第三話 見えるか見えないか、それが問題だ。

「ふふっ、これは最高の展開だわ……」


 沙也加さまが何か呟いた気がしたが、俺はこのおそらくよろしくはないであろう状況に焦っていた。選択肢はふたつ。何事もないことを神様仏様に祈りつつこのまま連中をやり過ごすこと。そしてこちらが本命なのだが、安全第一、引き返して治安の良い大通りに戻ること。俺の決断はゼロコンマ単位で速やかになされていた。


「沙也加さ……」


「行くわよ!」


「へっ!?」


 そのまま何の迷いもないように歩き出す勘解由大路沙也加さま。ちらっと見えた彼女の横顔はなぜか晴れ晴れとした感じに見えた。やはりこの子は一般的な常識というものが欠けているのではないか。彼女だけを行かせるわけにもいかず慌てて後を追う俺。


「さあ、はじめ君。あなたのために舞台は整ったわ。やはりヒーローという存在には悪者を引き寄せる不思議な力があるのね。いいえ、これは理不尽な運命。ああ、なんて甘美な響きなのかしら、う・ん・め・い……」


「ちょ、ちょっと!」


 引き留めようとして伸ばした手が逆に掴まれた。その柔らかな彼女の手の感触に俺の思考は停止する。これは……。お、俺は沙也加さまと手を繋いでいるではないか!


 気づけばもう三人の男たちの顔が分かる距離だった。ニヤニヤしていた彼らの顔が急に変化する。そしてなぜか一斉に目を逸らした。もちろんこれは俺を見ての反応ではない。さっきまでの彼らの視線はすべて彼女に注がれていたのだ。沙也加さまはわざわざ男たちの前で足を止め、そして男たちを睨む。


「はあ……。顔バレしてたのね」


 ため息をつき、そう言うと彼女は再び歩き始めた。すれ違いに男たちの『勘解由大路さんトコの悪鬼だ』、『目ぇ合わせたら殴られっぞ!』、『しゃ、しゃべるなって……』という声が……。いや、これは聞き間違いだろう。俺はより面倒なことを考えるのは御免なのだ。できたら一般的な常識の範囲内で平穏につつがなく人生を終えたいと常日頃願っている小市民なのだ。でも、反社っぽい連中がビビる沙也加さまって……。いや、そんなことより俺はこの二度と訪れるか分からない彼女の手のぬくもりを堪能することを優先しなければ。


 振り返ると男たちの姿はもうどこにも無かった。


 その代わりに黒い子猫と俺は目が合った。


『みゃあ』


 猫がひと鳴きする。


 沙也加さまはその小さな愛らしい鳴き声にピタリと動きを止め振り返ると、俺と繋いでいた手を離し、スタスタと子猫のもとへ。


「わっ、わ。ちっちゃい!」

 

 子猫を前にしゃがみこんで指先でつつく彼女。子猫のほうも『なんなのニャ?』と不思議そうに見上げているが、遊び相手だと認識したのかその小さな右手を上げて応戦する。俺は彼女の正面に静かにまわりこみ、さも当然のことのようにしゃがむ。そう、子猫はもちろん可愛いのだが、す、スカートが……。彼女の白のミニスカートのその先を。俺のマリアナ海溝よりも深い探究心を抑えることは誰にもできないのだ。大丈夫、問題ない。彼女は猫ちゃんに夢中だ。


 なんだ、この見えそうで見えないという絶妙な角度と彼女と猫ちゃんの攻防により、ここぞというタイミングでの彼女の手や腕、そして飛び上がる猫ちゃんが俺の視覚に入ってくる。これは俺の薄汚い心に対しての神様の試練、いや、単なる嫌がらせなのかもしれない。そう思い始めて自らの愚かさを反省しようとしたそのとき、奇跡が起こる。


 み、見えた! 


 右に大きく跳ねた黒猫ちゃんのおかげで、ほんの一瞬だが俺は『白』をたしかに確認した。具体的に見えたのかと言われれば難しいところもあるのだが、あの位置における『白』といえば、おパンティしかあり得ないのだ。


 そして、ひとり感激する俺のほうを振り返る猫ちゃんが、『にゃ』とひとなき。俺にはこの子が『よかったにゃ!』と言ってくれたような気がした。いやきっとそうに違いない。俺は親指を立ててサムズアップで応える。と同時に沙也加さまとも目が合うが、なんとかクールな笑顔でごまかす。


「こっちにおいで」


 猫ちゃんは彼女に懐いたのだろう、自分が呼ばれたことを理解したようで、よちよちと近づいていく。


「ちょっとごめんね。さあ、どれどれ」


 沙也加さまは猫ちゃんの両脇に手をさしこんで持ち上げる。嫌がる様子もなく胴がだらんと伸びて、家にそんな猫のタオルがあったことを思い出す。


「ねえ、ハジメ君。この子の性別はどっちでしょう?」


「ん?」


 なるほど、それを確かめてたんだ。それなら俺も失礼して。


 沙也加さまの隣に移動してしゃがむ。肩が触れそうなほど近いが、そうじゃないと子猫がよく見えないのだ。彼女の甘い香りが俺の脳みそにまとわりつくが、いまは性別確認だ。


「これは女の子だね」


「ブッブー、ざんねんでしたぁ。ふふっ、生後間もない子猫のオス・メスの区別って実はとても難しいのよ」


 きっと俺の不正解を確信しての問いかけだったのだろうけど、納得がいかない。


「だって、おちん……」


 途中まで言いかけて止める。俺はなんて言葉をこの美少女のすぐ真横で口走ろうとしていたんだ。急に恥ずかしくなってきた。


 彼女が猫ちゃんをそっと地面におくと、まだ遊んで欲しいのか腹を見せて仰向けの状態、いわゆるへそ天で俺達を見ている。だがアソコには俺のイメージするそれは見あたらない。猫のナニがどんななのかは知らないが無いものは無いのだ。


 隣の沙也加さまを見ると、俺を意地悪な感じの笑顔で見ていた。あまりの距離の近さに今更ではあるが緊張するんだけど……。

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