6.憧れの人

 夢分析がどうのと説明してくれたとき、出てきた人名らしき横文字を、胡桃はまったく知らなかった。それがさらりと自然に口をついて出たのは、よほど身についているからだろう。


 そもそも、明晰夢というものも初めて知った。「聞いたことない?」と訊かれたところをみると、さほど一般的でもないのだろう。

 質問に、克海がああ、と苦笑する。


「おれのおじさんといとこが、心療内科医なんだ。そのいとこと仲が良くてさ。話聞いたりしてるうちに興味もって、ちょっと調べたりしてたんだ」

「そっか。だからいろいろと詳しいのね」

「とは言っても、雑学のレベルだけど」

「そうなの?」


 聞いている限りでは、雑学レベルなどではなく、かなり詳しく思える。それとも謙遜なのだろうか。

 見上げる先には、困ったような笑みがあった。


「だからそのまま、まるっと信じられると困るけど――まぁ、参考程度にでもなれば」


 別に解決策を求めて話したわけではない。流れでなんとなくそうなっただけだ。

 むしろ気休めでもなんでも、原因らしきものに説明をくれたのだから、感謝以外はない。


「あれ」


 ありがとう。胡桃が口にするよりわずかに早く、克海が首を捻る。


「広瀬、それ……」


 克海の視線が、胡桃の制服に向けられている。つられて、自分の身体に目を落とした。

 白いブラウスにキャメル色のブレザー、茶を基調としたミニスカートとハイソックス。別におかしなところはない。

 襟元を見ていたから、リボンが歪んでいるのかとも思ったけれど、それもなかった。


「どれ?」

「あー……いや、なんでもない。たぶん見間違い」


 眉を歪めた、自嘲気味の笑みだった。

 ごまかされたとは思わないけれど、歯切れは悪い。とはいえ、追及するほどの問題でもない。

 結局はうやむやのまま、「そう?」「うん」と短い会話でこの話題は終わった。




「胡桃ーっ!」


 名前を呼ばれて、振り返る。教室の、自分の席についてすぐのことだった。


「香織ちゃん、おは……」


 よう、と続けるより先に、近づいてきた香織にガバッと抱きしめられる。長身の香織に引きずられるような形で立ち上がった。


「ど、どうしたの」


 突然のハグに、驚かないはずがない。問いかけが、狼狽のために震える。

 少し体を離し、正面から見つめてくる香織の瞳が、やけにキラキラと輝いていた。


「見たよ! 草野くんと一緒に来てたよね?」


 なんだそのことか。軽く息を吐く。

 向かう場所が同じだから、別に離れて歩く必要はない。目的だった話が終わったからと、じゃあねと別れる理由もなくて、教室まで一緒に歩いてきた。

 いたって普通の行動のはずなのに、なぜこんなにも盛り上がっているのだろう。


「いつの間に仲良くなったの? っていうか、つきあってるの!?」

「は?」


 あまりの突然の質問に、きょとんとしてしまう。なぜそういうことになるのか、まったく理解できなかった。


「つきあってないよ? それに、特別に仲がいいってわけでもないし」


 昨日と今朝、電車が一緒になっただけだ。話を聞いてもらったのは事実だけれど、克海だから話したということでもない。

 また、克海も胡桃だから聞いてくれたわけでもないだろう。互いに話しやすい相手だったのはあるかもしれないが、それだけの話である。


「わかった! これから、仲良くなりたいのね?」


 相変わらずキラキラした目で見つめられて、返答に困る。

 そんなんじゃないってば! と慌てて否定しては、克海を嫌っているようだ。彼に対して好意的なのは間違いないのだから、それでは誤解を与えてしまう。

 かといって頷けばまた、違う誤解をされかねない。


「わかるわかる! 草野くんって、かっこいいよね!」


 口ごもっていると、香織はひとり、うんうんと頷いている。

 言われてみれば、と克海へと目を向ける。

 こちらからは自分の席に座り、友達と談笑している姿が見えた。


 特別に目を引く美形とか、群を抜いてのハンサムだとかではない。

 それでも顔立ちは整っている方だし、清潔感もあって、爽やかさもある。おおむね、好印象を抱く人が多いのではないか。


 改めての観察に、あっ! と内心で声を上げた。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。彼は、ある人物に似ているのだ。

 知り合いではない。弟がしているスポーツの、試合の応援に行って見かけただけだ。


 一方的に知っている、憧れの人。


 その人に、そっくりというほどではないが、雰囲気というか印象が似ている。

 だから初めて会ったときから、既視感のようなものを覚えていたのか。


 納得するのと同時、そっくりと言うなら夢の中の彼だと気づく。見つめ合い、誰かに似ていると思ったけれど、今の今まで気づかなかったのだから鈍い話だ。

 様子を見れば、二人が恋人同士なのは疑いない。現実では言葉も交わしたこともない憧れの人と、夢の中で恋人になっているなんて。

 変身願望と言われてもピンとはこないが、もし彼の恋人になりたいかと訊かれれば、答えは当然――


「――っ!」


 急激に恥ずかしくなって、両手で顔を覆う。「夢は願望の表れ」という言葉が浮かべば、尚更だった。

 触れた頬が熱くなっているからきっと、赤くなってもいるだろう。


「可愛いーっ!」


 じたばたするのを気力で我慢していると、また香織にぎゅーっと抱きしめられた。


「大丈夫! 胡桃もとっても可愛いんだし! きっとうまくいくって、応援するっ」


 先ほど以上のキラキラした目で見つめられて、どうやらさらに誤解を強めてしまったことに気づく。


「えっ、いや、違う違う」


 そうじゃなくてと続ける間もなく、恥ずかしがらなくていいから、とさらに力を込めて抱きしめられる。


 ――これは、誤解を解くの大変そうだなぁ……。


 なんとなく疲れて、はう、と軽いため息が洩れた。

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