5.陰陽師

 いつもの通学路は、商店街や町中を進むのだけれど、遠回りの方は住宅地を抜けて公園へと出る道になる。

 公園周囲をぐるりと回っても学校には着くが、それではさすがに時間がかかる。いくら余裕があるとはいっても、遅刻ギリギリになってしまうのはいただけない。それで、公園の中をつっきって行く形になった。

 犬の散歩をする人、ジョギングの人――のどかな風景が広がっていた。

 公園だからもちろん、木や茂みもあり、朝露の香りを爽やかな風が運んでくる。おいしい空気を吸い込んだあと、胡桃は克海を見上げた。


「えっと、陰陽師が科学者って?」


 並んで歩きながら問いかけると、克海は軽く肩を竦めた。


「映画とか小説では、呪術師とか特殊能力者みたいなイメージだろ」

「違うの?」

「そういう部門もあったみたいだけど、全員がそういうわけじゃなくて。陰陽寮には、天文や医学、文学とか、当時の最先端の知識が集まってるわけだ。加えて、政治の中枢にいる。現代で例えるなら、文部科学省みたいな」

「文部科学省」


 陰陽師や古い時代の話には、縁遠い単語だった。別次元の話として捉えていた胡桃にも、ぐっと現実味が増してくる。


「でも、安倍晴明とか。あの人見てると、やっぱりお化け退治のイメージが」

「だからそれは物語だって」


 素朴な疑問をぶつけると、克海が唇に苦笑をにじませる。


「よく、晴明には邪を払う能力があったとか言われてるけど、おれはちょっと違うと思ってる。当時、妖に取り憑かれたとかされてる人の、大部分は精神疾患の患者だったんじゃないかなって。で、晴明は深い洞察力で悩みを解決し、正常へと導く。今で言えば、凄腕の心理学者ってところなんじゃないかな」

「うぅん」


 克海の説明はとてもわかりやすく、また理に適っているとは思うのだけれど、だからこその疑問が湧く。


「実はうちってね、平安時代から続く家柄で、ご先祖さまが陰陽師だったらしいの」


 祖父が語ってくれたのは、ただただ怖く、気味の悪い話だった。

 けれど系譜を見せてもらったこともあり、離れにある蔵にはなにやら古めかしい文書類があるので、話自体を疑ったことはない。



「お家はもちろん何回も建て直してるんだけど、土地は変わらないらしくて。辻? だっけ。よくわかんないんだけど、霊の通り道になってるんだって。それで殿さまから、陰陽師であるご先祖さまに、霊を鎮めながら暮らしてくれっていうか重石になってくれって意味で、あの土地を下賜されたんだって」

「へぇえ」


 昔、よく聞かされた話を思い出しながら、ぽつぽつと語る。克海はかなり、興味津々の様子だった。


「でね、おじいちゃんが言うの。代々陰陽師をやってた家系には、そういう能力が血で受け継がれるって。おじいちゃんもちっちゃい頃から、よく幽霊とか見てたんだって。自分もそうだから、霊感が強い人って見れば大体わかるらしいんだけど……あたしもけっこう強いんだって」

「ああ、なるほどね」


 胡桃がため息を洩らすのと、克海が納得の声を上げるのがほぼ同時だった。


「そりゃあ、小さい頃からいわく付きって言われてる土地に住むことになれば、怖い気持ちにもなるよな。ましてお前は見えるかもしれない的なことを言われてたらさ。風が吹いてなにかが揺れただけでも、お化けを見たって思うのも無理ないのかも」


 感想じみて呟かれた台詞は、とても現実的だった。

 幽霊の正体、枯れ尾花――そう言われれば、そんな気もする。

 祖父宅を苦手だったのは、物音や気配めいたものを感じていたからだ。それらが、怖い気持ちが見せていたものと思えば納得できる。筋も通っていた。

 だが、おかしな点もある。


「でもね、お化けはそれで説明できるかも、なんだけど……昨日の夜はね、金縛りにもなったの」


 自分の意思で体を動かせない現象は、けして気のせいではなかったはずだ。


「金縛り?」

「どうせ草野くんは信じないんだろうけど」


 意図せず発した恨みがましい口調に、いやいやと苦笑された。


「信じないことはないよ。金縛りって現象があるのは、否定してないし。科学で説明できるから」

「金縛りが?」


 陰陽師が科学者だと言われたときと、同じくらいの驚きがあった。オウム返しに問うと、首肯が返ってくる。


「これも脳の働きなんだけど。メカニズムとしては明晰夢と一緒。頭は起きてるけど、体は寝てるわけ。だから頭は動こうとするけど、眠ってる体は動かない。焦るだろ? 怖いな、なにか出るんじゃないかな、とか思うわけだ」

「あー……」


 思い当たる節はあった。金縛りは前兆で、このあと怖いことが起こるんじゃないかと心配した矢先に、僧侶たちが現れた。

 あれは、恐怖心が見せたものだったのか。

 納得しかけて、無視できない感覚のことを思い出す。


「でもね、お化けに触っちゃったとき、ものすごーいヒヤってしたの。とてもじゃないけど、気のせい、なんて思えない」


 あの、背骨を駆け降りた悪寒。

 背筋だけではなく、心臓まで凍りつくかのような嫌な感触は、現実以上に現実感があった。


「だから、明晰夢だろ?」


 神妙な面持ちになる胡桃に対し、克海の口調は軽かった。なにを今更、とでも言いたげな、呆れの色も見える。

 きょとんとしたあと、ハッとなった。


「そっか、明晰夢!」


 夢なのに現実としか思えないほどリアルな感触がある、と説明してもらった。

 実際に、少女の血液や風に吹かれた感覚を体験している。僧侶の列が通り抜けていったあの感触も、同じ原理によるものだったのだ。

 まして、明晰夢と金縛りのメカニズムは一緒だという。

 なら、目が覚めたと思っていたけれど実はまだ夢の中、それも明晰夢の真っ最中だったとすれば、謎は氷解する。


「全然不思議じゃない。怖い話じゃなかった! よかったー!」


 心底からの叫びに、頭上からくすくすと笑い声が降ってくる。


「幽霊とか本気で怖がってそうなのに、住んでるところがいわく付きって面白いなと」

「面白がってる場合じゃないもん」

「大変そうだなーとも思うけど」


 むくれて見せると、悪びれた風もない笑顔が返ってくる。まぁいいけど、と胡桃も軽く笑った。

 正直、変な話をしたと思うのに、しっかり真面目に聞いてくれた。面白いとは言うが、心配してくれたのもわかっている。

 なにより、胡桃が経験した「怖いこと」に、科学的な答えをくれた。かなり、気が楽になったのは言うまでもない。

 けれど――


「でも草野くん、やけに詳しすぎない?」


 だからこその疑問が浮かぶのは、当然だった。

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