4.詮索
胡桃と「胡桃」の違い。驚くというよりは感心するに近かった。
「身体能力とかも、本人とは全然違うんだな……」
「当たり前だろ」
ボソリと呟いた独り言を受けて、「胡桃」は鼻にシワを寄せた。
「小娘と一緒にすんなよ。おれだって不本意なんだ。なんだっておれがこんな、小娘にならないといけねぇんだよ」
最初は克海への文句、後半はぶちぶちと愚痴めいて呟く。
おれが小娘になるとの言葉に、カチンときた。
「まるで自分が先に存在したみたいな物言いだな。あくまで主は広瀬であって、お前じゃない」
「――はっ」
睨みつける克海を、掬い上げるような目つきで見る。片端を持ち上げた唇には、呆れと嫌悪感がはっきりと刻まれていた。
「本当のこと言ったって、お前はどうせ信じねぇよ。だからおれも、話す気にはならんさ」
確かに、不信感をあらわにしている相手とは話す気にはなれない。どうせ不毛な会話になると思うのが、人の心理だ。
正しさを認めれば、態度を改めるしかなかった。
「じゃあとりあえず、信じる努力は、してみる。だから話してくれないか」
素直な物言いに驚いたのか。「胡桃」が目を丸くして、わずかの間だけれど歩調が緩む。
だがすぐにスピードは戻り、表情にもまだ警戒の色が濃い。
けれど――。
「で? おれになにを訊きたいって」
横目で克海を睨みながらも、「胡桃」の声と態度がトーンダウンしていた。
「お前のことを聞きたい。生い立ち、仕事、趣味――なんでもいい」
多重人格症では、別人格にも通常の人間と同じ、「生まれや育ち」の記憶があるという。
その中に、「胡桃」の性格や性質、あるいは別人格が生まれた経緯など、多くのヒントが隠れているはずだった。
「おれの生い立ち、ねぇ。ンなもん知って、どうしようってんだか」
不満と不快を隠しもせずに呟くが、まぁいいか、と「胡桃」は口を開く。
「おれは生まれつき、少しばかり人と姿形が違ってよ。よく鬼だ
口元に薄く笑みを刻んだまま、他人事のように淡々と続ける。
「まぁ、見返してやりたいって思うよな。がむしゃらに体を鍛えた。結果、得られた腕力は――お前も見ただろ」
チラリと向けられたいたずらな視線に、昼間殴られた腹部が、ずくんと痛む。
「ついでに、自分で言うのもなんだが、気が短くて乱暴でな。ま、そんなおれでも惚れてくれる女がいた。そいつとの間に、子どももできた。――二人とも、おれよりも先に死んじまったけど」
蘇った痛みに気色ばみかけるも、続けられた言葉は威勢を削ぐには充分だった。
「それは、その……お気の毒に」
「よせよ。もう随分と昔の話だ。さすがに吹っ切れてるさ。それに――」
片手を振って笑みを見せた「胡桃」の表情が、ごく一瞬だけ、ふっと沈痛そうに歪む。
だがすぐに、底意地の悪そうな光を瞳に宿し、克海を見上げた。
「お悔みなんてもらう義理はねぇぜ。おれが二人を殺したんだから」
「――っ!?」
「死んだ女の腹を裂いて、中の、胎児っての? 引きずり出したときにはまだ動いてたんだけどな。けど、すぐに動かなくなって……今でも覚えてるぜ。血と羊水でぬめる、あの温かさを――」
過去を見る遠い瞳と、感覚でも思い出しているのか、胸の前でゆっくりと握られていく小さな拳。
その姿に、女と赤ん坊の遺体の前で、血の海に沈みながら狂気の笑みを浮かべる男が重なり、胸が悪くなる。
「あと最後にはな、二人を焼いて食ったんだ」
絶句という単語を、これほどまでに実感したのは初めてだった。思わず立ち尽くし、掠れた呻きを洩らす。
「自分の奥さんと子どもを――殺して、食った、だと――?」
人として、到底許せない所業だった。義憤に拳を震わせる克海を、数歩先で足を止めた「胡桃」が振り返る。
訝るような、観察するような鋭い目で睨みつけられ――やがて。
「――ふっ」
ほんの半瞬、歪められた眉が泣いているようにも見えた。
次の瞬間には目と顔を伏せ、笑声とも、鼻息ともつかぬものを洩らす。いたずらな笑みを刻み、ぺろりと舌を出した。
「なんて、な」
妙に邪気のない一言だった。
数秒の間理解できず、少しの間を開けてようやく、からかわれたのだと気づく。
一気に脱力した。
疲れる相手だ。内心で呟き、膝に手をついてため息を落とす様を、「胡桃」が豪快に笑い飛ばす。
「なんでも真に受けりゃいいってもんでもないだろ。おかしなヤツだ」
「だ、だって仕方ないだろ。お前が大真面目な顔で言うから――」
「ごちゃごちゃうるせぇ男だな。先行くぞ」
再び面白くもなさそうな顔に戻り、顎をしゃくって先を指し示す。我に返った克海が追いつくのを待って、歩き始めた。
そう、待っていたのだ。歩調も相変わらず速かったが、「胡桃」を包んでいた剣呑な空気が少し、薄れた気がする。
「――
前を向き、むすっとしたまま「胡桃」が呟く。
なんのことかわからなくて、えっと訊き返す。ちっと舌打ちしつつも、「胡桃」は言葉を重ねた。
「おれの、名前。烈牙ってんだ。年は十五。天正十年生まれのな」
鋭い横目でこちらを見ながらも、どこか面白がるような笑みが刻まれている。
「十五って……ウソ! おれよりも年下!?」
はぁ。期待外れの反応だったのか、「胡桃」――烈牙は、額を押さえて嘆息する。
「お前、なぁ。驚きどころは年齢じゃなく、生まれ年の方だろ……」
「や! でももっと年上だと思ってたから――」
圧倒的な迫力と野太い表情から、もっとずっと年上だと思っていた。この分だと先ほど語られた身の上話もやはり、ほぼすべて嘘だったのだろうなと思い――
「――って、五百年前?」
ようやく、思い到った。年号から、ある程度の年代を割り出せるくらいの造形はある。
「そう。おれはこいつの、前世、ってヤツだ」
「前世って……」
「だから言ったろ。お前は絶対信じないってな」
「べ、別に信じないとは言ってないだろ! 信じがたいのは本当だけど……」
最後にはポツリと本音が洩れる。
「バカ正直なヤツだ」
感嘆とも呆れともつかぬ感想のあと、ひょうひょうとした調子が続く。
「まぁいい。お前が信じる信じないは、別の話だ。おれには関係ねぇ。それでもまだおれのことを知りたいってんなら、悠哉に聞いてくれ」
「悠兄にって、なんで……」
「言ったろ。おれとあいつは長年の付き合いだって。前世からのな。正直、おれは自分の記憶にもあいまいなところがあってな。下手したら、おれ自身よりあいつの方が詳しいかもしれん。それに――」
克海を見上げて、意味ありげに口の端を歪めた。
「人物論評は本人の口からより、他のヤツに聞いた方が、より実像が見えるだろ」
ギクリ、と身が竦んだ。
烈牙に彼自身のことを訊いた狙いは、そこにあった。だからこそ、内心で舌を巻く。
克海が彼の性格を見極めようとしたのと同様、烈牙も克海を試していたのだ。
意図を見抜いた上で、あえてでたらめな残虐話を作って聞かせ、反応を見たのだろう。
黙々と歩くうちに、早々と目的のマンションに着く。ちまちま歩く胡桃に会わせるよりは楽だった、などとは言えない本音だった。
「えっと……どうするんだったか」
エントランスの、インターホン前で考える烈牙に代わって、部屋番号と呼び出しボタンを押してやる。数秒後、はい、と応答する声が聞こえた。
「烈でーす」
「わかった。上がってこい」
ピ、ピ、と操作音に続いて、扉が開く。悠々と入って行く烈牙を、呆気にとられたまま見送りかけて、慌てて後を追った。
「なにぼーっとしてんだ」
「いや、悠兄がお前の名前でドアを開けたから……本当に知ってるんだなって」
「ほう。少しはおれの言ったこと、信じる気になったか」
「広瀬の中にいる、お前って存在を知ってるって確認しただけだ」
それ以外に関してはまだわからない。言外の言葉に、頑迷なヤツ、と吐き捨てる烈牙の声には、呆れの色が混じっていた。
「よく来たな、烈。さ、上がってくれ」
待ち構えていたかのように、チャイムが鳴り終わるよりも早くドアを開けた悠哉が、満面の笑みで出迎えてくれる。
訪問を心待ちにしていた様子に、ムッとした。得体のしれない別人格と馴れ合うなど、信じられない。
「克海? なんで……」
思わず睨んだ視線を感じたか、ようやく、克海の存在に気づいたらしい。
悠哉の顔からさっと笑みが消え、困惑の表情が浮かび上がる。烈牙がエントランスで、「自分」の名前を名乗ったから、ひとりだと思っていたのか。
「邪魔するぜ」
気まずく顔を見合わせる悠哉と克海に構わず、烈牙は無遠慮に中へと入って行く。
「えっ、おい、烈――いや、あの、胡桃ちゃん?」
「――悠哉」
狼狽しながらも、克海の目を気にして名を呼び変えるのはさすがだった。
烈牙はくるりと振り返り、真剣味の増した瞳が悠哉を見上げ――
突如、ニッと破顔する。
「悪い。話しちゃった。てへっ」
最後には、たぶん胡桃の真似のつもりで可愛らしく小首を傾げる。
その仕草がかえって止めになったのかもしれない。
ピキッと音さえ立てそうに固まった悠哉の目が、完全に点になっていた。
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