3.自覚
「おはよー、香織ちゃん!」
教室に入る直前で、烈牙から胡桃へと変わる。変わった瞬間、克海を見上げて浮かべた、いたずらっぽい笑みだけでは、彼女が二人のやり取りを聞いていたかはわからない。
「なんかすっかり、いつもの光景って感じだよね」
苦笑したのは、胡桃の挨拶を受けた香織だった。まだ胡桃の隣りにいた克海は、きょとんと首を傾げる。
「なにが?」
「そうやって、二人で登校してくるの」
胡桃と克海は、四六時中一緒にいるわけではない。むしろ登下校のときのみだけれど、裏を返せば、登校時は毎日一緒だ。「いつもの光景」と言われても、否定できない。
「――ね、結局、二人って付き合ってるの?」
まぁ、そう誤解されても仕方ないよな、とは思う。元々香織は、二人をどうにかさせたい様子だったし。
「違う違う!」
顔を真っ赤にして、慌てて頭を振ったのは胡桃だった。まるで調理実習のときのデジャヴだな、と苦笑する。
「こいつの相手は違う人だから」
赤くなってあわあわしている胡桃が可愛くて、克海もつい、意地悪な気分になる。「へ?」と克海を仰ぎ見る胡桃の頭に、ぽんと手を置いた。
「中村は知ってるだろ? ほら、広瀬が憧れてるって言ってた、すっごいかっこいい人。あれ、おれのいとこだったんだ」
「え!?」
「世間って狭いよな。で、偶然会ったから紹介して――」
「それで、胡桃と付き合うようになったの!? っていうか胡桃! 教えなさいよっ」
きゃー! と黄色い声を上げて抱きついた香織に、さらに赤くなった胡桃がぶんぶんと頭を振った。
「や! 付き合ってない! 付き合ってないから!」
「そう? 悠兄の方は、まんざらでもなさそうなんだけど」
胡桃は可愛い上に、多少天然っぽさはあるものの、性格もかなりいい。彼女に想われれば、大半の男は悪い気はしないはずだ。
まして悠哉にとっては、遠い前世で愛した女性なのだ。
前世で想い、叶わなかった恋だからこそ、気持ちは強くなるのではないか。
からかうつもりで言ったのに、不意にチクリと、なにかが胸に刺さる。
「うー……ん。でも悠哉さんって、すごーい優しいからそんな風に見えてるだけかも」
耳まで赤く染めながら、それこそまんざらでもない物言いだった。思わず、え、と聞き返す。
「近くで見たらやっぱりかっこいいし、大好きだけど――でも、あんな素敵な大人の人が、あたしなんか相手にしてくれないだろうし」
胡桃は決して、「あたしなんか」と自分を卑下する必要はない類だろう。悠哉はたしかに完璧だけれど、彼女も結構な美少女なのに。
否、そもそもこの物言いが引っかかる。克海との仲を誤解されたときには、自分の気持ちはないと、きっぱり断言していた。
だが今の口ぶりでは、悠哉さえその気があるのならば応じる、と受け取れる。
胡桃は元々、悠哉に憧れていた。芸能人のファンと同じ感覚だと思っていたが、恋愛感情へと発展したのだろうか。
――なんだろう。面白くない。
胡桃は色恋沙汰に疎いのだと、ずっと思っていた。少し、年齢よりも幼いのだと。
どうやら、そうではなかったらしい。ただ克海が、その対象ではなかっただけだ。対象となりうる人が出てきて、意識しているだろうことが面白くないのは、どこかで自惚れていたのかもしれない。
――きっと、それだけじゃない。いつの間にか、好きになっていたのだろう。
この、心臓をきゅっと掴まれるような息苦しさは、たぶんそれだ。
「えっと……なんか、ごめん?」
胡桃が見せる対応の違いに、やはり気づいたのだろう。応援半分、からかい半分に煽っていた香織がふと、申し訳なさそうな顔を克海に向ける。
この子も、いい子だよな。
心配されてしまったことに内心で苦笑しながらも、「なにが?」と笑顔を返す。
けれど胸の内で、呟く男の声が聞こえた。――自分の心の声、だろうか。
彼女は、誰にも渡さない、と――。
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