シーバン

世界の半分

            *

目の前に凍てついた川が聳えていた。


何処までも吸い込まれてしまう声と涙が視界を霞ませる。


その視界の端、何かが……



……「光っている」


真っ暗な川、何かが光っている。淡く、でも強く。


過ぎ去っていく電車の音。


カラン、今度は音が鳴る。シャラン、鈴の音も聞こえた。


夜の静寂(しじま)、或る少年と〈宇宙〉の話―


   *


拾ってきたそれは川の冷たさがひしひしと滲んでいた。仄かに赤みのかかった木の机にそれを丁寧に置き、テーブルライトをつける。

「わぁ……きれいだぁ……」

まん丸な硝子玉。それこそが川で淡く光っていたものであり、少年が服を濡らしてまで拾ったもの。

吸い込まれるくらい深く黒い玉に、白い点が散る。硝子玉に散った星のように。そしてそれは淡く明滅するのだ。

星が、輝くみたいに。鳥が、鳴くみたいに。

(うちゅうを、とってきたみたい……)

少年は恍惚とした、甘い想いに囚われた。蜂蜜のように粘度の高い「欲」が、彼の中でうごめいている。宇宙の引力に惹かれている。


思い出が、ふぅっと吹いたしゃぼん玉の様に浮き上がってくる。

あの川で、温かい母の香りを嗅いで、石を拾った日。

丸くて綺麗な石を見せると、母は水切りをしてくれた。

夏の日の思い出だ。


だが、今はもう冬だ。季節も変わった。

あんなに優しくしてくれた母も、気が付けば仕事ばかりで夜遅くまで帰ってこない。前みたいにかまってもくれなくなった。

(「きせつ」って、はっぱだけじゃなくてひとのこともかえちゃうのかな?)

夏に茂っていた木も、秋になれば葉を落として冬には枯れてしまう。

それは神様が決めた地球のルール。


〈宇宙〉を見つめた。「なつ」のお母さんなら「綺麗な石だね~」と褒めてくれたかもしれない。

でも「ふゆ」のお母さんはどうだろう。

毎日僕が寝た後に疲れた顔でかえってくるお母さんなら?

僕が勝手に外に出て、川の近くで泣いていたんだと知ったお母さんなら?

褒めてくれるのだろうか……



「宇宙」というのは現実を離れた想像の世界に生み落とされた科学の欠片だ。


気の遠くなるほどのキセキと、運命と、希望と。


それらすべてが密接に関わり、時にはぶつかり合うことで、「宇宙」という概念は人間の生活に潜りこんでいるのだ。


そしてそれは、夢を見せてくれる。


現実を知る、ほんのちょっとまでの間。


   *


〈宇宙〉が生きている。

その事実に気が付いたのは机の棚にしまい込んでから一週間の事。

今日も母は帰ってこなかった。漫画だとかテレビだとかに飽きた僕が棚を開けようとして、気が付いた。


中から、ピリピリと静寂を裂く音が聞こえる。

「……?」

紙が破れる様な微かな音。

棚の中で〈宇宙〉が口を開いて段ボールの欠片を咀嚼する音だった。

「つの……はえてる……はも……」

ぱっかり割れた「口」に白くてギザギザした歯が生えている。口いっぱいに段ボールの端を含んでいる。

硝子玉のてっぺんにもふたつ、小さな角が生えていた。

「……いきてたんだ……」 


宇宙への夢には二種類のものがある。

死への渇望と、未知への空腹である。

その孤独と闇に呑まれるとき、火は消えてしまうのだろうか。



   *



—隊長! シーバンが居ません! 逃げられました…… ―



   *



「……なんでも、たべるんだね……」

段ボールに紙、新聞紙……〈宇宙〉はどれを与えても自分の小指くらいの大きさの口でゆっくりと嚙んでいった。

「……ふふ、かわいいんだね」

固まった頬がほぐれた。

「きょう、おかあさんはやくかえってくるかな」

手の上の〈宇宙〉はくるりとこちらを向いた。

「そうだよね、もうすぐかえってくるよね。ありがと」

頬を近づけると蛇の様に細長い舌がぺろりと舐めた。


レコードが回ると音楽が聞こえる。


回る惑星に針を落とすと、どんな音楽が流れるのだろうか。


宇宙の音楽は甘美で、ほんのり苦い味なのかもしれない。



   *



「おやすみ」

ベッドに潜ると不思議とすぐ眠れそうだった。いつもは「独り」だが今日は「二人」………だからだろうか。

少年は深い眠りの中に、宇宙に吸い込まれていった。



   *



〈宇宙〉……「シーバン」は隠していた六本の手で棚を開けた。

閉じていた眼をそっと開ける。


途端、辺りは暗闇に包まれた。シーバンを中心に、少年の部屋だけがどこまでも落ちていくような黒に染まった。

そこには、眠る少年と赤い瞳を光らせるシーバンだけが浮かんでいる。

シーバンを手にした者しか見ることのできない〈雨中(うちゅう)の舞〉だ。


闇に幾千もの星を降らせる。軌跡を残していく星たち。


少年と同じほどの大きさになったその生物は、彼を抱きしめた。

彼が母親にずっとしてもらいたかったこと。

ゆっくりと微笑む君。その笑顔、嫌いじゃない。




大きく口を開けて少年を頭から呑み込み、骨ごと喰らいつくした。            

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シーバン 世界の半分 @sekainohanbun17

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