3.不謹慎

 ガタンゴトンと電車に揺られながら、微妙な疲れを禁じ得ない。

 昼休み、「胡桃」とのやりとりのあと、教室に戻る足はどうしても重くなった。教室にはきっと、胡桃もいるだろう。

 すでに彼女本人に戻っているか別人格のままかはわからないけれど、気まずくないはずがない。

 周辺のクラスメイトにもからかわれるだろうし、そうなったときにどう対応すればいいのかもわからなかった。


 結局はそれを避けるため、昼休み終了のギリギリ間際まで戻らなかったのだけれど――


「――あっ……」


 教室に入った途端、胡桃と目が合った。ずっと待っていたのかもしれない。不安げな顔で自分の席から立とうとするも、予鈴に遮られて座り直す。

 あれは別人格ではなく、本人だった。だとすれば悪いことをしたかと思う。

 胡桃にしてみれば、中庭で克海と昼食をとっていたはずなのに、気がつくと克海はいなくて、居場所も変わっているのだから。

 それを示すように、五時限目が終わるのと同時、胡桃が駆け寄ってきた。


「草野くん、あたし――」

「うん」


 不安そうな顔に、ただ頷き返す。

 胡桃が多重人格なのは、間違いない。悠哉も それを認識しているのに、あえて本人に告げていないならば、なにか考えがあるのかもしれなかった。

 なのに、素人の克海がひょいひょいと口にしていいとは思えない。そのせいで取り返しのつかないことになるのが怖かった。


「な、今日学校が終わったら、悠兄のとこに行くんだよな? それ、おれも一緒に行ってもいいかな」


 口ごもった結果、違う話題を振った。

 突然の質問に驚いたのか、えっ、と声を上げるも、胡桃はすぐに頷く。


「もちろん。その方が心強いし、むしろありがたいけど……」

「ほら、プライバジーに関わる話なんかもするんじゃないかって思ってさ」


 確かに胡桃は、克海の同行を嫌がらないだろう。拒絶するのは、「胡桃」だ。

 ほんの短い間でしかなかったけれど、話をしている中で「胡桃」には、胡桃を気遣うような言動が見えた。本人の許可を得ていることを伝えれば、仮に例の人格が出てきたとしても、言質はとったと主張できる。


 我ながら姑息ではあるし、そんな話が通じる相手かもわからないけれど。


 ともかく約束通り、二人で悠哉宅に向かうべく電車に乗ったのだが、朝とは車両が違っていて、横一列に並んだ座席だった。

 自然と隣り合わせで座る。ただ、早朝とは違って、今は周囲にたくさん人がいた。ボックス席で仕切られているわけでもないので、彼女の症状についてなどは話ができない。


 それでなくとも、不安を禁じ得ないのだろう。普段であればにこやかに話しかけてくる胡桃も、黙っている。

 なんとなく気まずくなって、克海も黙って横を向き、流れる景色を見るとはなしに眺めていた。

 きっと、悠哉の家に着けばなにかしらの事実がわかる。


 その結果がいいものか、悪いものなのか――


 どちらかといえばやはり不安が強く、疲労感と共にため息が洩れた。

 と、こつんとなにかが肩に当たる。目を落とすと、克海の腕にもたれる形で、胡桃が眠っていた。


 おいおい、さっきまであんなに緊張した顔してたのに。


 一瞬呆れたあと、すぐに同情する。

 電車の揺れは心地よく、確かに眠りを誘われることもあるが、胡桃の場合は連日にわたる悪夢、ひいてはそれに伴う睡眠不足のせいだろう。

 けれど――不謹慎ではあるけれど、もたれてきたこの状況をわずかに嬉しく感じてしまう。


 やっぱり、可愛いよなぁ。


 よく、頬に影が差すほどに長い睫毛、との描写があるけれど、誇大表現だと思っていた。だが目を閉じた胡桃の頬には、本当に睫毛の影が伸びている。

 抜けるような白い肌と、軽く開いた唇はほんのりとピンクで――


 誰かの顔が、二重写しに見えた気がした瞬間だった。


 パチリ。突然開いた胡桃の目に、ドキッとする。

 いつの間にか見惚れてしまっていたし、なにより顔を覗きこむ体勢になっていて、かなり距離が近かった。

 やましい気持ちはないけれど咄嗟に動揺し、言い訳を考え始めるもすぐに気づく。


「――なんだ。またお前か……」


 大きな瞳に浮かぶ異質な光が、本人ではないことを物語っていた。思わず、げんなりと呟く。


「阿呆。それはおれの台詞だ。言ったろ、こいつに近づくなって。まーだ痛い目が足りなかったか」


 うんざりした顔で「胡桃」が後頭部を掻く。


「お前がそういう性格だから放っておけないって言ったよな?――ほら、とにかく降りるぞ」

「偉そうに命令すんな」


 むっとして言うと、さらにむっとして言い返された。

 もっとも、乗り過ごすわけにもいかないから、渋々といった調子で腰を浮かす。

 電車を降り、改札を出るときも二人とも無言だった。並んで歩くことすら嫌なのか、「胡桃」はかなりの早足で進む。


 否、もしかしたら特別に急いでいるわけではないのかもしれない。本気で克海を振り払おうとするなら、きっと走るだろう。

 それでも追いつけるとは思うが、だからといって「胡桃」が諦めているとも思えない。


 これって単純に、こいつが歩くの早いだけなのかも。


 のんびり歩く胡桃との違いが、なんとなく面白かった。

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