮が、念頭に置くはずもない事柄だった。

 また、精神面でも逃げ道はある。王太子や蒼龍、蓮に想いを寄せていた男は身近にいた。「この人以外にいない」などと思わなければならない状況では、なかった。


 そうだ。暴力が酷くなる前に蓮が逃げていてくれれば、あんなにも壊れずにすんだのに。


「でもね、それは二人が悪いんじゃない。原因を作ったのは僕――蒼龍だ」


 表情に苦味を乗せて囁く悠哉の声が、重い。


「月龍は、愛想もなく口下手ではあったけど、文武両道だった。特に武においては、並ぶ者なきと評されるほどでね。なのに、自信が持てなかった」

「なんで? 聞く限り、妬まれてもおかしくないくらい、出来すぎな男じゃないの?」


 言及されなかったけれど、本来はそこに「眉目秀麗」の言葉も加わるはずだった。

 なにせ、悠哉に似ているのだと言う。彼の顔立ちは、古今東西を問わず端正な部類に入るはずだ。


「実際、妬まれてもいたな。本人の出来もそうだが、親友は王太子のリーアン殿下、恋人は公主である蓮。恵まれ過ぎた環境を、周囲には姦計故と思う者もいた。うまいこと殿下に取り入り、身分を求めて蓮に近づいた、下劣なる輩だとな」

「そんな――」


 おそらく、政略結婚が主流だった時代だ。ならば、そう思われるのが自然かもしれない。

 けれど月龍の想いは、純粋だったのに。


「月龍も、確かにそれなりの地位はあったが公主とつり合うほどではないことを承知していた。蓮は身分など気にしなかったけれど、月龍の中ではそれが引け目になる。いずれ自分よりもっとふさわしい男の元へ行ってしまうのではないかと不安になる。そして――不幸なことに、『ふさわしい男』は目の前にいた」

リーアン殿下……?」


 克海の質問に、重々しく頷く。


「彼は王太子の地位だけではなく、本人もとても魅力的な人物だった。容姿も、才覚も、さらに人格まで含めて、これまでに彼以上の人間を見たことはない」


 「これまで」とは、悠哉がくり返した転生すべて――数千年に渡る幾度もの人生、その記憶すべてということだろう。

 これ以上はないという賛美を、その通りだなと実感すら伴って納得してしまうのがまた、不思議だった。

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