第七章

1.悪夢

 これは、夢か。

 舞台はおそらく、古代中国。自分が纏っているのと似たような衣服の男が、目前に立っていた。

 否、似ているのは衣服だけではない。まるで姿見を見ている気分にさせられるのは、その男と自分が瓜二つなのを知っているからだ。


 目障りだった。


 おれは、ひとりでいい。そっくりな偽者など、必要ない。

 しかも相手が、こちらに敵意を向けていれば尚更だった。


 なのになぜ、その男の傍にいる……?


 偽者に肩を抱かれた少女への問いかけは、声にならない。

 愛らしい少女だった。想い人を太陽に例えることがあるけれど、彼女はまさにそれだった。

 透き通る肌は、日の光を反射して輝くほどに白い。淡い栗色の髪が、ふわりと風に揺れる様がまた、可憐だった。

 なにより、その笑顔。白い頬をわずかに朱に染め、ほんのりと唇に滲んだ笑みは、見る者をも幸せにしてくれる。愛しく思わずにはいられなかった。


 そう、愛しているからこそ、許せない。


 その微笑みが、自分以外の男に向けられていることが――微笑みを与えられた男が、勝ち誇った目をしていることが。


 彼女の腕を、力任せに引く。驚きに歪んだ顔、自分を見る怯えた目がまた、イラ立ちを助長させた。

 あの男に与えられたものがなぜ、自分は得られない。どうすれば笑ってくれるのか、わからなかった。

 ただ悲しげに俯くだけ――しまいには、視線すら合わせてくれなくなった。

 もはや、心は手に入れられない。いずれ、心だけではなく体も、触れられぬほど遠くに行ってしまうのではないか。


 ――ならば逃げられぬよう、縛りつけるしかない。


 言葉の暴力だけではなく、身体も痛めつける。そして、逃げたいなどと思う反抗心も気概も、すべて奪うしかないのだ。

 彼女を、失わないためには。

 床に彼女を押さえつけ、左手を高く掲げる。


 やめろ。


 自分がやろうとしていることに気づいて、制止の声を上げる。

 だが、間に合わなかった。勢いよく振り下ろした手が、彼女の右頬を打ち据える。


 ――その、感触が。


 たった今、彼女を叩いた左手を見る。赤くなった手の平と、ジンと痺れる感覚。


 彼女が覚えた痛みはきっと、これの比ではない。

 ぐっと拳を握りしめる。今度はその拳を、右顎に――

 彼女が、いけないのだ。おれを裏切るから――おれを、愛してくれないから。

 このようなこと、したいはずがない。おれがしているのではなく、彼女がさせているのだ。


 そうだ、彼女が悪い。


 ――違う。そうではない。

 望んでいるのはこのようなことではなくて――見たいのは泣き顔でも、怯えた瞳でもなく――

 違う。違う……


「――起きろ」


 遠くから、声が聞こえる。知っている女の子の声だ。

 なのに口調が、いつもと違う。


「起きろ! 克海」


 夢の中でぼんやりと声を聞いていた克海は、鋭くなった語調でハッと目を開けた。

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