7.顕現
「――草野くん」
胡桃が、どこか怒ったような顔で声をかけてきたのは、四時間目が終わってすぐだった。
「お昼、付き合ってほしいんだけど」
「おれはいいけど……」
提案は、別に断る理由もないものだった。むしろ、いつも香織と一緒の胡桃の方こそ大丈夫なのか。
チラリと視線を向けた先で、香織が満面の笑みで手を振っているのが見えた。
気にしないでいってらっしゃい! とでも言いたげな表情に、まだまだ誤解されてるままなんだな、と苦笑する。
「じゃあ行こう」
克海が立ち上がるのとほぼ同時、胡桃に腕を掴まれる。そのままずんずん引っ張られ、されるがままに教室を出た。
背中には、様子を見ていたクラスメイトからの冷やかしが飛ぶのに、お構いなしだ。
これはきっと香織だけじゃなく、他にも相当誤解されただろうなと内心では焦るも、至極真剣な胡桃の顔を見ては言い出せない。
結局、無言のまま中庭まで引っ張られてしまった。
中庭にはいくつものベンチがある。もちろんそこのひとつに座るのだろうと思っていたのに、胡桃はスタスタと芝生のところまで歩いて行った。
「ベンチじゃないの?」
敷物も敷かず、芝生の上にぺたんと座る胡桃に問いかける。うん、との首肯は、今にも泣きそうな表情でなされたものだった。
「だって、向こうには人がいっぱいいるし……」
ということは、人には聞かれたくない話なのか。
まぁ、そんなところだろうなとは思ったけど、とは口に出さない本音だった。
「あのね、これ、見てほしいんだけど」
隣に座る克海に、数冊の本が差し出された。
本といっても、書店に並んでいるようなものではない。ザラついた和紙が表紙の、古めかしい本だった。
「えぇっと……
「こんな古い字、読めるの!?」
一番上にあった本の題名を読み上げると、心底驚いた顔を向けられた。
「まぁ、完璧にとは言えないかも、だけど……」
いくら古いとはいっても、日本語だ。しっかり見れば、大体わかる。
まして、克海は興味があって、陰陽道や修験道を調べていた。歴史を探る中で、古文書にも目を通したことがある。
「でもなんでまた、こんなの持ってきたんだ?」
胡桃の家が、古くから続く陰陽師の家系だとは何度も聞いた。祖父宅の敷地内に蔵があって、古い本やよくわからない道具がある、と聞いたこともある。
だからこういった本自体が手元にあるのは不思議ではないが、学校にまで持ってくる必要はなかった。
「持ってきたんじゃないもん。勝手にカバンに入ってたんだもん」
「そんなはずないじゃん」
ぷーっと頬を膨らませる胡桃に、苦く笑い返す。
まず間違いなく、胡桃本人がカバンに入れたのだろう。覚えていないのはきっと、まだ半覚醒のときだったからではないか。
もっとも、不必要なものを持ってきた理由は依然として不明だけれど。
「――あれ?」
ふと、手触りが妙なのに気づく。表側は少々頑丈な和紙なのに、裏側はつるりとしていて、使い慣れた薄くて良質な紙の感触だった。
手の中でひっくり返すと、ルーズリーフが一枚、裏表紙にくっついている。
これは胡桃のノートだろう。書き殴ったような文字が見えるけれど、読むのは気が引けて、なるべく紙面に目を落とさずに差し出した。
「本に混じってたぞ?」
「えっ、おかしいな。あたし、バインダーに挟まないことなんてないのに……」
ルーズリーフを受け取るために伸ばした手を止め――胡桃がまた、半泣きになった顔をこちらに向ける。
「――これ、あたしのじゃない。こんな古い字体、書くだけじゃなくて、読むこともできないんだけど」
古い字体、と言われて、改めてルーズリーフを見る。
確かに一見、表紙の文字と同系統のようではあった。けれど筆形状のもので書かれているという類似点はあるものの、克海にも読むことができない。
ところどころ、読み取れなくもない文字はあるが――
「これって、記号とか暗号とか?」
「の、呪いのお札、とか……?」
もしかしたらものすごく下手なだけだったりして。冗談半分の言葉は、涙声に遮られた。
そんなバカなと笑い飛ばすには、表情が真剣すぎて憚られる。こりこりと、指先で頭を掻いた。
「これ、見てる限りじゃ筆ペンで書かれてるみたいだし。なにより、ルーズリーフだろ? 呪術とかならさすがにもう少し、本格的な道具を使うんじゃないかな」
「あ、そっか」
安心させたくて言ったのは間違いないのだけれど、あっさり納得されて苦笑する。
「いや、呪術じゃないにしても、誰がなんのために、どうやってお前のカバンに入れたのか、まったくわかってないんだから」
「あ! そっか」
台詞自体は先ほどと同じだが、ニュアンスがまるで違っている。はう、と嘆息が落ちた。
気分を変えるためか、ここに来るまでの間、学食前で買った缶コーヒーを開けて飲む。それから、「誰が」「なんのために」「どうやって」を考えてでもいるのか、目を閉じ――
再度、はーっと長いため息が洩れた。
ぱちりと目は開けられたものの、なにか思いついた顔ではない。
ちらっ、ちらっと辺りを見渡し、当然克海と目が合ったのだけれど、なぜかぴくっと身を震わせる。
「――とりあえず、食べようか」
言った笑顔が、少しひきつっている。
まぁ、無理もない。結局なにもわかっていないし、けれど考えても答えも出そうにない。
本人も言うように、「とりあえず」としては一番、建設的な意見だった。
相変わらずちゃんと手を合わせて挨拶したあと、昼食のサンドイッチに豪快にかぶりつく。いい食べっぷりだよなと見惚れていても仕方がないので、克海も持参した弁当の蓋を開けた。
――気まずいなぁ。
一昨日、ファミレスで食事をしていたときには、急いで食べながらも会話はあった。なのに今日は一言も口を利かず、目線すらこちらに向けず、胡桃はひとりで黙々と食べている。
そのせいか食べ終わるのも前より断然早く、克海とほとんど同時だった。
ごちそうさまでしたと手を合わせてから、やっと克海を見てちょこんと笑う。
「食べながらちょっと、考えてたんだけどね。思わず焦っちゃったけど、よく考えたらあとで悠哉さんに会えるんだよね」
残っていたらしいコーヒーを、くいっと一気に呷ると、そそくさと荷物をまとめ始める。
「さっきのお手紙のことも、本のことも、悠哉さんに相談してみる。付き合わせちゃってごめんね?」
じゃあ、と笑顔を向けられるも、目も合わない。えっ、と戸惑う克海を華麗にスルーして、すくっと立ち上がった。
「そんなに慌てて行かなくても」
ひとりでさっさと戻るつもりなのは、目に見えていた。急いで弁当箱をしまい、立ち上がる。
「でも一緒に帰ると、みんなに変に思われるだろうし」
主張は、まっとうなものだった。同時に、そんなことを気にするくらいならば、腕を引っ張って教室を出て、二人きりになるような状況など作らなければいいのに、とも思う。
否、そもそも胡桃は、その手のことに気が回らない。単に、克海を退ける言い訳としか思えなかった。
「今更だろ。それに、別れて戻った方が変に思われるんじゃないか? ほら、痴話ゲンカ的な」
一昨日の展開を彷彿とさせる胡桃に、内心ではヒヤヒヤが止まらない。口にした、それこそ言い訳も、理屈は破綻していないよなと頭の中で反芻したものだ。
は、と疲れたため息を吐いた胡桃が、顔を上げる。
「そうだね。じゃあ、教室まで一緒に」
仕方がない、とでも言いたげな口調だった。少し眉を歪めた笑みは、困っているようにも、申し訳なさそうにも見える。無理に作った笑顔なのは、すぐにわかった。
もしかしたらやはり、なにか怒っているのではないか。
一昨日と同じ不安を抱え、感情を読み取りたくて胡桃の目を見つめる。
見つめられ、訝しく思っているのかもしれない。小首を傾げ、見上げてくる瞳をさらに覗き込み――
突然、それに気づいた。
「お前――誰だ」
滅多に見せない険しさを、自覚する。表情が消えているのが、自分でもわかった。
「誰って……ヤだ、なに言ってるの、草野くん。急にあたしのこと、忘れちゃった?」
質問の意図を理解しかねたのか、胡桃の顔に動揺が見える。ひきつった笑みがどこか、白々しかった。
胡桃をひたり、と見据えて、違うと呟く。
「――お前は、広瀬じゃない」
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