5.否定

 克海が泊まった翌日、日曜日。やはりというか、胡桃が訪ねてきた。

 否、正確には烈牙が、ではあるが。

 ともかくやってきた烈牙は克海を見て、一瞬だけ眉を歪ませるも、「おう」と手を上げて挨拶をくれる。

 克海も、「うん」と挨拶ともいえぬ返事をした。


 なんとなく、気まずい。


「そうだ、烈。手を出して」

「なんだ、これ」


 ぽんと手に置かれたものに目を落とした烈牙に、悠哉が笑う。


「ここの合い鍵だ」

「えっ」


 驚きの声は、克海と烈牙、両方から上がった。

 到着早々、ソファにどっかりと座りながら、烈牙はうーんと唸って頭を掻きまわす。


「受け取れねぇだろ、さすがに」

「なぜだ?」


 きょとんと問う悠哉は、本当に意味がわかっていないようだった。


 実を言えば、克海も合い鍵をもらっている。

 悠哉の本を借りることも多々あるが、彼がいつも部屋にいるとは限らない。何度か予定が合わなかったあとに合い鍵をくれて、「いつでも好きに来い」と言ってくれたのだ。


 信頼されているのだと思えば、嬉しかった。なのに、まだ知り合って間もない胡桃にも渡すなんて、自尊心を傷つけられた気分になり――


 違うと、すぐに気づく。

 悠哉にとって胡桃は、最近知り合った女の子である以上に、大昔からの親友である「烈牙」のイメージが強いのだ。


 ――けれど、それだけだろうか。胸の奥が少し、もやもやとする。


「お前が表にいると、周囲の霊たちを余計寄りつかせてしまう。胡桃ちゃんの部屋のように、磁場が強ければなおさらだ」


 眉をひそめて不服そうにする烈牙に、説明を続ける。


「かといって、胡桃ちゃんの家以外、たとえば外出先で術書を広げるわけにはいかない。他人に見られれば明らかにおかしな人だし、なにより、それこそそこが安全とは限らない」

「そりゃあ、まぁ……」

「その点ここなら、人目を気にせずにすむ。だがおれがいつも在宅しているとは限らない。ならば鍵を預けておくのが最適だと思うが――」

「あーもう、違うだろ」


 はぁ。深く嘆息する烈牙に、悠哉が首を傾げる。


「なにか間違ってたか?」

「そうじゃねぇ。言ってることは、一々もっともなんだけどよ。忘れてないか? こいつはおれじゃない。一応は女だ」

「だから?」

「で、お前は男だろ」


 胸元を指でつつかれた悠哉が、ああ、と苦笑した。


「心配しなくても、手なんか出さないよ」

「だからそうじゃねぇって」


 えっ。

 そういう意味で反対しているのかと思っていたので、内心で声を上げた。


「女であるこいつに鍵を渡す、自由な出入りを許すなんて、誤解されても文句は言えない。お前の恋人に知られたらさすがにまずいだろって言ってんだ」


 なるほど、と納得もするが、大雑把そうに見える烈牙の、意外に細やかな心配りに驚きもある。「豪胆なくせに繊細」と評した悠哉の言葉は、やはり正しかったということか。


「彼女なんていないよ。だから余計な気を回さず、遠慮なく訪ねてくれ。――もちろん、胡桃ちゃんも」


 烈牙だけではなく、あえて胡桃の名を出したことに、下心はないと言い切れるのだろうか。

 思わず向けた疑惑の目に同調したわけではないのだろうが、烈牙が面白がるように片眉を跳ね上げる。器用に逆側の目を細めて、笑みを深めた。


「『だったら、悠哉さんに彼女ができるまで甘えさせてもらっちゃおうかな』だってよ。胡桃が鈍くて助かったな。――それとも、気づいてもらった方がよかったか?」

「なんのことだ?」


 そらっとぼけた調子で返すが、克海にも見え見えだった。


 やっぱり、悠哉は胡桃に気があるのだろう。自覚のあるなしは、別としても、だ。


 チリチリと胸が痛む。

 昨夜は、どうせなら二人にうまくいってほしいと思っていたのに、なぜ今はこうも不快なのだろう。


「それよりも、胡桃ちゃんの様子はどうだ? 夢はまだ見ているのか――霊たちの動きも知りたい」


 どうやら烈牙が気に入ったらしいベリーティーを淹れながら、悠哉が問う。おそらく、話題転換の意味合いもあったのだろう。


「夢は見てるな。おれの自我がはっきりしたせいか、今は蓮の夢が中心だけどな」


 紅茶を一口すすって、ほう、と息を洩らす烈牙に、きょとんと眼を向けた。


「どういうこと?」

「おれの夢を見てたのはたぶん、記憶が戻りかけだったからだろうと思う」


 うるせぇな、と一喝される可能性を覚悟していたのだけれど、意外にもすんなり応じてくれた。


「その頃はおれも、記憶が曖昧でな……胡桃にとっても、すぐそこにあって、思い出せそうなのに思い出せない、もどかしい感じがしてたんじゃねぇかな。そうしたら、気になる。気になったら夢を見る」


 そういうことだ。しめくくって、烈牙はひょいと肩を竦める。


「霊たちは……まぁ、変わった動きはねぇな。相変わらずうじゃうじゃしてるし、ちょいちょいいたずらめいたもんはされるが、おれで十分対処できる状態だ。月龍ユエルンくらいの力量のヤツが、本気で敵意持ってかかってきたらヤバイとは思うけどよ」


 そうなる前に、術を覚えねぇとな。げんなりとした顔からは、やる気は感じられない。発言だけを見れば、ちゃんと使命感はあるようだけれど、と考えて、ふと気づく。


「そういや、この間から思ってたんだけど、その月龍って人、術者かなにかだったの?」

「いんや。あいつはただの、怪力自慢の無能な武官だ」


 質問に、迷うことなく断言した。

 悪意しかない返答に、そういえば月龍のことが嫌いみたいだったなと苦笑する。


「でもまた、なんでそんなこと訊くんだ?」

「こないだ四人の運命を呪縛した、とか言ってたし、今も力量がどうこう言ってたから」

「ああ、なるほどな」


 納得を示す首肯と同時、コリコリと指先で額を掻く。


草薙くさなぎは、生まれつきの資質を買われて術者になった。悠哉にも片鱗が見える。ってことは蒼龍ツァンルンにもあった可能性が強いし、その双子の兄である月龍にもあったと考えるのが自然だ」

「へぇ……」

「けど、別に力なんかなくったって、呪縛はできるんだぜ? 人の想いくらい強く、恐ろしい『しゅ』はねぇからな。またあいつは、気味が悪いくらいに執念深い男だったし。思慮がない分、思い込んだら……ってわけさ」

「――複雑な気分だな」


 悪意をこめて、嫌そうに顔を歪めながら言葉を吐く烈牙に、悠哉が困ったように眉をひそめる。

 一瞬きょとんと悠哉を見上げて、すぐにきゃらきゃらと笑った。


「別に双子だからって、蒼龍も同類だなんて思ってねぇよ」


 バシンバシンと、悠哉の肩を力強く叩く。


「確かに双子は、資質自体に差はないかもしれん。けどな、育つ環境や自身の努力で変わってくる。それが個性ってヤツだ。蒼龍と月龍は双子だったが、別人物だ。蓮だって、蒼龍は月龍と違って優しいって思ってたしな。もし――」


 意味深長な台詞と共に、烈牙が目を細める。

 ほんのりと唇に刻まれた笑みにも、胡桃にはない色気が滲んでいた。


「もしおれが蓮だったら、蒼龍の方を選んでた。比べるまでもねぇ。――なぁ、悠哉」


 すぅっと、隣に座る悠哉の頬に手を伸ばす。心痛を刻んでいた悠哉の表情に、驚きが加わった。

 促されるがまま、顔を烈牙へと向ける。克海から見える横顔には、当惑がはっきりと表れていた。


「蒼龍も、蓮に惚れてたんだろ? ちょうどいいじゃねぇか。月龍に奪われる前に、さっさとこいつを頂いちまえよ。――おれは、お前の方がいい」


 低い囁きは、誘惑の甘さを秘めていた。

 中が烈牙――男だと知っているからだろうか。

 そこはかとなく漂う色気も、女性の艶っぽさではなく、男らしさが感じられる。

 なのに見た目は胡桃なのだ。可憐な少女が醸し出す男の色気が、アンバランスな魅力となって溢れている。


 こくりと、悠哉の喉が鳴った。


「で、でも……っ」


 悠哉の手が持ち上がり、そっと烈牙の頬に伸ばされかけたのを見て、黙っていられなかった。思わず上げた声が、上ずっている。


 このままでは、二人が唇を寄せる展開しか思いつかない。

 男同士なのにとか、当人である胡桃の意思を無視するのはよくないとか、理性が言い訳をつけるが単純に嫌なだけだった。


 ハッとした表情をさらした悠哉は、おそらく克海の存在を忘れていたのだろう。克海に目を向けてから、やんわりと烈牙の手を下ろさせる。

 自分から離れ、我に返ったように姿勢を正した悠哉を、烈牙はつまらなさそうに見る。

 それからチラリと克海に流された目つきには、イラ立ちが浮いていた。


「でも、なんだ?」


 問いかけてくる声は、不機嫌そのものだった。


「烈って、ものすごい月龍のこと嫌ってるけど、呪縛かかってんなら、烈の恋人もその月龍が転生した姿だったんじゃないの?」


 話を聞く限り、確かに月龍の行為は許されることではない。

 けれど、過去の自分が愛した男、まして自分が愛した女の過去だと思えば、そこまで嫌いになるのは不自然だった。


 否、嫌いになりたくてもなれないのではないか。


 素朴な疑問に、一瞬だけ烈牙の身が竦む。ぎろりと睨みつけてくる目つきは、殺すぞとでも言わんばかりだった。


「おれは認めねぇ!」

「いや、認めないって言っても……」

「たとえそうだとしても、認めない! って言ってんだよっ!」


 ダンッ!


 力強く足を踏み鳴らして腕組みし、勢いをつけてそっぽを向いた。

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