8.通訳

 一昨日、言葉は濁していたけれど、心霊などのオカルトに関して悠哉は懐疑的だった。

 なのにそれを認めるのは、彼が思い出したという前世の記憶が、影響しているのだろうか。


「そして、君には友好的ではないのだろう。首の傷はきっと、そいつらがつけたものだ」


 言われると、思い出してしまう。

 あの、血で濡れた手を――真っ赤に染まった、自分の喉元を。


「そのために、おれがいるんだろ」


 烈牙が口にしたの言葉は、悠哉に対してか、それとも恐怖を覚えた胡桃に向けられたものか。

 悠哉が、目線で頷く。


「たぶん今までも、胡桃ちゃんに自覚があったかはわからないけれど、霊たちに危害を加えられていた、もしくは加えられようとしていたのだと思う。そこで無意識のうちに、自分の中で眠る『烈牙』という味方を呼び覚まし、そいつらに対処しようとした。――おそらく、それが現状だ」


 説明に、あっ、と内心で声が上がる。

 もしかしたらあれは、ただの夢ではなかったのかもしれない。思い当たる節は、あった。


 月龍の、夢だ。


 殴られたときには、痛かった。首を絞められれば、苦しかった。

 あれらは明晰夢のせいだと思っていたが、違ったのではないか。

 霊たちが胡桃に危害を加えた。身体的な痛みが、「前世の記憶」を思い出させ、それを夢の形で見ていたのかもしれない。


 その方が、納得できる。起きたあとにも痛みが残っていたり、喉元の違和感が消えていなかったり――明晰夢では説明できなかった事象の、理由になった。


 ――ならば。


(それじゃあ烈牙さんはずっと、あたしのこと守ってくれてたの……?)

(よせよ)


 香織を助けてくれたのと、同じように。

 続けようとした心の声は、不機嫌そうな烈牙に遮られる。


(感謝なんかいらねぇよ。お前はおれなんだ。自分の身を守るのは当然だろ。それに――)


 つっけんどんな言い方をした烈牙の、けほん、との咳払いは表にも出る。


(他人行儀じゃねぇか。烈って呼べよ)


 不愛想な口調は、照れ隠しなのかもしれない。思えば、微笑ましくてつい、笑ってしまう。


(うん、わかった。ありがと、烈くん)

「そうだ! 悠哉、その術書のことなんだけどよ」


 烈牙が、胡桃との会話をわざとらしく終わらせる。耳の裏が熱いからきっと、赤くなっているのではないか。

 口に出さなくても会話ができるか試してみただけが、妙な話になってしまったと、内心で反省する「声」も筒抜けだった。


「胡桃のヤツ、その術書がっていうか、その字が読めないみたいなんだよな」

「当然だ。書体が現代とは違うからな。古書の専門家や物好きでもない限り、普通は読めない」

「物好きがそこにもいるけどな」


 ちらりと視線が動いて、克海を映す。同じく克海を見て、悠哉が苦笑した。


「だが、克海に訳させるわけにはいかないだろう」

「なんで?」


 頷いたのは烈牙で、首を傾げたのが克海だった。

 胡桃もまた、疑問に思う。克海が書き起こすのがなぜいけないのかだけではなく、そもそもなぜ胡桃が術書を理解しなくてはいけないのかがわからない。


「お前にも『力』があるからだ」


 ああそれは、と説明しようとしてくれた烈牙を、意図せず遮る形になった悠哉が続ける。


「とはいっても、胡桃ちゃんと違って、破邪の力じゃない。吸引とは違うが……体質的にどうも、寄せつけやすいみたいだな」

「え?」

「お前、胡桃ちゃんといて、ぞわっとしたりすることなかったか?」


 質問に、克海がうっとつまる。思い当たる節があるのだろう。


「それも、おそらく胡桃ちゃんのときではなく、烈のときだ。違うか?」

「――たぶん、そうだと思う」

「だろうな。胡桃ちゃんもまた、寄せやすい体質なんだけど、まだ開花されていない。だが烈は、感覚が鋭い。それに引き寄せられて……言うのもなんだが、今もけっこういる」


 だよな、と同意を求める悠哉に、烈牙はさも当然の風で、いるな、と応じた。


(いるって……なにが?)

(聞きたいか?)

(――ごめん、大丈夫)


 何気ない疑問に、烈牙が面白がるように問うてくる。

 聞くまでもない。たぶん――おばけの類だ。


「そういったモノたちから身を守るために、胡桃ちゃん自身が術を覚えておいた方がいいと思う。だから術書が必要で……でも読めないからといって、克海や、ましておれが文字として書き起こすのもまた、危険だ」

「術が発動しちまうからな」


 悠哉を捕捉する烈牙に、克海がそういえば、と左斜め上を見る。


「なにかの本で読んだ気がする。半端な力と知識ほど怖いものはない、古今東西、種類は違えど『術』で失敗して痛い目に合った人間の、ほとんどが未熟者だったって」

「そういうこった。意味もわからず口にして半端に発動させるお前、理解しているが、修練を積んだ草薙ほどの力がない悠哉は術の暴走、どちらにせよ悲惨だ」


 軽い口調で言ってのけ、両手を広げる。

 まるでお手上げ、とでも言いたげな、それでも幾分、おどけた色合いだった。


「どうやってこいつに覚えさせる?」

「――そうだな」


 考えるための沈黙は、ごく短いものだった。悠哉は小さく肩を竦める。


「烈が表に出た状態、ちょうど今みたいな感じだな。その状態で、烈が術書を読む。烈の目を通せばきっと、胡桃ちゃんにも理解できるはずだ。何度も読んで、暗記する以外はない」

「ま、それしかねぇな」


 めんどくせぇな、と烈牙は呟くが、胡桃にとってはそれどころではすまされない。学校のテスト勉強でも、暗記物は苦手なのだ。

 なのに音読も書き取りもせず、意味不明の文字列を覚えるなど、できる気が欠片もない。


「ンなこと言っても、しょうがねぇだろ」


 胡桃の不安に対し、烈牙は口に出して言う。


「今、お前が住んでるとこってのは、霊道の真上だ。しかもちょうど、お前の部屋が辻の中心になってる。お前みたいに力のあるヤツがそこに在るだけで、どうしたっていろんなモノが寄ってくるさ。対処できねぇと、自分の身も守れんぞ」

(や、そこは烈くんが)

「そうだな。烈に頼ってばかりもいられないし、やっぱり胡桃ちゃんが覚えるしかないな」


 反論が聞こえたわけでもないのに、悠哉はピシャリと言い放つ。


(えー、でもあたし、怖いですー)

「お嬢さんがな、任せて! あたし、悠哉さんのためにがんばるわ! ってさ」

(そんなこと言ってないもん)


 でたらめな通訳に文句をつけてみるが、悠哉や克海には聞こえない。烈牙が涼しい顔で口笛など吹いている以上、むくれる以外に術はなかった。

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